時間は存在しない、時間は幻影にすぎない【真実の目】
「私」とは何か
「私」とは誰か?「私」というのはどのような事態なのか? 私といい我といい、また自己とも自我ともいう「私」について、様々な角度から考える。


読書ガイド
「私」とは自明なようで、実はよくわからない事柄である。私とは何か?私とは誰か?と問われて、たとえば人間であるとか、なんのなにがしである、とその属性や名前、職業といったこと以上の、あるいは以下の、本質的な答えを持つ人は少なかろう。「私」が「私」というときの「私」と、あなたや彼女が「私」というときの「私」は、「私」が自明であると思っている思い方の「私」としては、当然、違う存在である。
では、それぞれに違う「私」ではなく、誰もに共通する、あるいは普遍的な「私」とは何か。つまり、私ということのあり方や構造は、どのようなものなのか。それを問うているのがここでいう「私とは何か」という問いである。自分探しの「私とは何か」ではない。
『私とは何か』(上田閑照著、岩波新書)は、その「私」という事体を深く考察した思索の書である。簡単ではない。が、「ぼくって誰だろう」とか「本当の私はどこにいるの」とか、甘っちょろいことに悩んで自分探しをしているような私たちの目を覚ましてくれる、覚醒の書である。
上田は「私」というときに、すでにそこには問題が始まっている、と指摘する。私たちは「私は私です」というが、そのとき、「私」に固有なこととして、自己同一性、自覚、自由ということが挙げられる。が、自己同一性には自己喪失、自覚には無自覚、自由には不自由ということが含まれており、その意味で私は不安定な存在と成らざるを得ない。「私は私です」には「私が私でなくなる」可能性があるのである。
ところで、「私は、私です」と言うときには、まず、私を指さして「私は」といい、相手に向かって「私です」という。その全運動が「私」ということであり、それは平板で連続的な運動ではなく、いったん、方向転回する切れ目の入った運動である、と上田は言う。その切れ目は、私の連続性の否定であり、その切れ目によって、「私は、私です」は「私は、私ならずして、私です」となる。そこに、人間存在の根本構造がある。しかし、多くの場合、不完全な形態が現実のものとなっている。私ならずしてという否定の切れ目のない(私は、と自己を他者と区別して指ささない)「私です」は、自閉自己執着となり、そこには私と他者の区別がない。一方、「私は、私ならずして」で運動が終わり、「私です」と外に向かっていかない「私」は、自己喪失という事態に消えてしまう。私の不完全な形態に、自己喪失、無自覚、不自由という事態が現れてくるのである。そのような事例は、身の回りにいくらでも見つけることができる。
『私とは何か』で上田は、私という事態を「私は、私ならずして、私です」という運動と捉えることを基盤に、自我と自己、自覚と自意識、無我、コギト、私と汝といった、哲学が問い続けてきた問題を思索していく。観念的な思索に留まらず、ルターや山頭火など実在した人物の生き方を通して、私という事体を徹底的に考察していく。自分探しがもてはやされているが、上田はどこを探しても「私」などというものが見つかるはずもなく、自分探しでいうところの「私」というものは、たとえば長年田畑を耕してきた農民が、田圃の中に立っている、その姿に自然と現れてくるものだ、と言っている。「私」とは見つけるものではなく、生きるものなのだ、と。
『「私」とは何か : ことばと身体の出会い』(浜田寿美男著、講談社選書メチエ)は、心理学者の著である。人間という存在は、身体に囚われつつ、身体を越え、そして、身体を越えつつ、その越えた世界に囚われる、という構造を持っていて、「私」はその構造の中に生まれる、と著者は見る。その構図の要は言葉であり、その構図を身体と言葉の関わりから追うというのが、本書の課題である。
言葉により、人間は身体で生きている時空世界とは別のもう一つの時空世界を立ち上げることができる。たとえば、「雪が降っている」というとき、実際の身体が生きている世界に雪は降っていなくても、人間は想像の世界に雪を降らせることができる。それが、著者の言う人間の構図である。その構図の内にあって、私という存在がいかに成立していくか、を考える。
どうして「私」(という意識)が、「自分」(の肉体)に宿ったのか? 『脳はなぜ「心」を作ったのか』より

意識とは何か。意識はなぜあるのか。死んだら「心」はどうなるのか。動物は心を持つのか。ロボットの心を作ることはできるのか――子どもの頃からの疑問を持ち続けた著者は、科学者としてその謎を解明した。「人の『意識』とは、心の中でコントロールするものではなく、『無意識』がやったことを後で把握するための装置にすぎない」。この「受動意識仮説」が正しいとすれば、将来ロボットも心を持てるのではないか? 夢の広がる『脳はなぜ「心」を作ったのか』より一部を紹介します。
「私」と<私>の違いとは?
「意識」や「脳」、「身体」のような概念を、哲学者たちは「自分」「私」<私>のような言葉で表現する。「 」や< >など、変なかっこの形で区別されると、慣れないうちは話が余計ややこしくなるような気がするかもしれない。しかし、最大の謎である「意識」の問題点をはっきりさせるためには、これらの定義をご理解いただく必要がある。人によっていろいろな定義があるのだが、ここでは一般的な定義のひとつを紹介しよう。
プロローグで書いた私の幼いころの疑問をこの章での定義を使って書くと、
「私」が「自分」に宿るのはわかるが、どうして<私>が「自分」なのかがわからない。
ということだった。これだけ書くとわけがわからないが、説明していこう。次の図をごらんいただきたい。

ここでいう「自分」とは、自分のからだと脳を含めた、個体としての、あるいは、ハードウエアとしての自分のことだ。例として、筆者についていうと、この二十一世紀に日本で生きている前野隆司の肉体を、脳などの器官を含めて指すものとする。
一方、「私」とは、前野隆司の「意識」のことだ。だから、「私」(前野隆司の意識)が「自分」(前野隆司の肉体)に宿るということはわかる。もちろん、「私」(意識)は「自分」の脳が作り出すと考える一元論者なら、だが。
つぎに、<私>と「私」の違いについて述べよう。「私」は、前野隆司の現象的な意識のことだが、<私>とは、そのなかから、ものやことに注意を向ける働き(awareness)の部分を除いた、自己意識について感じる部分のことだ。つまり、<私>とは、自己意識の感覚──生まれてからこれまで、そして死ぬまで、自らが生き生きと自分の意識のことを振り返って、ああ、これが自分の意識だ、と実感し続けることのできる、個人的な主体そのもの──のことだ。<私>を振り返って、ああ、<私>だ、と感じる、再帰的な意識の状態のことだ。
前野隆司と前野隆司二号の違いとは?
たとえば、哲学者がよく例にあげる思考実験だが、「自分」の肉体を脳も含めて完璧にコピーできる機械があったとしよう。この機械で、前野隆司とうりふたつの複製を作った場面を想像していただきたい。
このとき、複製された前野隆司二号は、もちろん「意識」を持っていて、「私」も前野隆司だと言うだろう。何しろ、何もかも同じなのだ。しかし、さっきまで前野隆司の自己意識だったし、ずっと連続して前野隆司一号のほうの自己意識であり続ける<私>は、たったひとつだけだ。<私>が二号に乗り移るわけもなく、二号のほうの自己意識はぶきみな他人の自己意識であって、<私>ではないとしか思えない。こういう存在が、オリジナル前野隆司のほうの<私>だ。
別の思考実験をしてみよう。ある朝起きてみると、脳の中の<私>、つまり、自己意識をつかさどる部分が他人の脳に移植されていたとしよう。すると、<私>の肉体が前野隆司ではなくなったばかりか、記憶を意識する「私」も他人のものに移り変わっているはずだ。つまり、<私>は<私>のまま連続だが、「私」も「自分」も昨日までの前野隆司のそれではなくなってしまったということになる。
つまり、<私>は、「私」の自己意識から、前野隆司の意識である、という意味を除いた部分だということができる。
幼いころの私の疑問も、その点についてのものだった。この長い人類の歴史の中で、何十億人という人間の中で、どうして<私>は、前野隆司の自己意識として「私」の中に宿ったのだろう。千年前に生まれた人の自己意識だったとしても、今の隣の家の住民の自己意識だったとしてもよかったのに、なぜ、<私>は、今の「自分」の自己意識として生まれたのだろう。なぜ、ほかの時代と場所には出現しなかったんだろう。
仮に<私>が前野隆司の隣の家に住む人の脳に宿っていたとしよう。するとその人(<私>)の隣に住む前野隆司は今と同じ親の下に同じ遺伝子を持って生まれ、同じ性格と容姿と能力を持ち、同じように育ち、同じように今この文章を書いていることだろう。何しろ物理的に全く同じなのだから。違うのは、前野隆司が<私>にとって「自分」でなく、隣の住人であるということだけなのだ。それとも、その場合の前野隆司は、物理的には同じであるにもかかわらず、<私>でないという理由によって、<私>の肉体であった場合と違った人生を歩むのだろうか。だったら、「私」の中の何までが<私>なんだろう。
なぜ<私>だけが<私>なのか?
ご理解いただけただろうか? 他人の「意識」があるのはわかるが、どうして<私>だけが、他のすべての「意識」とは違って<私>なのか、と疑問に思うことのできる、その<私>のことだ。
成長するにつれ、この疑問のことはすっかり忘れてしまっていた。時々思い出しては不思議に思い、友達に説明したこともあったが、なかなかうまく説明できず、こんなことを考えるのは<私>だけなのかと途方に暮れたものだ。
しかし、三十歳くらいのころ、哲学者永井均の本『<こども>のための哲学』(講談社現代新書)を読むと、同じ疑問が書かれていた。同じことを考えている人がいることをはじめて知り、嬉しくて、永井先生に連絡を取ったものだ。同じようなことを考える人は多くはないもののそれなりにはいるそうだ。そして、この問題は独我論(自分がいなければ世界もないのではないか、という疑問についての哲学)の一種(変種?)であるということを知った。
ただし、幼いころの疑問への答えを知りたくて、いろんな本を読んだ結果、どうやら、この、なぜ<私>だけが<私>か、という謎は、哲学者の間でも未解決の問題だということがわかってきた。この本の著者

前野隆司(まえの・たかし)
1962年生まれ。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授。1984年東京工業大学卒業、1986年同大学大学院修士課程修了後、キヤノン入社。超音波モータや精密機械の研究開発に従事。1999年慶應義塾大学助教授、現在に至る。大学移籍後は、新型アクチュエータ、ヒトの触角、触角センサ・触角提示デバイス、遠隔操作型ロボット、生物の進化シミュレーション、進化・生命化するロボットなど、ロボットとヒトの研究に従事。著書に『錯覚する脳』(ちくま文庫)、『仏教と科学が発見した「幸せの法則」 』(サンガ)、『実践 ポジティブ心理学 幸せのサイエンス』(PHP新書)などがある。
私とは何か 「個人」から「分人」へ
ビジネス・経済

作品レビュー
2020/12/20
作品レビュー
2020/12/20
現代社会の最大のテーマ「ありのままの自分」「本当の自分」 それを根本から問い直す一冊。 以前、読書好きの友人が、こんなことを言っていた。 「人前で演じちゃう自分がいて、でも西加奈子の作品にそれを肯定する作品があって、それでいいんだなと思って救われた」と。 この話を聴いた時に、「演じる」ということについてもう少し深く考えてみたものの、うまく考えがまとまらなかった。 そしてその答えが、ここにあった。 人と関わる時、「演じている」というのとは別の、「その人の前での自分」がいること。 本作品では、それを「分人」と定義づけている。 その人の前では常に、「その人の前での分人」。 でもまた、別の人の前では別の分人が登場する。この、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」「ありのままの自分」である。 ヨガや瞑想の中で繰り返される「ありのままの自分」。最近のブームだ。 わたしはそれを、「人と違う意見であっても、自分がそう思うのならそれでいい」ことだと解釈している。 生きていく上で「自分がどう思うか」、を大切にしている。 それは他人とは違う。だから他人には「あなたはどう思うの」と常に問うている。 そこで出てくる答えこそが「ありのままの自分」の意見であって、みんな、ありのままの自分が一つしかないと思っている。わたしもそう思ってきた。 そしてそれをさらけ出せる相手こそがパートナーであるべきだ、とずっと信じてきた。 ありのままの自分は一人。つまり「本当の自分」。それを肯定したり高め合ったりするのが結婚なんだろうなと、そんな風に思ってきた。 そして、その自分らしさを見つけるために、足掻く。人生って、それにいつ気付いてどう実行するか、早い者勝ちなのかな、と思っていた。 オードリー若林さんの作品に必ず登場する平野啓一郎さんの「分人」という考え方。 実際は、「本当の自分」なんてものが一つ存在しているわけではなく、「分人」の集合体が自分自身、つまりそれら全て「本当の自分」である、という考え方。この作品は、自分という存在が揺らいでいる人の、救いになる一冊だ。 嫌いな分人も、好きな分人も、自分自身。好きな分人を足がかりに生きていくこと。例えば、虐められている分人だけが、自分の全てじゃない。虐められていない分人だっているはずだ。 「本当の自分」が一人しかいない、という考え方は、人を苦しめる。平野さんは、リストカットや自殺を「分人」の視点から解説する。 (P59)自傷行為は、自己そのものを殺したいわけではない。ただ、「自己像(セルフイメージ)」を殺そうとしているのだと。(中略)今の自分では生き辛いから、そのイメージを否定して、違う自己像を獲得しようとしている。つまり、死にたい願望ではなく、生きたいという願望の表れではないのか。もし「この自分」ではなく、「別の自分」になろうとしているのであれば、自分は複数なければならない。自傷行為は言わば、アイデンティティの整理なのではないか?そして、もし、たった一つの「本当の自分」しかないとするなら、自己イメージの否定は自己そのものの否定に繋がってしまう。 自殺については、以下のように解説する。 (P125)人間が抱えきれる分人の数は限られている。学校で孤独だとしても、何も級友全員から好かれなければならない理由はない。友達が三人しかいないと思うか、好きな分人が三つもあると思うかは考え方次第だ。(中略)そうして好きな分人が一つずつ増えていくなら、私たちは、その分、自分に肯定的になれる。否定したい自己があったとしても、自分の全体を自殺というかたちで消滅させることを考えずに済むからだ。 2020年、芸能界では多くの人が自ら命を絶って、特に春馬くんの死は本当にショックで、未だに思い出すと落ち込んでしまう。春馬くんも、他に命を絶った方も、否定したい自己の比率が、自分の全てを占めてしまったんだろうか。自己イメージは、一つじゃなくていい、否定したい自己は複数あっていい。でもたぶん、芸能界はきっとそんな世界じゃない。 また、薬物や不倫も、芸能人に発覚すると、ものすごい勢いで批判される。それはたぶん、芸能人とは別の分人が、芸能界での生活を成り立たせるためにしたことだと思う。しかし、不倫をした分人を責めるのではなく、その人全体を否定した報道がされる。どんなに家族を大事にした分人がいても、薬物をしていた分人がありのままのその人であるかのような報道がなされる。 分人主義は不倫を容認する考え方だ。今は時代として複数の仕事、コミュニティを持つ時代。不倫を叩きたがるのも絶対的に愛するその人を全体として見ているからであって、分人主義の考え方にのっとって考えたらそれは妻の前での夫、子の前での父である。だとしたら愛人の前での分人がいてもおかしくない、ということになる。なんだかいよいよ血縁とは別の視点から、家族の捉え方が変わってくるんじゃないかなって気がしている。 現代人が囚われている「本当の自分」という幻想。それに苦しむ人を救ってくれる言葉が数多く記されている。 平野啓一郎さんの作品にすごく興味がわいて、むっちゃ本棚登録した。 わたしは今まで彼の作品は読んでこなかったけれど、どのような想いでその作品を描いたかがわかるので、平野啓一郎作品の入門書としてもベストな一冊。
2022/7/31
「本当の自分はひとつじゃない。」 オビに書いてあるこの一言が、この本の主題だ。 あなたはひとつではない。いくつものあなたがいる。 …このように書くと、「えっ、多重人格?解離性障害?」とびっくりされる方もいるかもしれないが、多重人格者でなくても、人は多面性を持つものだ。 対人関係ごとに、様々な顔を使い分けている。そして、その顔全てが「本当の自分」なのだ。 本書は「分人」という言葉を使い、この概念を説明する。 そして核となる本当の自分、つまり「自我」はひとつとする、人を「個人」と捉える一般的な考え方の危うさを説く。 なかなか興味深く、示唆に富んだ内容だ。 ぜひ、「私とは何か」悩んでいる人に読んでほしい。 救いとなる考え方が散りばめられている。 生き方の指針にもなるだろう。
2021/5/2
課長に勧めていただき読了しました。結論から言って本書は最高でした。筆者が考える「分人」という考えは非常に考え深い言葉であり、自分の捉え方だと思いました。 「分人」とは「個人」の対義語です。筆者は自分は複数いると考えています。自分が複数と言うと多重人格など、あまりいい表現では使われない言葉だと思いますが、分人は違います。 上司に見せる愛想のいい自分。友人に見せるバカな自分。恋人に見せるカッコつけた自分。その全てが、本当の自分であるというのが、筆者の主張であり、本書の結論になります。 「本当の自分とは何か?」 こう言った疑問疑念を抱えている人は多いと感じています。私自身も先にあげたように会う人、グループにょって無意識にスイッチが切り替わっている自覚がありました。 これに対し少々後ろめたさがありましたが、本書を読み、全てが本当の自分であると言う言葉に救われた気がします。 私は本書を高校生や、大学生のいわゆるモラトリアム期間の若者に勧めたいと思いましたが、40代の総務課長が勧めてくださったことを考えると、もう少し、広い幅の人に刺さる本なのかもしれません。 本書は現時点で、私の人生を変えた本になるかと思います。
2017/12/30
ブクログの談話室でこの本を知り読みたくなりました。 考えることが不得手なので「私とはなにか」とかぶっちゃけ考えたことないのですが、この本の、人は「個人」ではなく「分人」で生きている、という考え方は人間関係を楽にするような気がします。日々暮らしていく中で出会う「他人」も 「分人」で私と交流してるんだ!と解釈できれば、「あの人は私とAさんとで態度が違う…」と悩まずに済みますね。お互いたくさんの「分人」を使い分け、影響しあってるんですねー。 自分も「分人」だととらえると「会社にいるときと、恋人といるときとどっちが自分の本性?(妄)」と思わずに「全部自分の「分人」なんだ…。」と思うと、なんていうか、観念します(笑) 興味深いのは本や芸術やペットに対しても「分人」で対応しているといっていること。そうか、谷崎潤一郎にハマった自分も「変態エロ魔神」が本性ではなく(笑)谷崎の「分人」によって影響されて出てきた私の「分人」のひとつなんだ、と思うと面白いです。 著者は芥川賞作家の平野啓一郎さん。 彼が「分人」の問題に絡め、過去作の解説もしている記述もあり読んでみたくなる。
2022/1/11
一個人同士の関係にて生まれる自分。 個人から「分人」へ とてもおもしろい考え方だと思った。 個人よりも一回り小さな単位を導入し、分人とする。 individual(個人)の語源は、もうこれ以上分けられないという意味。 inを取った、dividualは、(分ける)という意味。 私達は、コミュニケーションをとる相手によって違う自分がいる。 両親の前での自分。学校での自分。職場での自分。 それぞれの違う自分のことを分人という。 本当の自分(個人)という認識は腑に落ちにくい。 分人化して考えると、彼の前での私はリラックスしていて気分がいいとか、彼女の前での私はいつも緊張していてイライラしているとか。 でも自分を作っている訳ではなく、それらすべての分人の集合体で私(個人)なのである。 「誰かといる時の分人が好き、という考え方は、必ず一度、他者を経由している。自分を愛するためには、他者の存在が不可欠だという、その逆説こそが、分人主義の自己肯定の最も重要な点である。」 比較的新しい友人と話していて、自分に対する評価が思ったより高めの時、「自分は本当はそんな人じゃないのに」と感じる。 と同時に少し嬉しい気持ちにもなるが、とてもじゃないが素直に喜べない。 理由は2つあり、1つはこのままの評価を継続できないということ。2つめは幼い頃からの積み重ねである私自身が散々周りから言われてきた評価との相違であるということ。 私はその評価を後者に戻そうとしてしまう相手には、比較的心を許している。(深く考えたことはなかったのだが、その傾向がある事に気付いた。) 相手との関係がぎくしゃくしているということは、お互いの分人がそのような対応をしているということなので、半分は私の出方次第という解釈をした。 自分がバリアを張っていては相手も感じ取る。 改めてそこだけを切り取って考えてみると今まで漠然と雰囲気で解決しようとしてきた事がどんなに難易度の高いスキルだったことか。 「分人」という考え方で腑に落ちたのだ。 著者の作品は一冊だけしか読んだ事がなかった。 「マチネの終わりに」は、私にとっては苦手な小説だった。 このような恋愛が数多く存在するのか。知的な世界観で私の性格上縁遠いかも。 分人はそれぞれの恋愛をすることができるそうだが、それは非常に納得できる。笑 たくさんの分人がいることは深い喜びであり、本当の自分はこうと決めなくても良いと言われたことでなんだか心がとても落ち着いた。
2021/6/20
著者の作品で読みたいと思うものが幾つもある中で初読みとなったのが本作(新書)でした。 「個人」から「分人」という考え方、これって凄い着眼点だと思います。 人は一人では生きていけない。 故に、多くの人とかかわることで生まれるのが対人関係での悩み。 これって凄く辛いことですよね。 「個人」って最小単位だと思っていましたが、「分人」という視点で考えれば多くの人が救われる気がします。 タイトル「私とは何か」って、やはり皆んなが考え、答えを見出せないもののように思います。 「本当の自分」って? まだ活字にして答えることなんて出来ませんが、本書にて新たな視点を得ることが出来ました。 そして「分人」という考え方は著者の「ドーン」(長編小説)で出てくることも知りました。 近いうちに気になっていた著者の作品を読んでみようと思いますが、本作は是非とも多くの方に手にして頂きたいと思える一冊。 《メモ》 日本語の「個人」とは、英語のindividualの翻訳で、一般的に広まったのは明治になってからである。しばらくは「一個人」と訳されていた。 individualはin+dividualという構成で、divide(分ける)という動詞に由来するdividualに、否定の接続後inがついた単語である。individualの語源は、直訳するなら「不可分」、つまり「(もうこれ以上)分けられない」という意味であり、それが今日の「個人」という意味になるのは、ようやく近代に入ってからのことだった。 〜〜〜〜〜 本書では以上のような問題を考えるために、「分人(dividual)」という新しい単位を導入する。否定の接続後inを取ってしまい、人間を「分けられる」存在と見なすのである。 分人とは、対人関係ごとの様々な自分のことである。恋人との分人、両親との分人、職場での分人、趣味の仲間との分人、…それらは、必ずしも同じではない。 〜〜〜〜 一人の人間は、複数の分人のネットワークであり、そこには「本当の自分」という中心はない。 個人を整数の1とするなら、分人は、分数だとひとまずイメージしてもらいたい。 《ステキな言葉》 愛とは、相手の存在が、あなた自身を愛させてくれることだ。そして同時に、あなたの存在によって、相手が自らを愛させてくれることだ。 説明 内容紹介 嫌いな自分を肯定するには? 自分らしさはどう生まれるのか? 他者との距離をいかに取るか? 恋愛・職場・家族……人間関係に悩むすべての人へ。小説と格闘する中で生まれた、目からウロコの人間観! 内容(「BOOK」データベースより) 小説と格闘する中で生まれたまったく新しい人間観!嫌いな自分を肯定するには?自分らしさはどう生まれるのか?他者と自分の距離の取り方―。恋愛・職場・家族…人間関係に悩むすべての人へ。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 平野/啓一郎 1975年、愛知県生まれ。小説家。京都大学法学部卒。1999年、在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第一二〇回芥川賞を受賞。以後、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
2021/5/11
気になっていたけど、読みそびれていた本を読もうキャンペ〜〜〜ン。 冒頭に「『個人』から『分人』へ。」と掲げられているとおり、「私」や「自分」の捉え方、人間関係の考え方について説かれた本。 人は、対人関係の中で、常に複数の人格を生じさせながら生きている、ということらしい。 なるほどなあ、と思ったのが、分人は他者との相互作用によって生じるため、ネガティブな分人が生じても半分は相手のせい、逆に、ポジティブな分人もまた半分は他者のお陰、とする考え方。 「お互い様」と言ってしまえば一言だけど、すごく楽しい関係にも、反対に苦しい関係にも、振り回されすぎず、心のバランスとりやすい捉え方で、良いなあと思いました。 心のノートにメモメモ。 最後に紹介されていた夏目漱石の「私の個人主義」という講演が気になるので、いずれ読んでみようと思います。
2017/9/7
唯一無二の「本当の自分」なんてない。 自分探しで苦悩している若者、対人関係で生きづらさを感じている人に、特にお勧めな1冊です。 高校時代、友人の未知の一面を目の当たりにしてショックを受けたことがあります。私の知っている彼女は、偽りの彼女だったのか、と。 当時は森絵都さんの「カラフル」を読んで救われ、人には多面性があることを受け入れることができました。 ところが成長するにつれ、「本当の自分」と「様々な一面(ペルソナ)を持つ自分」という解釈だけでは生きづらさを抱えるようになります。 そもそも「本当の自分」なんてものはなく、「本当の自分」=「思い描く理想の自分」に過ぎず、掴まえようとしても指先からすり抜けていく幻のようなものだとやがて割り切るようになりました。 なのでずっと思い悩むことはなかったものの、釈然としないモヤモヤ感が残っていましたが、この「分人」という概念は非常にしっくりと腑に落ちるものでした。 本書でも書かれていますが、複数の分人を生きることは、精神のバランスを取るために必要なことかもしれませんね。自分が自然体でいれる場所、自分の好きな分人でいれる相手との繋がりは大切ですね。 恋愛についての「愛とは、「その人といるときの自分の分人がすき」という状態のこと」という説明も、非常にしっくり。 人間が他者との相互関係の中で生きていることを考えれば、この「分人」の概念を持っていることで随分と生きやすくなるように思います。 さらっと流してしまいがちな観念について、小説を書きながらこんな風に丁寧に向き合う著者が素敵だなと感じました。小説も読んでみたい。
2020/7/26
内容紹介 (Amazonより) 嫌いな自分を肯定するには? 自分らしさはどう生まれるのか? 他者との距離をいかに取るか? 恋愛・職場・家族……人間関係に悩むすべての人へ。小説と格闘する中で生まれた、目からウロコの人間観! 〝分人〟という聞き慣れない言葉で内容がなんだか難しく感じますが 私も同じようなことを考えていたのでとても共感しました。 〝たった一つの「本当の自分」など存在しない。裏返して言うならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である。〟 この人と一緒にいる時の自分が好きで 居心地も良いと思える人となるべく多く接していたいと思っている。これは人に限らず 好きなこととかでもそれをしていたり考えていたりする自分が好きってことでもいいんだけど… 逆に中にはどうしても接しなければならないけど あまり好きになれないと思う人とは程々に苦にはならない程度に接するようにしている。 全ての人と上手くいくのは到底無理だと思っているし 自分のことを嫌いになってしまうと私は生きていけないような気がするので 好きな自分を探している。
2021/2/3
本書は、私=分人の集合体と定義しています。 この考え方なら、これからいくらでも分人という名の私らしさを作っていけるじゃん!とわくわくしました。自分のなりたい姿がある。それなら環境を変えたり付き合う人を変えることで、私の中の理想的な分人や好きな分人を少しずつ作っていけばいい。 これは逆も然り。嫌いな自分の一面があるのなら、自分を全否定するのではなく「この分人イケてないな」くらいにしておく。すると少しは心が軽くなるかもしれませんね。 こうして素敵な分人を増やして基盤にしていくことで、自分を肯定し多様な自分を楽しめそうです。
2020/12/19
平野啓一郎さんを読むのはこれで2度目。1冊目は「マチネの終わりに」だった。なので、エッセイを読むのは初めてとなる。 この本で提唱されるのは「分人」という考え。人を「個人」という単位ではなく、「分人」という単位で考える。 分人とは、所属している組織ごとに、あるいは対している人ごとに生まれる自分の一面。本当の自分という核は無く、それぞれの分人が全て本当の自分である。そして分人たちの構成比率が「個性」となる。 という考え。なるほど、面白い。画期的に新しいというわけではないけど、こういう考え方もあるよなと。特に、若い方にはおすすめできるかもしれない。 自分を好きになる方法として、好きな分人を探す、というのは面白かった。つまり、「この人といる時の自分は好きだ」みたいな。それはグッとハードルが下がる感じがする。 また、筆者が生きてきた時代性を随所に感じられるのも良い。そして筆者による純文学の紹介もまた、純文学への良い興味喚起になりそう。 三島由紀夫が恋を、谷崎潤一郎が愛を描いたというのはなるほどという感じ。 総評すると、若い頃の自分におすすめしたい1冊。ふっと悩みが軽くなるような、人生が少し拓けるような読書体験。 (書評ブログもよろしくお願いします) https://www.everyday-book-reviews.com/entry/%E7%A7%81%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B%E5%80%8B%E4%BA%BA%E3%81%8B%E3%82%89%E5%88%86%E4%BA%BA%E3%81%B8_%E5%B9%B3%E9%87%8E%E5%95%93%E4%B8%80%E9%83%8E
2014/11/16
「本当の自分は何か?」「自分には個性がない」自分は何者なのか?その問いに人々は頭を悩ませる。自分を探して旅に出たりする。 確固とした唯一無二の「本当の自分」なんてものは存在しない。 誰といるか、どこにいるかによっていくつもの自分の姿は現れる。分割不可能な個人ではなく、分割可能な〝分人〟であると、著者は言う。 それで思い出したのが、自分の高校生の頃。 私は、教室では、明るくノリよくみんなみたいにおしゃべりできない、いけてない人。一年間で一言も話したことがない人がクラスにいて自分が話しかけたら、迷惑だろうと、思っている。通学路で一緒に帰るなんて、会話が持たないのが怖いからできない。 教室から出て、職員室や図書館の司書室にいる先生たちのが愉しく話せる。美術室には、自分の教室での顔を知らない人たちがいる。 さらに高校の外の、絵の先生や近所の児童書専門店の店長とは愉しく話せる。 教室にいることは心地よくない。 それなのに、外の人とは話せる自分って何だろう?と、思っていた。自分は根暗なのか?それなのに、年上の大人とは話せるのはどうしてか? 親に向けた自分の姿があり、高校での自分の顔を知られたくないとも思っていた。 今思えば、教室での分人をうまくつくれなかっただけのこと。つくるためのそこにいる人たちとの共通言語や関わりの作法(みんなが手を叩いて笑うことを同じように笑えるようなこと)を持てなかったということ。 他の分人で心地よいところを選び、それがあったからバランス取れていたのだと思う。 分人、自分の様々な側面は相手との相互作用、関係性から自然に引き出される。 分人が複数あるからアンバランスではなく、だからこそバランスを保っていると、著者は言う。 学校だけとか、家庭だけ、仕事だけでは生まれない。場と自分の硬直した関係ではなく、個人のしなやかさと、出入り自由な場所、環境が必要ってことですね。 そもそも人は多面的で変わりゆく存在なら、「こんな人だとは思わなかった!」とか、「昔はこんな人ではなかった」と言うことは、ナンセンス。 それは、あなたが見ていた、その人の分人でしかない。 分かり合えない部分があるのが人間。 これを読んだ人は、「分かり合えないことから」平田オリザも読むとよいかも。 分人とゆう著者なりの定義付けに目からウロコ。 とってもよい本でした。
2017/6/21
これまで生きてきてどこへいってもつきまとってきた、「この今の自分は、この人に見せて大丈夫なやつだっけ?」の怯え。「こんな一面があるんだね」と思われる恥ずかしさ。 こういった自分の欠点と思ってきたことを『分人』という言葉で理路整然と説明してくれた! 『分人』という概念を持っているだけで、色々なことに説明がつく。腑に落ちる。 以下、本書より得たこと。忘れないように。 ・あることで悩みを抱えていたとしても、それは自分の中にいくつもある分人のうちの一つであって、居心地の良いと感じる分人の割合を大きくして足場にしていけばいいのだ。 ・この人のこと本当に好きなのか?と思ったならば、この人といるときの自分は好きかどうかを問うたらいいのだ。 ・どんな犯罪者であっても、それは社会でそれまでに経験して培われてきた分人が成した犯罪であって、そのプロセスをトリミングしてその人間のみを悪人だと決めつけてはいけない。トリミングの外側を見ること。想像力を持つことを忘れないこと。
2020/9/23
たった一つの「本当の自分」など存在しない。 対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である。 個人:分けられない存在 分人:個人を分けられる存在とみなした概念 異なる知り合い、ネットとリアルの口調のように、個人が持ってる色々な顔が初めて明らかになったとき、我々は「ホント/ウソのあいつ」という文脈で語ってしまう。 しかし、これは誤りである。分人は、誰かが一方的に決めて演じるのではなく、あくまで相手との相互作用の中で生じる、コミュニケーションによるものだから。関係性の中で変化しうる。 また、「本当の自分」には実態がない。 分人はすべて「本当の自分」であるが、近代以降の「私」とは何かというアイデンティティの尊重が、この考えを邪魔する。 「あなたは何者か?」はつまるところ、「あなたの個性は何の(仕事の)役に立つ?」という問題と、表裏一体であった。しかし、人間の個性ほど、職業は多様ではない。この2つの衝突が、引きこもりや自分探しの旅のような、「ここではないどこかに本当の自分がいる」という考えを生み出してきた。 リアルとネットとの間に、本当と虚構との境界線を引くことは間違いである。 分人は、特定の誰かとの反復的なコミュニケーションによって形成される、一種のパターンである。 【分人の生成過程】 ・ステップ1…社会的な分人 挨拶、天気の話のように、広いコミュニケーションと汎用性のあるやりとりをする。より具体的な分人へと分化する準備ができた状態 ・ステップ2…グループ向けの分人 社会的な分人がより狭いカテゴリーに限定されたもの ・ステップ3…特定の相手に向けた分人 八方美人…分人化のたくみな人ではなく、誰に対しても、同じ調子のいい態度で通ずると高を括って、相手ごとに分人化しようとしない人 私たちは、多種多様な分人の集合体として存在している。どのぐらいの分人を抱えているかは、「自分が心地よく感じる分人の数」によって決まる。 そして、誰とどう付き合っているかで、自分の中の分人の構成比率は変化し、その総体が、自分の個性となる。 すなわち、個性を決定するのは「誰と長く付き合うか」である。自分という人間は、複数の分人の同時進行のプロジェクトだ。 恋は不可避的で、相手と結ばれたいと思う激しく強い感情。愛とは持続する関係で、相互の献身の応酬ではなく、相手のおかげで、それぞれが、自分自身に感じる何か特別な居心地の良さ 【分人の観点から愛を見ると?】 愛とは、「その人といるときの自分の分人が好き」という状態。愛とは、あなたの存在によって、相手が自らを愛せるようになること。 愛、嫉妬といった感情は、つまるところ、自分に向けられている分人の構成比率が、人と比べてどれぐらいなのか?から生じる感情である。 個性とは分化であり、常に新しい環境・新しい対人関係の中で変化していくものである。 個人とは、人間を個々に分断する単位であり、分人とは、人間を個々に分断させない単位である。 私たちは、隣人の成功を喜ぶべきである。なぜなら、分人を通じて、私たち自身がその成功に与っているからだ。そして、私たちは隣人の失敗に優しく手を差し伸べるべきである。なぜなら、その失敗は私たち自身にも由来するものだからだ。 一人の人間が抱えている複数の分人は、混ざり合っていたほうがいいのか、分かれているほうがいいのか。それは両方があり得る。相互に混ざり合うことで新しい価値観を生み出すのもいいし、完全に分かれることでマイノリティを尊重するのもいい。 今日の社会において重要なのは、分人によって複数のコミュニティに参加することである。私たちの内部の分人を結び付けることで、社会の分断を防ぐことにつながる。 私とは何か――「個人」から「分人」へ を読んで 本書の中で筆者は、個人という「分けられない概念」ではなく、「分人」という「分割可能な」概念を提唱している。 ①接する人により異なった顔を見せる「分人」という概念 我々は、自分の人格の中に確固たる絶対性を持っていて、それが「個人」であると考えている しかし実際には、私たちは付き合う人々によって異なる顔を持っている。高校時代の友人、職場の仲間、パートナー等、多数の人々と付き合うときには、そのコミュニティに合わせた態度で接することが多い。 つまり、自分を形成しているのは異なる顔の寄せ集めであり、確固たる「個人」などは存在しない。付き合う相手事に異なった自分=「分人」が存在しているのだ。 ②個性とは分人の集合体である 近代以降、人々は「個」を強く意識し、「私とは何者か」を追求するようになった。ここにおいて、「個性」を獲得することが人生において善なる行為だと語られてきた。引きこもりや自分探しの旅をする若者が絶えなかったのも、自分の内に個性を見出そうとするイデオロギーの結果である。 しかし、分人という概念を考えてみれば、「個性」というのは「分人の集合体」であると言える。 分人は人との関係性において決定される概念であり、他者との関わりのウエイトによって分人の構成比率が変化し、その総体が自分の個性になるのだ。 個性とは分化であり、常に新しい環境・新しい対人関係の中で変化していくものと言える。 ③個人という分けられない概念とは違い、分人は人々との関係をより細かく分割し、フレキシブルな人格として「私とは何者か」を決定づける 分人は接する人々との関係性であるため、最初から固まっていることはなく、形成過程がある。社会的な分人、グループ向けの分人、個人的な分人というように、順を追って特定の人に特化してくるのだ。 これを言い換えれば、分人の数によって性格が変わることになる。 この言葉に反発を生む人は多いだろう。裏表のある性格、人によって態度を変えるヤツは、時に「薄情者」とみなされるからだ。しかし、性格に裏表があることは、決して悪いことではない 多数の性格は、あくまで私と言う人間のパーツに過ぎない。それらが寄り集まって、一人の人間を形成している。裏表を含めてその人自身なのだ。しかし、接する人は自分向けの「分人」しか見ることができないため、「あいつは裏では何を考えているか知れない」といった疑いが生じる。 相手の分人の表情が変わることは、自分が第三者との関係で劣位に立たされているということではないのだ。そこをきちんと理解しておく必要がある。 加えて、相手の分人を通じて、「自分の他にも異なるコミュニティが多数存在している」ということを自覚しておかなければならない。どれか一つの個人に縛られずに、分人によって複数のコミュニティに参加することは素晴らしいことである。なぜなら、それが社会の分断(分人同士の排他性)を防ぐことにつながるからだ。 感想 私は、「自分は何者か?」を考えたとき、性格、思考、好き嫌い、人間関係など、あらゆる側面を過去から未来にかけて比較分析した。 その上、「人間は周囲の環境によって何色にでも変わる」ということを実感した。 私自身、小・中と引っ込み思案な人間だったが、高校で気の合う仲間たちと出会ったことで、性格が変わったように感じた。また、大学では不真面目な人間であったのが、社会人になって学びの楽しさを知ってから、より社会に貢献できる仕事がしたいと考えるようになった。 ある分人の価値観は他の分人にも影響を及ぼすため、人格がフレキシブルに変わっていくことは珍しくない。そういう意味では、個性とは人生のステージごとに変化するつかみどころのない概念なのかもしれない。
2020/11/8
「個人=in-dividual=分割不可能なもの」としての人間の捉え方というのは、必ずしも普遍的なものではなくて、キリスト教の伝統と近代という特殊状況のなかで生じたものでしかないとするならば、それとは別の人間観というものも可能であるはずだ。まして「個人」という人間観が現代人に無用な苦悩を強いているならば、なおさら新たな人間観の構築が望まれることになる。「分人=dividual=分割可能なもの」という考え方はそうした試みのひとつであると言える。 「分人」とは、多様な他者の眼差しと対峙した自己がそのつど現す個々の姿のことである。 「個人」という人間観からは、内なる「本当の自分」と、表層において無数に分裂した「仮の自分」という、疎外論的な二項対立図式が導かれる。他方で「分人」という人間観からは、特権的な中心をもたない多様な諸「分人」のネットワークの総体という新たな人間像が導かれる。 「個人」が他者から隔絶した存在であるのに対し、「分人」は多様な他者との相互関係において開かれていく多様な自己の諸相ということになる。この意味で「分人」とは、否応なく他者が自らの内に溶け込んできてしまっている自己の在り方であると言える。自己は常に多様な他者との反照関係のうちにあり、それゆえに自己それ自体が同時に他者との融合のうちにある。自己は、自己に対する他者の反映である。「個人=in-dividual=分割不可能なもの」が「他者からの分割可能性」を含意していたのに対して、「分人=dividual=分割可能なもの」は「他者との分割不可能性」を含意していると言える。諸「分人」の束としての自己には、常に多様な他者の存在が表裏一体となって張りついているのである。自他の区別というのは、「個人」主義的人間観が考えるほど単純なものではなさそうだ。 そして、他者の他者たるゆえんが、何としても自己に従属させ得ぬその余剰性であるとするならば、他者に対して常に開かれているという「分人」の人間観は、人間が常に変容の可能性に対して開かれているということを意味する。他者がその定義からして全き未知の存在である以上、自己もまた自己に対して未知であると言える。 これは希望ということそのものではないかと思う。「分人」概念が希望とつながっていくのは、このように自己の内に他者と接続する回路を見出した点にあるだろう。 人は他者との出会いを通して、そのつど他者と溶け合いながら自己を更新していく。と同時に、自己もまた他者のなかへと滲み出ていくのである。
2022/9/14
筆者が小説家であるからか、読みやすい新書。具体例もわかりやすいので、高校生にオススメ(実際入試に採られてる)。まとめや太字が入るのも丁寧。 最近コミュニケーション苦手かもと感じることがあったので、柔軟な社会的分人というやつを持ててないのかもなーと思った。 他者の分人も、接する自分によって生じるというのもすごくわかる。 そして、好きな分人が一人でもいればいいじゃないか、という考え方がとても良いと思う。こっちがダメならあっちがある、でいいじゃない! その人といる自分が好き…というのは確かに愛かも。
2020/12/8
分人とは、人間が対人関係ごとに見せる顔のこと。ひとりの人間は分人の集合体であるという考えに基づいて、自己や他者についての捉え方が考察してある本。 誰かとの関係がうまくいかないときは、自分の中の他の分人を足がかりに生きれば良い。分人という考え方ができたら、視座が上がって自分のことも他者のことももっと寛容にみれるようになる気がする。 後半の愛の考察も良かった。『愛とはその人といるときの自分の分人が好きという状態。』相手の存在を通して自分を好きになる。そういう分人を増やしたいし、自分も誰かの愛の対象になれたら良いなと思った。 今年読んだ本の中でもベスト3に入るくらい、面白かった!
2020/6/30
人生が変わったって言い過ぎかもしれないけどそのレベル・・・! 家族に対してのわたし、中学の友達に対して、高校、大学、バイト先、塾の友達、、色んなコミュニティがある中で、全く違う自分ではなくともやっぱり少し違う。でも演じてるわけでも、キャラクターでもない、わざとやってるわけじゃない。どうしてだろう?と不思議な気持ちに その謎がぜんぶ解決された、変わることも怖くなくなった、嫌われたってうまくいかなくたってわたしの本質がだめわけじゃない、ある「分人」がうまくいってないという結論 好きなフレーズ ・たった一つの「本当の自分」など存在しない。対人関係ごとに見せる複数の顔がすべて本当の自分である。 ・アイデンティティの動揺は時代を問わず、誰もが成長のプロセスで経験する ・「私」は孤独ではない、むしろ他者との相互作用の中にしかない。→反復的なコミュニケーションを通じて人格が形成される。 ・その人らしさ=個性→複数の分人の構成比率によって決定される。→分人の構成比率が変わることもある。(他者との関係性が変わることで)→個性も変わる=個性は唯一不変のものではない。 ・自分のことが嫌になっても、それは自分の中にいる一つの分人。うまくいってなくても、その分人を自分の本質と規定しない。また新しく分人化すればいい。
2020/4/26
たったひとつの 「本当の自分」なんて存在しない。 対人関係ごとに見せる、 自分の複数の顔ひとつひとつ(分人)全てが 本当の自分。 この考え方…すごい!! 大好き(^^)! 好きな分人を生きると、 今よりもっと 自分が好きになれるね(*´ー`*)
2015/10/31
作者 平野啓一郎 初めて読んだ。他に小説は読んだことはない。 「本当の自分」など存在しない。 対人関係ごとに見せる複数の顔がすべて「本当の自分」 パリでの語学学校の話、高校・大学時代が一緒にした友人の話、 個人は分けられない、しかし他者とは明確に分けられる。 複数のコミュニティへの多重参加→大事 内部の分人には融合の可能性がある。 また、好きな人嫌いな人というより、誰といる時の自分が好きか嫌いかで、相手の好き嫌いができてしまうというところがわかった。 相手のことよりも、むしろ、そこにいる自分のことをどう思うか。
作品レビュー
2022/8/7
気持ちがスッと楽になった。 ひとつだけの個性の個人ではなく、人は分人としてさまざまな個性で生きているもの。本当の自分はひとつではなく、周囲との関係で使い分けていて、それぞれ自分。他者との関係で人は作られていく。 日々過ごしていればいいことも、そうでないこともある。良いときも周りの人たちのおかげと思ったり、今はこっちはネガティブだけど、こっちの自分はポジティブと考えられるだけで気持ちが軽くなる。 その相手といるときの自分が好きかという点にはハッとさせられた、他者を経由した自己肯定感。自らの存在が他者の自己肯定感にも影響を与えているかもしれないんだなと、、
2021/9/7
個人をさらに分けて「分人」という考えなのかと思ったのだけど、そう単純な話でもない。 他人の関係、その場での役割など、社会との関係性から、私たちの人格は形成されている。 自分の実体験と絡めて考えることができた。 あの人とこの人で、出てくる自分が違うという感覚に、ちょっとした気持ち悪さを感じたりもしていた。 だからこそ、分人という考えはしっくりきたし、 違っていて当たり前なんだと思えた。 小さいころ、友達と一緒にいる自分を見られる気恥ずかしさ…。 あるあるあるー!と共感した。 あれも分人の違いからかと。 人によって態度が違うとか、 本当の自分はなんなのかとか、 悩み事の理由は、確たる自分がいると思うから…。 たったひとりの個人としての自分から、 他人との関係によって作られた分人という考えに変えるだけで、 人間関係がもっとクリアになる。 自分が嫌いと思う人にとって、 自分は相手によって変わると知ることで、 楽になることもたくさんあるだろう。 自分自身だけではなく、他人を理解するときにもとっかかりになる考え。 自分に見せている部分と、他人に見せている部分は違う…。 以前名越康文さんが、人によって自分が違うのは当たり前という話や、お互いの良い部分をだし会える関係を「相性がいい」といっていたのを思い出した。 だからこそ、人を理解することって難しいと改めて思えたし、誰かから見えるその人の姿もその人の大切な一部分なんだと思った。
2012/9/25
著者と似たような年代だからなのか、話にものすごく共感できた。 「個性を持ちなさい」といわれ教育されて来た世代で、インターネットなどによるコミュニティの普及で「分人化」が急速に進んだ世代。 だからこそ共感できたのかもしれないが、もっといろんな世代のヒトに読んでもらいたい、大切な一冊になった。 自分自身の中でも、「あっちに対する性格」「こっちに対する性格」に違和感を感じたり、苦しみを感じたり、人間関係がうまくいかない人とのやり取りで苦しんだり…。 しかし著者の「分人」という考え方で、すんなりと、「これでいいのかもしれない」と思えるようになりました。 なんか新興宗教とか新手の自己啓発本読んだあとのような感想になってしまいますが、こんなにストンと納得できた本も珍しいです。 著者の本は「決壊」しか読んでいなくて、しかもここの感想はさっぱりしたもの程度だったので読み直してみたいです。感想が変わりそうで楽しみ。「ドーン」「空白を満たしなさい」や作中で出てきた古典を読んでみようと思います。持ち歩きたいくらいいい本。
2021/9/25
p68 一人の人間の中には、複数の分人が存在している。両親の分人、恋人との分人、親友との分人、職場での分人、……あなたという人間は、これらの分人の集合体である。個人を整数の1だとすると、分人は分数だ。人によって対人関係の数はちがうので、分母は様々である。そして、ここが重要なのだが、相手との関係によって分子も変わってくる。開係の深い相手との分人は大きく、関係の浅い相手との分人は小さい。すべての分人を足すと1になる、と、ひとまずは考えてもらいたい。 p89 誰とどうつきあっているかで、あなたの中の分人の構成比率は変化する。その総体が、あなたの個性となる。….個性とは、決して生まれつきの、生涯不変のものではない。 p138 愛とは、相手の存在が、あなた自身を愛させてくれることだ。そして同時に、あなたの存在によって、相手が自らを愛せるようになることだ。その人と一緒にいる時の分人が好きで、もっとその分人を生きたいと思う。
2021/4/29
この本を読む前は、何か人間関係にもやもやしていた。自分のことをとても面白いと思ってくれる人がいるのに対し、こんなにも会話が上手くいかない、苦手な人がいることがあるからだ。 本を読んで、自分の分人の種類と、自分がどの時にどの分人が好きなのかなんとなくわかるようになった。そして、今までの人間関係のもやもやがスッキリした。 これからは自分の好きな分人の割合を増やすために色々な人と関わっていこうと思った。そして相手といる時に自分が好きな分人になれる人をたくさん作りたいと思った。
2020/5/12
分人という考え方をすると、世間の言う「本当の自分」という一つのものを探さなくても良いんだと思った。 私は過去に、「作ってない本当の自分を見せてほしい」と職場の人に言われたことがある。私は「職場での自分も作ってない自分なのに。」と思っていた。その時のもやもやの理由が分かった。 また、今楽しく暮らしているのは、私が大切にしたい家族や友達の分人をちゃんと大切に、割合を多くして接しているからだと思った。 これからも、無駄な分人の関係は最小限にとどめ、私が大切にしたい分人の関係を重視して楽しく生きていきたい。 本の中で好きな言葉は、 「好きな分人が一つずつ増えていくなら、私たちは、その分、自分に肯定的になれる」
2022/3/6
ずっと読みたかった本。面白かった。単純に明日からの人生が楽になる気がする。分人主義から分断を乗り越えるまで持っていくのはさすが。
2020/12/17
ずっと気になっていた本。新しい考え方に出会うことができた。 私自身も家族と接する時、友人と接する時、職場で人と接する時(一口に職場でと言っても先輩や同僚、後輩などそれぞれ)とでは接し方が異なる。その違いに違和感を抱くこともあった。 具体的に言うと、家族には方言で話し、より落ち着いている気がする。仲の良い友人にはより明るく、内向的な私も積極的に話すことがある。 著者曰く、この違いは他者と接する上で自分が分人化することで生じるらしい。目から鱗だった。 個性とは分人の構成比率。分人の構成比率を変えるには付き合う人を変えること。環境が人を作るのだと改めて思わされた。 恋はエロス、愛はアガペー。そして愛とはその人といる時の自分が好きという状態。即ち愛とは、相手の存在が自身を愛させてくれること。とても腑に落ちた。 どうして殺人はいけないのか、罪の半分は社会にあるなど、分人という考えを通して述べられており、どれも納得させられた。 この本に出会えて良かったと思う。定期的に読み返したい。
2021/1/24
本当の自分探しをしたり、自分が仮面をつけているような感じがして悩んでいた十代の頃の自分に教えてあげたい一冊。本当の自分なんていないし、人によって振る舞いが変わるのは当たり前。自分の体験と照らし合わせ、とてもすんなり理解できた。「愛とは、相手の存在が、あなた自身を愛させてくれることだ。そして同時に、あなたの存在によって、相手が自らを愛せるようになることだ。」名言だと思う。「嫌われる勇気」にも似たようなことが書いてあったような。
2020/3/16
小説家の平野さんが書くからこそ 読みやすくて分かりやすく書かれている。 自分の中にはたくさんの人の人生が詰まっていて 自分の人生もたくさんの人に影響を与えている。 ニュースで事件が報道されていると いつも自分の言動を見つめ直す自分がいたけど それも心の中では『分人』の考えがあったのかもしれない。
2014/5/5
自己の個性とは如何に形成されるかということを「分人」という概念で分析される本書はすぐれた哲学書に感じられた。筆者は小説家なので煩雑な専門用語がちりばめられることなく読みやすい。何度か再読したい」本の一つだ。
2020/10/13
この本を読んでみたくて見つけた『「分人」シリーズ合本版』で『空白を満たしなさい』『ドーン』と合わせて読了。 個人という単語はindivisualを訳したものであり「これ以上分けられない」という意味を持つ単語であるが、身体的にはともかくとして内面としてはむしろ複数の分人divisualsからなっているのが我々人間ではないか、という話。 付き合う人や場面によって「キャラ」を使い分け、その「キャラ」や「仮面」の裏側に「本当の自分」がある、というのは「分けられない個人」信仰によるものであり、分人主義は単なるキャラの話ではない。相手との関係性によって、相手からの影響も受けて自然とできあがるあり方であり、私たちは内面に複数の分人を抱えながら生きている。 付き合う人を変えることの効果はこれまでもいろいろなところで言われてきたが、私たちは影響を相互に与え合うことで成り立っているのであり、付き合う人や付き合い方をかえることで自分の中の分人の構成比を変えていくことができる(自分の中の分人同士も相互に影響し合う)というのは面白く、腑に落ちる部分が多い。人間は社会を構成する社会的な動物であるというけれど、「社会的動物」ということの意味を捉え直すことができる考え方。 福祉や教育など対人支援に関わる人も読んでみると面白いのではと思う。例えばDVや児童虐待等の被害者の支援を考えるときに、新しい環境の中で新たな分人を作っていくことを考えること、特定の分人を小さくしたり消去して新たな自分を生きることができると伝えられること、そしてとはいえ被害者は加害者との分人の構成比が高い状態からスタートしているということなど支援者間で、支援者と被支援者の間で共通認識を作りながら支援を進めていくことができると良いのではないか。 個性の尊重が言われつつ、同調圧力が働きやすい社会の中で新たな個人としてのあり方を考える一つのとっかかりにすることができる考え方だと感じる。 以下、その他考えがいのあるテーマをいくつか。 ・自分探しの旅は新しい分人を探す旅? →これは本書の中で語られていたこと。確かに、と思う部分がある一方で、だとしたら人との関わりを重視する旅でない場合新たな分人は生まれず自分探しは失敗するのか?知らない環境で自分一人になって考えること、つまりは内省的なあり方と分人の構成比の変化はどのような関係にあるか。 ・分人の発達段階 →親しくない人や公的な場面において出てくる「社会的な分人」、そこからある程度分化した特定の属性の集団に対しての「ブループ向けの分人」、そしてさらに関係が深まり一対一の関係において生まれてくる「特定の相手への分人」。この段階があるという話と、どの段階の分人をどの程度持てていると自分として心地よいかは変わるのでは、という話。内向的な人と外交的な人との違いの文脈で考えると面白そう。内向的な人は社会的分人やグループ分人でいる時間が長いと疲れてしまう、とか。同じ内向的な人でもグループ分人は居心地がいい人とか、グループの人数によるのではとか。 ・特性のビッグファイブ理論と分人 →上記の内向性・外向性の話の派生で個人特性のビッグファイブ理論と絡めて考えるのも面白そう。開放性、誠実性、外向性、協調性、神経症傾向の5つの特性と分人の構成比のあり方の関係など。 ・リモートワークと分人 →オンライン会議における難しさの一つとして「個室あるいは一人になれる環境の確保というのがある」が、これも分人との関係で考えると分かりやすい。仕事モードの分人と家庭モードの分人は異なるものなので、例えば子育て中の人が「子ども抱きかかえながら会議出てもいいよ」と言われても「いやそういう問題じゃない」となったりする。 ・人生100年時代と分人 →働く期間が長くなる時代、そしてハードワーク一辺倒だけでなく副業や趣味など複数のコミュニティを行き来することが当たり前になっていく時代においては、「コミュニティに所属する力」が生きやすさに関わってくるといえる。この「コミュニティに所属する力」は「分人構成比を自分でコントロールする力」と捉えることもできる。
2020/12/2
本当のわたしが存在して、そうでないわたしは裏の顔であったり仮面を被っている、キャラを作っているのだ、という人間観の否定! 本当のわたしというのは幻想であり、仕事での自分、友人との自分、家族との自分すべて自分自身なのである。対象によって異なる私=分人が相手とのコミュニケーションの中で作られていく。 わたしというのは分人のポートフォリオであって、分人の集合であるわたしは人とのかかわりによって成り立っているという全く新しい人間観。 すごく人間関係の捉え方が楽になりそうな考え方で目からウロコでした。
2020/7/17
日常生活で感じるジレンマ、心地よさ、人間関係、コンプレックス、趣味、嫌いなもの、迷い、いろんなことに投影できる考え方だった。本書を読み、夢の中でも、ああ、これもこう解釈すれば良いのか、と納得したり、逆にこれはこの考えでは解釈できない、と咀嚼したがそれもまた楽しかった。図書館で借りた本だったが、近々またこの考え方に触れたくなって購入するだろう。
2021/9/24
分人主義という言葉に救われた。 本当の自分、キャラを演じている自分 こんな言葉を何度も言われてきた。先輩の前ではいい顔をする自分、同期の前では偉そうにする自分、 後輩の前では頼りがいのある自分を演じる。 どれが本当の自分か分からなくなって、自己嫌悪に陥った時期がある。 この本を読むと、どれも本当の自分で、どの自分が好きかの構成比を増やしていくべきだと理解した。 1人の分人、親友の分人、恋人といる分人、グループでいる時の分人 どの分人のいる時の自分が好きかを考えるべき。自己理解に繋がる本。自分らしさは何か分かる糸口。分人比率を意識したい
2021/11/16
めっちゃ面白いし、これは世紀の大発見なではないでしょうか?この「分人」の発想は、現代の閉塞感に苦しむあらゆる人に作用するのではないでしょうか? 是非一度お読みください。
2021/10/20
「本当の自分」はいない、という見出しの新聞のコラムで紹介されていてすぐ図書館で借りて読みました。 私自身、子どものときは文字通りの内弁慶で、家では女王(それは今でも)、仲良し友達のグループ内ではリーダー的だったけど、クラス全体で見ればおとなしいと見られていたはず。そのすべて含めて自分なんだと再認識できました。 人によって態度が変わるのが嫌だと思う人もいるけれど、それも全部その人なんだと受け入れられそうです。(好きにはなれないけど)
2020/5/6
筆者独自の「分人」という単位を用いてひとりひとりの個性は他人とのコミュニケーションによって作られることが説明され、最終的に愛とは何か、殺人が許されないのはなぜかというところまで思考が発展されていく。 「分人」は全く考えたことのない捉え方だったけど、年齢を重ねるごとに個性という言葉への違和感を覚えるようになっていたのでそれがわかりやすく言語化されていてすっきりした。 唯一無二の真の自分などいないと書かれていたけど私は自分自身の経験そのものが真の自分なのではないかと思った。
2020/11/19
ずっと読みたいと思ってた本。 わたしとは、分けられない個人があるのでなく、分人で構成されている。人によって、コミュニティによって、読書や趣味といった相手がたに応じた分人がある。 私自身、仕事と、趣味のボランティアでは全く異なる働き方や感情をもっていて、ボランティアの方が本当の自分だと思っていたふしがあった。でも、どっちも本当の自分で、環境のおかげで、環境のせいでそういう分人となっているんだなと。 全く予期せず、恋愛についての記述が腑に落ちた。好きな人を見つけるんではなく、その相手といるときの分人が好きになれるかだと。 分人の考え方があると、悩みが減りそうだなーと思った。人間関係や環境に悩んで、自分が完全に悪いと卑下するんでなくて、人、場所が合わなかったんだと。いつも言い訳にしてはいけないケド、全部が自分のせいでない。1/2相手、1/2わたし。この考え方あると少しラクになれそう。
2020/10/11
私について分人と言う用語を用いて説明する本 分人というのは作者の造語だけれど的確なところをついてると思う 本当の自分と言う言葉はよくあるけど、そうではなく誰かと接するときそれぞれに分人が現れて接しているという本 概念は非常に面白いがまとめ方はそんなに上手くないので、別の人のにた感じの本を読みたい所。 隠れた本当の自分というのはなく、どの分人もその場に応じた本当の自分 人格は反復的なコミュニケーションを通して形成される一種のパターン、社会向け・グループ・個人 足場となる分人、環境が変わると文人の構成比率も変わる 分人は相互作用でできるため、悩み性格の半分は相手のせい 自分は自分向けの分人しか見ることができない 誰かといるときの自分の分人が好き、自分を愛するには他社の存在が不可欠 片思いとは文人の構成比率がずれている状態 言葉は一人では見つけられない、誰かから移っているし移している 犯罪者も半分は社会側に責任がある 個人は人々を個々に分けるが、分人は分けない。 異なるコミュニティへの多重参加が、社会の分断を防ぐ
作品レビュー
2019/6/22
自分の全部が好きとは言えなくても、誰かといる時の自分(分人)が好きと思えればいいという考え方がすごく好き! 相手の存在が自分自身を愛させてくれること、自分の存在によって相手が自らを愛せるようになることを愛というらしいけど、本当に素晴らしくないか… 私といるときの自分が好きと少しでも思ってもらえるように生きようと思った 海のように広い心になれそう
2019/7/14
家族との分人と友達との分人が混ざることへの抵抗とか、10代の頃に読んでいれば…!と思うことばかり。 町田康「告白」が異様に面白かったのは、幼少期からの主人公の分人化を丁寧に丁寧に描いていて、最終的に行き着いた「凶悪殺人犯」という属性だけで彼を見ることがとてもできない小説になってたからなんだなと気付けた。 平野さんの小説も是非読んでみよう。
2022/5/19
本旨とは逸れるけど、分人という概念を導入したうえで提示される「愛の定義」が、過去一しっくりきたかもしれない。 “愛とは、相手の存在が、あなた自身を愛させてくれることだ。そして同時に、あなたの存在によって、相手が自らを愛せるようになることだ。”
2021/11/8
対人関係ごとの様々な自分を「分人」と呼び、一人の人間は複数の分人の集まりだと定義する。それを用いて、現代人が悩みがちな「本当の自分」「アイデンティティ」などに別の視点が提示される。 分人は他者との関わりの中で形成されていくので、私たちの人格そのものは半分は他者のお陰(せい)であり、純粋無垢な自己など存在しない、という考え方自体は違和感なく入ってきた。漠然と思っていたことが言葉で整理される心地よさがあった。 コミュニケーションが細分化され、断絶の時代と言われるが、私たちはどう変わっていくのだろうか、とも思った。
2021/10/2
分人主義という考え方でモヤモヤがスッキリする一冊 なるほど!と思うところが多数あり、気付きの多い一冊。著者は小説家で学者ではないから、分人主義は学問にはなっていないかもしれないのに、分人主義という考え方にすごく共感しました。と、同時に小説家が小説の中で自分とは違う考え方を持つ人間を表現することは人間の何気ない思考、それも自分の思考パターンでない人間について深く考える過程を経た上で行っていることなんだなと感じました。 ●「自己分析」が苦痛だったわけ 個人という言葉では「わたし」という「1つの」ものがあってそれを探すのが就活でよくある自己分析や「自分探し」とされます。しかし。本書では「1つの」本当の自分というものは存在しないという主張です。どうりで自己分析が苦痛だったわけです。ないものを探しても見つからないですよね。自己分析をして自分にあった仕事を見つけよう!とよくありますが、職業の多様性と個性の多様性は職業のほうが限定的なため、「自分にあった仕事にぶつかる」ことはまれというのも納得です。著者も「何かをしたいけどそれが何かはわからない」という経験をしたそうでとても共感できました。 ●育児疲れや引きこもりも分人で説明できる 現在進行系の方やその周囲の方にぜひ分人主義を知ってもらいたいと感じました。一方で「いや、そうは言われても」となるかもしれません。幸い、SNSが色々あるのでそこで複数の好きになれる分人を作っていけば良い。これは悩む方に即効性のある強い味方になると思いました。 ●個人という言葉が輸入物の概念だった! 驚きました。日常生活では「個人主義」とか「個人を尊重しよう」など「個人」がありふれているからです。「個人」という概念は唯一神に由来し、西洋独特のものであったのです。なぜか「個人」という言葉が日本になじまない時があるなという感覚がもやっとありましたが、概念が日本に馴染む前に社会の分人化が進んだからかもしれないと思いました。 ●最後に 本書では分人主義の説明と絡めて著書での検討した内容など制作裏話も含めて作品紹介が魅力的にされており、興味がわきました。筆力の違いを感じさせられました。
2020/12/1
人によって見せる自分が違うことは、今まではよくないことだと思っていた。でもこの本を読んで、相手との相互作用の中で、相手に合わせて自分の一部分が出てくるだけだとわかり、無理に全部の自分を見せる必要はないと納得できた。 私は初対面の人とのコミュニケーションが苦手なのだが、深く知らない人に対して自分のどの分人で接したらいいか、つまり自分のどの部分をどこまで見せていいのかわからないことが原因だと気づいた。 仕事柄、初対面の人と込み入った話をすることも多く、難しさを感じているが、まず「社会的な分人」で接し、少しずつ相手に合わせて分人化を図っていきたい。そうすることで自分も迷いがなくなるし、相手とも良い関係が築けるのではないかと思う。
2022/11/23
分人ポートフォリオ。分人比率。一緒にいてなるべく疲れない人がいい、という表現が思い浮かんでしっくり来た。 これで救われる人がどれだけいるだろうかという素晴らしい本。
2022/5/5
読中メモ 分人とは、対人した際、相手毎にカスタマイズされる人格の概念を指す。 社会的な分人 → 特定集団への分人 → 相手個人への分人へと詳細になっていく。 間柄が親しくなっていくとは、相互的にの分人化が進んでいくことと同義と言える。 所謂一般的なコミュ力とは、ある程度柔軟な社会的分人を持つことであり、会話を通じて相互の分人化を心地良く進められること。 所感 とても良い!自分に馴染む内容だった。 分人という概念は、自分へも、また他者へも想像を働かせるきっかけとなり得ると思う。 考察 自分は相手毎に分人を用意することが苦手と自認している。人によってテンション、話題を使い分けることが得意ではなく、恐らく分人の数も、差異も小さい。 自分が多趣味かつ、色々な物事に興味を示すようになったのは、その短所の埋め合わせをしようという意識があった説??
2022/7/8
自分の性格の半分は他人のせいっていうのにとても共感した。同時に自分の何気ない言葉が相手の分人を形成している。極力人には優しく接しなければなぁと思った。
2022/2/17
「個人」から「分人」へ “裏表がある人”ってよく使われる言葉だけど 人の顔って二面性で表せるものなんかじゃなくて 複数の顔を持っていて当たり前 “初対面の人に対する顔” “このコミュニティに対する顔” っていう大きなものもあれば、 “Aさんに対する顔” “Bさんに対する顔” みたいに小さなものもある その顔(=分人)たちが合わさって自分、いわばアイデンティティが作られる だから自分を好きになるには自分の好きな分人を増やして、嫌いな分人は減らせばいい 恋愛でも、”その人が好きか”より、”その人に対する自分”が好きかを信じた方がいい ここで大事なのは分人の数ではなく、自分にとって大切にすべき分人がどれなのかわかっていることだと思う 自分の考え方の根底を変えた本
2022/1/17
自己肯定感を高めよう!まず自分を愛してあげようってよく言うけど、自分を愛するって、難しい。どうしても好きになれない自分だっているから。 本書では、無理に自分を愛そうとするのではなく、誰といるときの自分は好き?何をしてる時の自分は好き?を考えて、そうした時間やそうした自分を少しずつ増やしてみる考え方を教えてくれる。うん、これならできそう。 読みながら、長年自分の中でモヤモヤしてた、一緒に居る相手によって変わる自分(八方美人なのか自分らしさがないのかと思ってた)を否定せず、むしろそんなの当たり前だよって言ってくれた気がして。すっごく気持ちが楽になった。
2021/12/21
友達の友達相手に陽気な感じで接する自分も、一人で本読む自分も、どれが本体とかじゃなく、全部横並び。「分人」は「分数」で、多少の重なりはあれど、「分人」が合わさって「個人」になる。
2022/10/8
「分人」がどういった概念かを事前になんとなく把握していたので、詳細を改めて確認する感じだった。著者の小説を読んでみようと思う。 104 私が口出し、影響を及ぼすことが出来るのは、相手の私に対する分人までである。(省略)しかし、その他の交際範囲については、余計な口出しを慎むべきだろう。
2022/5/21
p36 私たちは他人から本質を規定され自分を矮小化されることが不安なのである。 p116 人間はたった一度しかない人生の中でできればいろんな自分を行きたい。対人関係を通じてさまざまに変化しうる自分をエンジョイしたい。 いつも同じ自分に監禁されているのは、大きなストレスである。 小説映画の主人公に感情移入したり、コスプレする変身願望は、フィクションの世界との分人化願望として理解できるだろう。 なりたい自分って何、首尾一貫していない自分の人格にモヤモヤ悩んでいた。 本書を通して、自分の多面性を受け入れられるようになり、生きやすくなった。 本書に感謝である。
2022/9/9
はあーなるほどなと思った。 人の中には、他者によって(相手ごとに)構築される自分(分人)がいる、と言う提案。 人によって態度が違うことや、個性がないということは批判されがちだけど、「分人」という考え方であれば、私の中に何人も私がいるのだからあたりまえじゃん、と肯定できる。人間関係のモヤモヤを払拭するようなヒントをもらえた。 ところどころ平野さんの小説を元に話が展開されるので、読んでみようと思う。
2021/2/10
「分人」という考え方を知ってから、対人関係が楽になった。 現代社会にかなりフィットする考え方だと思う。 非常に論理的かつ分かりやすい文章で、また時々法的な視点の記載を見かけるので気になっていたら、平野氏は京大法ご出身とのことで、納得しました。 彼の他の本も読んでみます。 出会いに感謝。
2022/3/13
[このレビューにはネタバレが含まれます]
続きを表示
2021/5/9
新書はあまり読んだことがなかったけど、これはとても分かりやすくてよかった。 友達といる時の自分、会社の人といる時の自分、家族といる時の自分 どれも本当の自分だし、演技しているつもりはないけど、傍から見ると全然違うキャラクターになってる。 そういうモヤモヤをわかりやすく説明してくれる。
2021/2/5
読みやすかった。 この考え方に触れてから楽になった部分もあるし、逆にしんどく思う部分もあった。 基本的に嫌いな分人が多いけど、この人と居るときの分人好きだなってのがあればそれでいい気もしてそう思える分人が増えたとき人生も豊かになるのかな。 読んだのだいぶ前だからまた読みなおして整理したい。
2021/10/10
・もともと「分人」について知っていた(『創造的脱力』の感想で書いたとおり)ので、あまり新鮮さは無い。知らなかったら普通に面白い本だと思う。 ・谷崎潤一郎の『痴人の愛』読みかけだったの思い出した ・人の死を受け入れるプロセスを心理学では「喪の作業」というらしい(メモ) ・「恋愛」は「恋」と「愛」に分けられて、感情の起伏の有無&継続的な関係かどうかが違い ・↑「整形はモテたいならするべきだけど、愛されたければしない方がいい」というYouTubeのコメントを思い出した ・まぁ、著者の小説は結構読んでみたいと思わされた
作品レビュー
2021/12/22
相手や環境によってこうも変わってしまう自分。では本当の自分とは何なのか、その答えの一つが分人かもしれない。
2021/2/18
「分人」という考えに共感。 他人によって生まれ、育つ「分人」。 人が見せる色々な側面の本質が、理解できた気がした。 心地よい「分人」を引き出してくれる他人との時間を大切にしよう。 そして、いろんな「分人」に出会わせてくれる他人に感謝しようと思った。
2022/5/27
じっくり読み切ったわけではないし、途中で八方美人の対義語としての「八方ブス」という言葉に辟易としたが、恋人とのことでもやもやしてる私にとってよかった部分があった。以下その箇所めも 「その人といるときの自分の分人が好き」という状態が愛。他者を経由した自己肯定の状態。 相手に対して好きか嫌いかというよりも、その人といるときの自分が好きか嫌いか、がとても大きい。 相手の存在によって、わたし自身を愛せるようになる、そういう人と一緒にいないとね。
2023/1/3
全体的に読んでいてすごく難しいというのが率直な感想である。 本当の自分があるのではなく分人を使い分けるという視点が面白いと思った。今までの人生の場面場面で分人主義が存在していれば上手に説明できる環境やその時の行動があると思った。 文学史に絡めて説明をされている場面が多々あるが正直自分にはピンと来ない説明も多かった。
2020/11/13
対人関係において特に裏表のない人に分人主義を説明するのはなかなか難しい。 私の場合、人によって見せるキャラクターが全然違う。 幼女の自分、大人の自分、被虐心旺盛な自分、乱暴な自分。 そのどれかが本物ということはなく、どれも本当の自分であるというのが分人主義の考え方だ。 ところで、私はよく虚しさを感じる。本当の自分は虚像のようで、また何をしてもいつかは死ぬということに何の希望を見い出せばいいのか分からない。 死人のように生きることは誰かのためになるのだろうか。本でも自殺は他人の分人を殺すことになる。つまり殺人だと書いてあった。それは理解している。 私は誰かの役に立つことで生きていてもいいんだと思いたいのかもしれない。猫を撫でる時、今この瞬間だけは私が必要とされているのを感じる。
2022/12/15
「分人」の考え方で自分や他人の行動をみてみると、今まで不可解だったことで、こういうことだったのか、と思い当たることがいくつもあり、すごいと思いました。平野啓一郎さんの説明はとてもわかりやすく、読みやすかったです。
2020/11/5
. 『私とは何か』 《要約》 ◆たった一つの「本当の自分」は存在しない。対人関係ごとに見せる複数の顔が「本当の自分」である。 ◆個性とは、決して唯一不変のものではない。そして他者の存在なしには決して生じないもの。 ◆コミュニケーションはシンプルであることが理想である。お互いが仮面同士、キャラ同士でやりとりをしていて、「本当の自分」はまた別だというようなややこしい関係は、大いにストレスとなる。この人の笑顔は、信じていいものだろうか?今言ったことは本心だろうか?そんなことを疑い出すと、誰と接していても警戒を説くことが出来ないし、その関係をシニカルに捉えるようになってしまう。 ◆自分には他の人が知らない顔がたくさん存在する中で、一つの顔を知っているからといって、本当だとか嘘だとかを決めるのは窮屈に感じてしまう。 ◆他人から本質を規定されて、自分を矮小化されることが不安なのである。 ◆人間は桃ではなくタマネギなのだ。 (桃は真ん中に種がある。そんなふうに人には確固とした自我があり、主体があるように思われているが、実はタマネギの皮のように、偶然的な社会的関係性や属性を剥ぎ落としていった先には、何も残らない。) ◆「不特定多数の人とコミュニケーション可能な、汎用性の高い分人」を社会的な分人と呼ぶ。相手が必要以上の分人化を求めてくれば、ヘンな人とでも思ってしまうのが日本人である。 ◆「郷に入れば郷に従え」地域によって違う分人の特性を把握し、馴染んでから個別の分人化を進めるべき。 ◆分人のステップ 「社会的な分人」➡︎「特定のグループに向けた分人」➡︎「特定の相手に向けた分人」 ◆分人化は一方通行では成り立たない。 分人化には人それぞれのペースがある。 ◆分人は相手に強いられれば、歪んだ形で生じる可能性もある。 ◆個性とは分人の構成比率によって決まる。 ◆恋愛(love)とは欧米から輸入された言葉であり、愛とは観念的博愛主義的な思想のもと生まれたもの。恋は情緒的で限定的、個別的、具体的な特殊な感情である。 ◆今付き合っている人が本当に好きなのか分からなくなった時 ➡︎その人と一緒にいる時の自分が好きかどうかを考えればいい。 ◆故人を語る資格の有無 ➡︎存在した分人の大きさで、その人がもし生きていたらこう言うだろうと理解できる場合もある。その人といた分人は半分は相手の影響を受けて生まれたもので、聞かずともどのような反応をするか分かる場合も存在するかもしれない。 ◆文化多元主義と多文化主義 (混ざり合うを是とするか否か) ◆人はたった一つのコミュニティに拘束されることを不自由に感じる。 《感想》 分人という単位で考えることは、今までの個人という単位で考えることでは解決できなかった現象を説明、解明するのに寄与してくれると感じた。 薄い本だけど、その薄さに収まらない深い考え、価値観、視野を身につけてくれる一冊でした
2020/9/23
“本当の自分は1つしかない”という幻想にメスを入れた本。何気なく読んだにも関わらず、他人に勧めたくなるほど価値観が揺らいだ本だった。 引っ越しが多かった人生の中で、それぞれに自分の”キャラ”のようなものがあったものの、「どれが本当の自分か」と問われれば「別に全部楽しいしなぁ」という印象だった。ただ、小学校のころのキャラが薄れつつあるのも事実で、”本当の自分”があると信じていた自分にとって「変わっちまったな」という言葉は相当痛かった。この本はそんな自分らしさの変化を肯定する内容で、むしろ変化することに意味があると教えてくれる(現代の社会学のアイデンティティ論と通ずるところがある)。「愛すること・死ぬこと」では、変化するだけでなく、”失う”ことのメカニズムまで解明していて、本当に面白い本だった。
2020/9/5
本当に頭の中が整理されてる方の書かれた本だなと感じた。無意識的に考えて行動していたことをこんなにも明確に言語化している本は見たことがない。今年1番の感動。これは何回でも読みたいバイブルだ。
2022/12/6
分人主義という言葉を、平野啓一郎さんとは関係のないところから知り、興味を持って購入。 内容は、私と他者の間に生じる関係性から、多様な私がいることを前向きに捉える内容。 様々な自分を肯定し、他者との気持ちよう距離感を作ることを考える上で、参考になる考え方だった。 個人という考え方を見つめ、窮屈なありたい姿を描かず、自然な自分を見つめてくために背中を押される内容だった。
2021/3/20
新しい考え方を見せてくれた本 分人理論はとても説得力のある仮説だ 汎用性がある 嫉妬の箇所はまさにその通りと納得
2020/11/18
若林正恭さんの本から来ました。 新しい考え方を教えていただいた感じです。 色々な自分についての発見をすることができた。
2021/3/21
自分が一貫性のない不完全な人間だという感覚は、分人の考え方で整理できた。心に響く考え方が盛り沢山の本だった。 「貴重な資産を分散投資して、リスクヘッジするように、私たちは、自分という人間を、複数の分人の同時進行のプロジェクトのように考えるべきだ。」 「持続する関係とは、相互の献身の応酬ではなく、相手のお陰で、それぞれが、自分自身に感じる何か特別な居心地の良さなのではないだろうか?」
2022/9/13
“誰と一緒にいるときの自分が好きか”を考えることは、心地よく生きるヒントになると思う。 自己肯定感が低い人や「本当の自分ってなんだろう」と悩んでいる人に読んでほしい一冊。 一見、最小単位にみえる「個人」をさらに細分化した「分人」という発想を取り入れるだけで、ちょっと生きやすくなるよというお話。 学校での自分、職場での自分、家族といるときの自分、SNSでの自分、恋人といるときの自分、苦手な人といるときの自分ーー。そのなかには穏やかな自分、真面目な自分、おちゃらけた自分、暗い自分だっているかもしれない。そのどれもが自分の一面つまりは「分人」であり、それらが合わさって「個人」になる。 「分人」は他者との関わりのなかで生まれるもので、他者の数だけ自分のなかにさまざまな性質の分人が生まれる。そのどれもが自分の一面なのだから、“裏の顔”も“本性”もないし、「どれが本当の自分なんだろう」と悩む必要もない。 「個人」を細分化した「分人」という考え方が広まれば、世の中はもっと生きやすくなるんじゃないかなぁ。
2020/8/29
最高!!!! 人生変わった!!!! まじで読んで良かった!!!! もっと生きるの楽になった!!! 今までの違和感を分人として理解できました! 辛い人はまずこれ読んでみて!!!! それでもまだ辛い人は連絡して!! 秒で生かす!!!!!!
2020/7/16
接する人によって自分の性格が違うことを不思議に思うことがあった。 それをこの本では「分人」と定義し、深く掘り下げていく。恋愛や対人関係、犯罪等。 好きな分人でいられる人と過ごす時間を大切にしていきたいと改めて感じた。嫌悪感を抱いた相手でもその分人のみで判断するのは良くないなとも思いました。 アドラーや他の哲学者より、とてもしっくりきた。 対人関係で悩んでる人にもオススメの本です。 ただ頭の良い人の文章で所々難しく感じました。
2020/11/8
読みやすい! 個人とは分人のポートフォリオ。自分の親しい人が嫌いな人と付き合っていることに口出しすべきではなく、大好きな人の中にも大嫌いな人の何かしらが紛れ込んでいる。そこに新しい歩み寄りの可能性がある。
2020/5/10
ちょうど、「彼といるときの自分のことがいつも好きになれない」と悩んでいたときに読んだ本。 グッと刺さった。 人はみんな対人ごとにいろんな顔を持っていて、その集合体が個性という分人という考え方。 とても共感した。 自分自身、あの人といる時とこの人といる時では全然違うな。どれが本当の自分なんだろうと今まで何度も何度も考えたことがあり、自分がわからなくなっていたが、この本を読んで心が楽になった。 どれも本当の自分であり、その構成比率が個性なのだと。 自分の好きな分人を何人か見つけて、足場にして自分を好きになるといいと書いてあって、自分を受け入れやすくなった気がする。 また、相手の分人も同様。人は自分を映す鏡とはまさにこのことだと感じた。 個性とか自分らしさと言われて生きづらい現代人にぜひおすすめしたい1冊。
2020/5/11
これまでの私の人間関係の疑問や苦悩を減らしてくれた良書。 コミュニケーションの場では、相手によって自分の性格や態度が変わる。 これらの性格や態度は仮初や偽りの自分ではなく、それぞれが「分人」という言葉で表せ、それぞれが本当の自分である。 これらの「分人」はそれぞれ異なる相手やコミュニティによって生成されるため、相手によって自分の性格や接し方が異なるのは当たり前のことである。 多くの人は「本当の自分」なるものを求めるが、人は分人の集合体なのであって、確固たる本当の自分など存在しない。 私は意図しているわけではないのに、自分の性格がコミュニティにより違うことに違和感を持っていましたが、本書を読んでスッキリしました。
2020/8/21
著者が提唱する「分人」という考え方が非常に面白く、腑に落ちた。私という人間は誰といる時が本当の自分なんだろうか?交友関係が増えるに従い、一緒にいて楽しいと思ってた相手がコロコロ変わる時があり、楽しい=本当の自分というふうに解釈していた。分人という考え方を知って恋愛においての嫉妬の気持ち、不安定な感情や日常において自分が相手に合わせてキャラクターを変えることを肯定的に思えるようになった。全部ひっくるめて自分なのだ。 このご時世コロナ禍で会える人は職場ないし家族くらいではないだろうか。それによりこの本で言う分人の構成比率はバランスが大きく崩れてしまい精神的にも不安定になっていることが考えられる。 やはりお金と物だけでは人は満たされないのだ。 人間関係で悩む人にこの考え方を教えてあげたい。
作品レビュー
2020/6/25
対する人によって人間は自然と顔を変えている。それにふと気がつく時がある。自分とは何かわからないで悩むことも。それを分人という言葉で考えるとそういうことなのかと楽になれる。 逆に誰に対しても全く同じ顔ができる人もいるにはいるんだろう。そちらの方こそ私には信じられない。
2021/11/12
分人という概念をインストールすることで、日常の疑問や難問をサラッと言語化できるようになる。 ポリアモリーにも通ずる
2020/11/15
『ある男』を読んでから、個としての確立、アイデンティティについて著者がどう捉えているのか気になった。なにが私を私たらしめるのか?他人と会話すると自分の輪郭がはっきりするようでいい、なんて言うけれど、やはり他者の視線をもって自己が生まれるようである。 私は自分の軸がブレるので、多くの分人をもっているのだと思う。
2021/10/15
他の本でこの著作を知って読んだのだが、著者がこれまでの自身の小説を生み出していく格闘の中から生み出した「分人」という概念、本当に本質を突いていて、この人間観に出会えてとても良かった。自分というものを正しく理解する、人との関係性を考えることにおいて大きな助け(武器)になる。分人の構成比率、総体を現在の自分を計るバロメーターとして上手に活かしていきたいと思った。
2022/1/2
上司オススメの一冊 ●人間は桃ではなくタマネギ。真ん中に確固とした自分(種)があるわけではなく、偶然的な社会的関係性や属性を剥ぎ落としていった先には、何も残らない。 ●分散投資してリスクヘッジするように、私たちは自分という人間を、複数の分人の同時進行プロジェクトのように考える。 ●親との関係による分人、友人との関係による分人など、接する人間から自分が形成されていく。 非常に新鮮な考えで、なるほどと思う部分も多々あった。
2020/9/18
様々な登場人物を生み出す小説家ならではの考察。分人=対人関係ごとに見せる複数の顔。態度といってもいいのかも。分人の集合体がその人らしさであり、変化してゆくもの。誰と(何と)向き合っているときの分人が好きか。あるときはポジティブ、あるときはネガティブな分人が誰の中にも存在し、自分にとって理想的な構成比率はどうなのかを考えることが大切。変化する自分は探しようもないし、一面的に「らしさ」を決めつけられるものでもないことがよくわかる一冊でした。
2020/4/3
平野啓一郎は、多様なモチーフと多様な手法で、小説を量産してきた。 僕は熱心な読者ではなかったが、同世代人としては、関心を持ってその活動を眺めてきた。 そして、本書でその執筆のモチベーションを理解する至った。 彼なりに、この生き難い現代を生き抜くための探索を続けていたのだ。 それは、村上春樹のような身体で考える作家とは異なり、正しく日本文学の伝統に則り、書いて考えるという作業だったようである。 一定の結論が出たことを一緒に喜びたい。
2020/4/4
相手のことを全部知りたい、知ってほしいというのは神に対する思想と同じ。そんなこと土台無理な話。 たくさんの人と接しているのであればその人たちごとに分人がいて然るべき。 自分の分人を整理して、分人比率を測定し、 精神状態分析、 からの、おすすめ分人比率や友人・コミュニティの紹介とかできればなんかすごい良さそう。 ただ単に趣味が同じだからと仲良くなるんじゃなく、 自分が好きな分人でいられる相手から消化あるしてもらった人との分人は同じように心地良さそう。 とか、 とあるテーマについて話してる時の自分の分人はイキイキしてる、というならそれについて話すことができるコミュニティを紹介されてみたり。 そんな風に自分の分人比率を自分の好きなように、生きやすいように近づけていくことってとっても大事な気がする。そんなことのお手伝いしたいなって思った。
2021/1/28
さすが小作家の平野さん、とてもわかりやすく、さくさく読めた。「個人」という絶対的でたった一つの自分に対して、「分人」=分けられる個人、という新しい概念の導入。この考え方によって、本当の自分なんて見つけなくていいんだな、とどことない安心感に包まれた。親といる前の自分、上司の前の自分、友達の前の自分、パブリックの場の自分、全部本当の自分だ。 自殺したいと思う人は、自分の中に分人が少なくて、その一つの分人を消すために、全体的な自分を消そうとしている。しかし、自分が好きでいれる自分の分人が二つでもあれば、そのうちの一つがダメダメで消したくなっても、もう一つの分人でもう少し生きればいい。自分の中にどれだけ好きな分人を持てるかが、心の安定を保つ上で大事なんだなあと思った。 分人は、相手との相互作用の中で生まれる。この人といる時の自分、なんか好きだなあ、って感じる相手との時間を、増やしていきたいと思った。
2018/4/18
私とは何か。 モヤモヤする自分、楽しい自分。 衝動的で幼い自分。しっかりと物事に向き合う自分。 人格が分裂してるのではないかと何かと悩んでいた自分に、新しい考え方を授けてくれた本になった。 分人主義の初期説明では、「視点を変える」ということにしか思えず、NLP(認知言語プログラミング)の手法と少し似てるな、と感じていたが、似て非なるもの。 「他者との相互作用の中にいる自分」というのを意識すると居心地がよくなるかもしれない。
2022/2/20
『ある男』『マチネの終わりに』を読んで気に入った作者が書いた新書ってどんなの?という興味です読んでみた。 分人いう概念を用いて人間関係の複雑さを事例でわかりやすく示してくれる。 こういう考察の延長に、その後に発表される上記の作品もあったのかと妙に納得した。 少し前の作品『ドーン』や『決壊』も読んでみたいと思った。
2022/9/11
コミュニティによって自分を使い分けることに対して罪悪感がなくなる。むしろ分人を上手く操っているのだと考えることで心が軽くなる。新しい価値観に出会った気がした。
2020/4/25
面白かったです。 「分人」という考え方はすごくしっくりきます。 「個人」ではなく「分人」の方が、上手く色々と説明がつきそう。 良い気分でいられる分人に重きを置いて生きていけると、もっと楽に生きられるのではないかと思いました。 複数のコミュニティに属し、それぞれの分人を生きること。 そして、人を個に分断させない考え方であるのも好きです。良くも悪くも、人は人に関わり、関わられている。影響受けたり与えたり。。 ある分人で、ダメだ~と思っても、また他の分人を生きればよい、というのは救いだなと思いました。
2018/9/12
マチネの終わりにが面白くて、何を考えているんだろうと気になって読んだ。 ただ一つの「本当の自分」なんてなく、分人の集合体があるだけだという捉え方はスッと入ってくるものです。確かにこの考え方だと隣の芝は青い状態にいつまでも縛られることなく、自分が好きな自分でいられる環境割合を増やしていくと言う建設的な行動に移ることができると言う意味で希望的な本だと思いました。 本当の自分がただ一つあると言うより、全ての顔が自分であると言う考え方 自分に合った仕事とか言ってるのが既に囚われているのでは? 自傷行為とか死別して終わる小説を読むのは、セルフイメージを対象にすることで自分への罪の許しの感覚を得たいのでは? 自分に対する個別的分人の姿を見るけると嬉しくなる 抱えられる分人の数に合わせて人間関係も自然と収束するのではないか? 環境に合わせて分人の構成割合が決まるからそれを変えようと思ったら人間関係を変える必要がある 一人の時も基本的に他者との比較でものを考えている以上、その相手に対する分人があるだけ そう考えると自分の姿が相手の姿に影響を与えているし逆もしかり。自分といる時の相手が好きかどうか。逆に言うとその人といる時の自分が好きかどうか。 自分といる時の自分が好きだと思ってもらえたらそりゃ嬉しいよな
2020/1/28
個人の中にさらに「分人」という単位を作る「分人主義」。 「本当の自分」などは存在せず、 自分という個人はあくまで他者とのコミュニケーションの間に生じるそれぞれの「分人」を複数抱えて生きているという事を理解し、そのうえで居心地の良い「分人」を足場としながら多種多様な「分人」の集合体として存在していくこと。 この考えを用いることによって生きやすくなる人はどれだけいることか! 思えば私は20代前半頃からこの考え方はぼんやりとしていて、きっかけは10代のころの「居心地のよい快楽的な分人」ばかりの集合体から、一気に社会性を担う分人の比重が大きくなったタイミングにあるように思う。 快楽的・パーソナルな部分をさらけ出す分人と、社会性を担う「快楽的でユーモアのある」部分を生きていない分人とが、仕事をし始めたあたりから見事に共存をしはじめ、それに対して全く苦痛を感じなかったのだ。すでにその時にわたしの中で「分人」的な考え方に達し始めていたのだろう。 だから、会社で「本当の自分」を出せずに苦しんでいるという友人を不思議に思ったり、「嘘は嫌いだから全てをさらけ出した正直な関係性を築こう」と言ってくる恋人に対して誠実さどころか強烈な図々しさを感じていたのだ。 と、いうことまで今改めて理解できた。 点と点が繋がって、読後の今、非常に清々しい。 「ドーン」読まなきゃ。 平野啓一郎氏、お見事!なんたる文才!ありがとう!
2020/1/10
友人に勧められて。2012年、8年前の本かー。小説で提示した概念をエッセンスとして新書にまとめたものらしい。なるほど、私はこうやって生きてきたのだなと思う。
2016/3/3
佐渡島さんの本を読んだときに「分人」のくだりがとても気になったので、引用したというこの本を読みました。私自身も、家族の中の自分、学生時代の友人仲間の中の自分、会社にいるときの自分は同じではないし、SNS等の中の自分も別物かも?…だからと言ってどれが一番本当の私だ!ということもない。 「本当の自分」という不動不変なものは存在しないのであって、自分とは周囲の他者との関係の集合体だ、他者が入れ替われば自分も変わる…個性とは分人の構成比率だそうです。やっぱり、心地いい相手と付き合わなきゃ。。平野さんのこの視点は目から鱗です。
2020/10/8
一人の人間は「個人」ではなく、関わりを持つ人やモノに相対する側面が作り出す「分人」の集合体である…非常に面白い考え方であり、それを検証する内容もすんなり腑に落ちた。ただ一つ気になったのは、例えば恋愛で異なる人と付き合っても同じパターンの失敗を繰り返してしまう場合をどう説明するか。遺伝的な要因にも触れられていたが、それとは違う気がする。過去に付き合った人との分人が消滅せず自分の中でパターン化してしまっているのか。
2019/2/4
私とは何か 著者が感じた固定された個人という概念への違和感が出発点 自分探しへの旅、ひきこもりと自傷行為。 これらはいまの私と“本当の私””に差分があり、これを埋めるための行動と捉える。 では、本当の私とはそもそも何なのか。それは実在し、追い求めるものなのか。 著者はindividual(=分割できないもの)、個人の概念は神と対話する対象として生まれたものであり、 それは私たちの現状を正しく捉えたものではないと考える。 私たちは人によって態度が変わるし、自然とつらくあたったり、優しく接したりするものである。これは本当の私を偽りながら生きている、多重人格者と言えるのか? 否、私たちは相対する人・対象によって変わりうるのが本質的な姿と著者は考える。 本当の私とは、芯やタネを持つ桃ではなく、相対する人毎に異なる側面(=分人)を持つタマネギであると考える。 これは非常に納得できる。 趣味の写真の自分、仕事の自分、家族と接する自分、全て異なり、全てが私であると自覚を持っている。 妙な本当の私幻想を追わず、分人毎にやりたいと思うことをきちんとやる。 それが、本当の自分の人生を生きる事になる。 誰も他人の人生を生きてはいけない アドラー心理学にも通ずるものと感じる。 とても面白い
2015/5/14
リーダーシップとは自分らしさ、だから裏も表もなく職場で過ごすのだ!ということがなかなか実践できない私に朗報の1冊。当たり前かもしれないですが、「分人」は勇気をもらえる発想だった。なかなかありのままに生きれない社会人にお勧めの書。 【本当の自分】 ・たった1つの「本当の自分」など存在しない。裏返して言うならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である。 ・若いのに、夢も目標もないのかと言われるが、職業の多様性は、社会の必要に応じて生じたもので、多様な個性をもつ人間のために職業がつくられたわけではない。 ・面と向かい合った相手に対する分人化に、ごく短時間で成功することもあれば、なかなかうまくいかないこともある。何度あっても、必要最小限の仕事の話しかせず、その先の関係にはお互いの足を踏み入れられない(踏み入れる気もない)人もいる。その人は私に対して、分人をカスタマイズする気がなく、私の方でもないということだ。分人化の失敗である。社会的な分人が、特定の人に向けて更に調整されるかどうかは、付き合った長さに比例するわけではない。 ・分人が他社との相互作用によって生じる人格がある以上、ネガティブな分人は半分は相手のせいである。逆を言えば、ポジティブな分人もまた、半分は他社のおかげなのである。あなたと接する相手の分人は、あなたの存在によって生じたものである。 ・もし1つの分人が不調を起こしても、他の足場があればいい。こっちがだめなら、あっちがあるで構わない。好きな分人の状態があれば、それでいいのではないか? →全員に同じ顔はできない。男も化粧をするのだ。自分らしくいられないと嘆くこともない。らしくなれないのは、半分は自分のシャイな性格の問題、残りは相手側の問題なのだから。何か1つ自分の居場所があれば、そんなに無理をすることもないんじゃない?
作品レビュー
2017/9/13
ーーーーー山下2017/8/29ーーーーー 【概要】 人間は決して唯一無二の「(分割不可能な)個人 individual」ではない。複数の「(分割可能な)dividual」である。 【評価】 90点 【共有したい内容】 人間には、いくつもの顔がある。—私たちは、このことをまず肯定しよう。相手次第で、自然とさまざまな自分になる。それは少しも後ろめたいことではない。どこに行ってもオレはオレでは、面倒くさがられるだけで、コミュニケーションは成立しない。だからこそ、人間は決して唯一無二の「(分割不可能な)個人 individual」ではない。複数の「(分割可能な)dividual」である。 1人の人間には複数の分人が存在している。両親との分人、恋人との分人、親友との分人、職場での分人、…あなたという人間は、これらの分人の集合体である。 集合体の中には、ポジティブな分人もあれば、ネガティヴな分人もある。分人が他者との相互作用によって生じる人格である以上、ネガティヴな分人は、半分は相手のせいである。裏返せば、ポジティブな分人もまた、半分は他者のお陰なのである。私たちの人格そのものが、半分は他者のお陰なのである。 私たちは、日常生活の中で、複数の分人を生きているからこそ、精神のバランスを保っていられる。会社の分人が不調をきたしても、家族との分人が快調であるならストレスを軽減される。 自分に対して否定的になっている人に、まず自分を愛しなさい、自分を大事にしなさいと言ってもあまり意味がないのではないか? しかし、分人単位で考えて見るとどうだろうか。 人はなかなか、自分の全部を好きだとは言えない。しかし、誰それといるときの自分は好きだとは言えるのではないだろうか。そうして、もし、好きな分人が1つでも2つでもあれば、そこを足場に生きていけばいい。 誰かといるときの分人が好き、という考え方は、必ず一度他者を経由している。自分を愛するためには、他者の存在が不可欠だという、その逆説こそが、分人主義の自己肯定の最も重要な点である。 なぜ人を殺してはならないか 1人を殺すことは、その人の周辺、さらにその周辺へと無限に広がる分人同士のリンクを破壊することになる。 1人の人間が死ぬことで、無数の人間が自己変革の機会や成長のきっかけを失う。好きな自分になり得たかもしれない分人化の可能性を失う。 【読んだ方がいい人】 人間関係に悩んでいる人 【自由記述】 分人という新しい考え方に驚いたが、納得できるものだった。 テレビで芸能人の犯罪報道が流れれば、普段のイメージから一転して「本当は」こういう人だったのか、と認識してしまったり、知人友人が、自分以外の第三者に自分に見せない顔で接していたりすると不満や不快な感情を抱くことがある。 この本は、それぞれの別の分人があるから当たり前のことである。と説明している。 そして、その分人は自分と相手のコミュニケーションの中で形成されるため、分人の半分は自分に責任がある、としている点で少し厳しい意見でもある。 人は1人では生きられない、他人に感謝する気持ちを持て、という話はよくあるが、その理由を分人を用いて、半分は自分の責任だが半分は他者のお陰だからと説明している点で納得がいった。 【合わせて読みたい】 一瞬で人間関係を作る技術 エマジェネティクス
2021/7/31
個人ではなく『分人』という新しい言葉を使って 現代社会をどのように生き抜くかをわかりやすく説明してくれている。一人の人間がさまざまな所属の中で人とコミュニケーションを取り社会活動するからこそ必要なエッセンスがここにある。
2022/11/3
あまり否定的な読み方はしたくないが、他者を経由する「分人」という概念は、基本的にただのロールプレイの事であり、部屋に一人、自分自身と向き合う時には必ず、主体となる人格に回帰する。その主体に対して、社会的役割、つまりペルソナが強く作用して変容する事は当然あり得るだろう。もっと踏み込んで言うなら、社会的関係を隔絶された人間ですら、主体となる人格は外圧に拠らずコンディションで変わる。individualを出発点に展開するならば、personalityから personaを抽出して論理展開する位の思考が欲しかった。多重人格と、ロールプレイ、所謂分人の違いは主体で統合調整できること。離人症ですら、主体に帰る。外づらが肥大化して主体に影響を与えるのは当然ながら、極端に統制できないならば、パーソナリティ障害。読みながら、これは一体何の話か、迷った。哲学や心理学、精神医学とも異なる。 著者の小説は素晴らしいし、ファンである。彼が分人を意識的に小説のテーマに取り入れている事も分かるし、それは人間本来の性質を描くのに、極めて魅力的な手法であるとも感じる。しかし、主題そのものを抜き出して論じた際に、これ程、違和感を覚える主張になるとは。
2017/11/2
「分人」というのは面白い発想だと思う。 全面的に私はダメだ―と思い込むことから救われると思う。 個人的にずっとうまく行かないことがあって、かなり落ち込みかけていた。もうすこしで鬱になりそうなくらい・・。 たまたま生活の充実度を8項目に分けてチェックするテストをネットで見かけて、試してみたところ、なんと6項目くらいはうまく行っていたのだった。 そこでたった一つの自分の悩みを過大に捉えすぎていたことに気が付いたというようなことがあった。 今でもうまく行っていないところは変わってないけど、別に気にならなくなった。 これはちょっと分人の発想に近かったのかもしれない。 ただ、何でも「分人」で説明は無理があるとは思う。 何故人を殺してはいけないのかを分人の喪失で説明しているが、それは事故や病気で死んでしまっても同じことのような気がする。 遺伝の問題を持ち出してきているが、それも違和感。 読み方が浅いのかもしれないが、なんで関係あるの? 遺伝子は自分の手持ちカードのようなもの。後天的に環境因子が加わる。分人は人と人との関係性の問題だから、あまり関係がないような気がする。 ところで、「どうして人を殺してはいけないのか?」 をいろんな識者が述べるけど、隔靴掻痒。 簡単に言うと殺人が許容される社会は「殺してもいいけど殺されても仕方がないというルールを受け入れる社会」だからだ。 人間は食と安全を昔から渇望している。 安全を確保する第一ルールが「汝殺すべからず」なのだ。 モーゼの十戒以前の世界に戻りたいというなら話は別だが。
2013/9/19
考え方の問題とはまさにこのことか! といった感じで、これから出会いが多くなる学生最後の年に読んでホントに良かった。これを読むとこれからを生きやすくなると思います。 かなりオススメの一冊です。
2014/4/3
新書を久々に読みました。 とても、考えさせられた内容でした。 共感できるところもあったし、反省しなきゃなと思ったところもあった。 2014.4.3(1回目)
2021/12/2
(2021/12/1途中まで) 2018年に読んだオードリー若林氏の「ご本、出しときますね?」の中にあった本です。 その時、分人と言うのを初めて知って、どこか救われた気持ちになったとメモしてます。 分人とは何かがわり、平野さんの経験や作品に沿って、詳しく書かれはじめたあたりで読むのをやめました。(作品紹介あたりでお腹いっぱいに) まえがきだけで十分かも。 早い話が、本当の自分はたったひとつではなく、周りとの関係でいろんな本当の自分がいる。それはどれもニセモノや嘘ではない。 ありのままを受け入れるというより、そうなんだって思えばいいのかな。
2014/12/1
なんでこんなに私が悩んでることズバッと言ってくれるんだろう?と思う。 やっぱり色んな自分がいるっていうのは、まだ揺れてる感じがして唸る所もあるのだけれど、色んな場面で”あれも実は人が分人だからなんだよ”といわれると大いに納得。 思わずかじりついていました。 分人という思想が広がっていって、色んな作家さんに分人について触れて欲しいなと思います。 それにしても、浮気やら友達とのやりとりを身内に聞かれるのがちょっと恥ずかしいとか…あれも分人の仕業!脱帽しました。
2013/2/9
人は皆、相手によって自分の態度を変える。会社の上司の前、友人の前、恋人の前、家族の前。これらすべての人に対して同じような態度で接することはできないはずだ。いろんな人にいろんな顔を見せていると、本当の自分というものがわからなくなるときがあるかもしれない。どこかで自分を偽っているようなもどかしさを感じるかもしれない。 しかし、そもそも本当の自分なんて存在しないと著者はいう。いろんな人に見せるいろんな顔(これを本書では「分人」という)が合わさって、’’私’’は構成される。自分が勝手に思い込んでいるだけの“自分らしさ”を貫くよりも、相手との自然なコミュニケーションに身を委ねるのが一番だと改めて思わせてくれた。
2013/4/16
長らく「本来の自分」と「さまざまな顔をもつ自分」がいることに説明がつかず苦しかったのですが、この平野氏の「分人(dividual)」という発想を知ることで、漠然と考えていたことがクリアになり、自分と自分を取り巻く現象を繋げることができました。 今の時代、バーチャル/現実のあらゆる場面で「個人(individual)」の一部分を切り出す機会が多くなり、他者から誤解されたり、自己イメージを統合できずに戸惑ったりすることが多いわけですが、この本を読むと、すべてよきものとして余裕を持って受け入れることができそうです。
2021/3/27
氏が小説のテーマにしている「分人」という概念を、小説ではなく、新書の形で説明したのが本書。これを読んでから小説を読むと、また違った見え方がしてくるだろう。近しい人の死に喪失感を覚え、悲しむ気持ちもまた、分人という概念から説明できるという発想には驚かされ、直感的に、そうなのか?と思いつつ、氏の主張を噛みしめていくと、確かにそうだなあとも思えてきて、やはり平野啓一郎、天才(といってよいだろう)。
2021/4/5
先だって読んだ、共著新書でも触れられていた『分人』概念についての論考。同作を読んで、本作も是非読みたいと思ったもの。個人的に接する分には全く問題ないのに、複数での会合の場になると、何だか居心地悪く感じてしまう。そんな気持ち、しょっちゅう自覚することはあるんだけど、本作の見解で腑に落ちました。その場における自分の『分人』のことを、きっと好きじゃないってことなんだな。そう考えると、避けるべきないし、避けた方が良いシチュエーションも見えてくる。なるほど。
2015/9/15
個人という単位で世界や自分を捉えるのでなく、「分人」という新たな単位を導入しましょうという提案。 書かれていることは、普通に生活していれば日々感じていること。 関係性によって変わる自分のありようを、「これは嘘の自分だ」「これこそ本当の自分だ」と考えるのは、「本当の自分」という確固たる個人が存在する前提あってのことだが、それって実情と乖離してんじゃね?という指摘。 正直「目ウロコ!」感はないけれど、「これこそ新しい単位です」と提案してもらうと、その視点で世界を捉えられるようになるので、名付けるってすごい力をもった行為よなぁと痛感する。 いいなあと思ったのは 「私という存在は、ポツンと孤独に存在しているわけではに。つねに他者との相互作用のなかにある。というより相互作用のなかにしかない。他者を必要としない「本当の自分」というのは、人間を隔離する檻である」 というくだり。 じぶんの分人は、他者あって存在する。 じぶんも、他者の分人の構成要素のひとつ。 その認識でおれば、自分を決定的に嫌いになったり、逃れられない人間関係に絶望したりしないで済む。 本当にしんどいとき読むと、★5つで足りない本かもしれない。
2020/11/1
人間の身体は分けられないが(individual)、人間そのものは複数の分人に分けられる(dividual)。相手との相互作用の中で生まれる分人という考え方は面白い。 ・私と言う存在は、他者との相互作用の中にしかない。 ・ネガティブな分人は、半分は他者のせい。ポジティブな分人も半分は他者のお陰。私たちの人格そのものが半分は他者のお陰。 ・愛とは、その人といる時の自分の分人が好きという状態のことである。つまり他者を経由した自己肯定の状態である。
2018/9/15
人間は、他者との分人の集合体だ。あなたが何をしようと、その半分は他者のおかげであり、他者のせいだー 私は私ではなく、関わりのある他者それぞれにそれぞれの「分人」を持っていて、その集合体が私を形作っている。新鮮な考え方だが、すごくストンと落ちた。誰と、どんな、どのくらい関わっていくのか、その選択が私を作り私の人生を創る。そして関わった「誰か」自身を作り、人生を創っていくのだと。 そして無理に一つの私である必要は無い。対するものによって変わる私でOKだし、周りの人に対してもそれが普通だ、自然だと思えるようになったと思う。 であれば、私や私に接してくれる周りの人たちがより豊かで楽しい時間や人生を過ごせるように、共有する時間を積極的により良いものにしていこうと自ら変えていく、働きかけていくことも可能なのだとも思った。 そしてあえて複数のコミュニティに属してみること、対立する思想を持つコミュニティに足を踏み入れてみること、にも興味をそそられた。
2020/8/12
もっと早くこの本に出会いたかった。 相手のおかげでそれぞれが、自分自身に感じるなんか特別な居心地の良さが自分に対して肯定的な感情を抱かせてくれる。相手への感謝。 新しい環境、旅を通じて新しい分人を作ることを目的としているなど、私について深いけど、わかりやすく言語化されていて読みやすかった。 漱石の「私の個人主義」についてもふれられていた。
2022/2/26
私自身、というのはさまざまな分人の集合体なんだ、というのはとても納得度が高い。そして、なんだか、とても安心させられ、腑に落ちる。仕事での自分、大学時代の友達といる時の自分、知らない人と会う時の自分、家族といる時の自分。どれも違う。でも、それで当然であり、その全てがあわさって自分なんだと。いろんな面を持つことで今まで感じていた、自己の不一致によるある種の居心地の悪さ、みたいなものを「いやいやそれで普通だから」と、マインドセットを変えてくれた概念。 人間関係で悩む時、「この人といるときの自分が好きだな」と感じる分人を増やしていく工夫は、ひとつの指標になりそう。
2017/5/13
[このレビューにはネタバレが含まれます]
続きを表示
2015/7/15
コミュニティによって、自分が持つ顔が変わるのは当たり前で、色々な顔を持つことを肯定して、一つ一つを大切にしよう。 むしろ、色々持つことで、 リスクヘッジしていく視点をもとう。 自己を肯定できる良書。 人にも同じように色々な顔があることを 認識しよう。
2012/9/24
先日、Twitterでみつけたつぶやきを元にいろいろ最近思うことをつぶやいたら、いろんな方から興味深いご意見を頂くことができたので、はじめて「Togetter」にまとめてみました。 その後、以前から気になったこの本を読んだのですが、まとめたことへのアンサーを頂いたような気がしました。 ひとつの自分ですべての関わりの人に対するということの、いい部分と難しい部分。 http://togetter.com/li/378722 自分の中に「分人」があるように、他の人にも「分人」がある。SNSはそれがすっかり見えてしまう。 一貫しない個人であたりまえ、むしろいろんな顔があっていい。 とても共感する内容でした。 追記:ブログアップしました ひとつの自分ですべての関わりの人に対するということ【ブログ編】 http://rucca-lusikka.com/blog/archives/4082
作品レビュー
2013/2/8
読書の面白さっていろいろあって、 知らない事を知れた喜びとか、 著者の経験に自分を重ねてみることとか、 いろいろあるけど、 僕が考える、 1番嬉しいことは 自分が言葉に出来なかったことを、 著者が代わりに言葉にしてくれること。 読み進めて行くうちに、 スラスラと言葉に出来ないモヤモヤが 次々と繋がっていって… 凄い幸せな時間で あっという間に読み終えました。
2013/6/14
作家、平野啓一郎氏が自身の作品や自らの半生の中から「アイデンティティ」にかかわる部分を抽出し、精緻な考察を加えたものです。氏の率直な語り口と『分人主義』という考え方はとても面白かったです。 作家、平野啓一郎氏が説く『分人』という考え方を自身が書いた作品や、平野氏自身が歩んだ半生から解説する『自分とは何か?』という命題についての考察である、と考えます。確か、平野氏はインタビューか何かで『私小説は書かない』というようなことをおっしゃっていたかと思うので、本書の中では自身の幼少期の話をきっかけに、小中高時代に感じていた周囲への違和感や、長じて作家になったときに出会ったさまざまなな出来事を本当に率直な形で綴っていることにまずは驚いてしまいました。 しかし、平易な言葉で語られてはいても、その内容は深遠で、平野氏が「分人」という言葉を使い、我々余人が『空気』的に漠然と認識していはいるものの、言語化して考えなかったことを平野氏が解き明かし、自分の心の動き、人の成長、個性、他者との関係、道徳、恋愛、死…etcを新書という形で著しており、提示されているエピソードの一つ一つが身につまされるものであり、それがまたとても面白かったのです。 『本当の自分とは何か?』 10代からこういった疑問を感じる方は少なくないかと思われます。これがまかり間違ってしまうととんでもない方向に良いってしまいがちですが、ここで言うところの『分人』という考え方にのっとってみると、『自分』とは決してひとつではなく、多面体であり、複数の『自分』というものが存在するのだと、かつて、数人で居酒屋何ぞで酒盛りをしていた折、そこに居合わせたある方が、 『大人って言うのはねぇ。複数の顔を持っているもんなんだよ』 といっていたのも『分人』という考え方に当てはめて考えると、至極簡単に納得がいったものでございました。 分けられない存在である「individual」を、分割可能な「dividual」へと捉え直すことによって、自己と他者との関係性を規定し直すことができる。という筆者の考え方は息苦しい現代社会におけるコミュニケーションのあり方について、一石を投ずるものであると思っております。
2016/6/2
著者は小説家、平野啓一郎。処女作「日蝕」の評判を伝え聞いて、ずっと衒学的で観念的な作家だと思い込んでいた。その後、一冊だけ「一月物語」を読んで、思ったより読みやすく、風格、というかはったり?がない作家だな、と意外に思った記憶がある。 本書もわかりやすい。平易な言葉で、独りよがりにならない。この手の本を読むと、文章の意味がわからなくて面倒な思いをすることがよくあるが、本書ではそれはなかった。文章のプロだからなんだろうか? 分人。面白い考え方だ。新しくはない。ペルソナに近いかもしれない。でもそれを肯定しているのが新しい。「本当の自分」なんていない。言うなれば、いろいろな相手、いろいろな局面で現れるそれぞれ違う個性「分人」のネットワークが「本当の自分」だという考え方。 ぼくはFacebookには近寄らないようにしているのだけれど、理由の一つは、仕事と趣味の世界をごっちゃにしたくないからだ。仕事の同僚と釣りに行きたいとは思わないし、釣り友達と仕事の話なんかしたくない。同僚と釣り友達が「○○って会社では」「川では」みたいな話を始めたりしたら、と思うとぞっとする。別にキャラを作っているつもりはないし、どっちが本当の自分だとも思わないけれど、とにかくイヤなのだ。そんな自分が後ろめたいわけではないけれど、なんとなく人と違うんだろうか、と釈然としない部分はあった。ぼくは知らずに分人を大切にしているのだ、と考えればなんとなくすっきりする。 その一方で、仕事用、趣味用、家庭用と、たくさんの分人をそれなりのポテンシャルで維持するのはかなりのエネルギーが必要そうだ。そこまで体力のない人は大勢いるだろう。あるシチュエーションに適合する分人を育てることができなければ、その人はその環境には適合障害を起こす。その反面、居心地のよい、気に入った分人は大きくなっていく。それを「本当の自分」「自分らしい自分」と呼んだとしても、そんなに不自然ではない気がする。 いろいろ考える、面白い本だった。
2020/4/9
[このレビューにはネタバレが含まれます]
続きを表示
2020/4/4
いつも変わらぬ一人「個人」として人や世のなかと向き合うのでなく、その相手・対象ごとに合った向き合い方をするdividual(可分)な「分人」という概念を提唱している。日本人の人づき合いからすれば説明がつく感じもするけど、欧米の人にも腑に落ちるだろうかとか、ちょっとこじつけっぽいところがあったり、べつに「個人」だってこんなもんでしょと思わないでもないけど、あえて「分人」というとらえ方をするのは面白い。 私も数十年の間すっかり誰にでも同じように接することが誠実でいい態度なのだと思ってきた気がするけど、「分人」化すればそういうことは考えなくてもいいことになる。分け隔てなくつき合わなくてもいいことになる。人つき合いが楽になる概念ともいえそう。 もともとは小説のなかで触れていた「分人」をもとにこういう新書に仕立てられるのが平野啓一郎の器用なところだし、思想の反映としての小説のあり方を感じさせられる。
2015/4/7
「わたしは始終中腰で隙があったら、自分の本領へ飛び移ろう飛び移ろうとのみ思っていたのですが、さてその本領というのがあるようで、無いので、どこを向いても、思い切ってやっと跳び移れないのです。私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち鋤くんでしまったのです。(夏目漱石/私の個人主義)」 「人間はたった一度しかない人生の中で、出来ればいろんな自分を生きたい。対人関係を通じて、様々に変化し得る自分をエンジョイしたい。いつも同じ自分に監禁されているというのは、大きなストレスである。」 「結局のところ、子供の生育環境を考えるというのは、その子にとって、どのような分人の構成が理想的なのかを考えるこのなのだろう。育ちの良い、恵まれた人間にばかり囲まれているのがいいとは必ずしも言えない。社会そのものが、もっと複雑な、多種多様な人間によって構成されているからだ。」 これは、、、かなり今の自分に刺さる本であった。気づけば少ない分人の中で生きていこうとする自分がいた。理由としてはその違う分人同士を見るのが辟易するからだ。コロコロ変わる自分に嫌気がさすから、都合の良い自分だけ見ていたいと思ってしまう。 この本を読みながら、確かに本当の自分ってなんだろうと思い探すと見当たらない。ただ単に自分の好みの分人で自分自身を表現していただけかもしれない。 自分を好きになるのは難しいことでも、誰しもがこの人といるときの自分が好きというものがある。自分の好きな分人はどれか。それがつまり好きって話である。 「愛とは、相手の存在が、あなた自信を愛させてくれることだ。」 「愛する人が存在しなくなったことは、もちろん、悲しい。同時に、もう愛する人との分人を生きられないことが悲しい。」 主婦が赤ん坊との相手だけで分人を見つけられなくなって辛くなるのも、分人の減少とわかり、非常に納得。 宇宙飛行士が精神的にタフでなければいけない理由は、分人が限られた生活を長期間行うからだという説明もひどく納得。
2015/8/27
平野啓一郎氏の小説は一冊も読んだことはない(※)。この本を読むと、ぜひとも読まないとな、と思うようになった。 そもそも「分人」とは何かという前提知識もなく、また何かであることも想像することもせず、この本を手に取った。kindleで安くなっていたからだが、『葬送』や『日蝕』といった小説のことを以前から読まずとも知っていたからでもある。 「分人」とは、「個人」と対立する著者の造語であった。「個人」が、Individual=In+dividual、つまり分割できない主体、と認識されるのに対して、相手との関係性に応じて人間はそれぞれの別の「分人」を持つものであるとして人間を理解することを提案するものである。著者は、「分人とは、対人関係ごとの様々な自分のことである」と規定している。そして、ひとりの人間を「複数の分人のネットワーク」と考えるべきだとする。ペルソナの概念に似ていると考える人もいるかもしれないが、「個人」という核があった上で、いろいろな側面として捉えられるペルソナとは異なる概念と考えるべきだろう。特に「分人」が対人関係から規定されるということがぺルソナとは異なっているところである。 それでは、著者が「分人」という概念を持ち出した理由は何なのだろうか。その問いに対しては、「分人」がより生きやすくするための分析の道具となるからである。その著者の意図を正確に解釈した上で読み込んでいくことが必要だろうし、またその意図を理解すればその後の内容にはとても納得する部分が多い。そこには、「個人」という言葉に代表される「本当の自分」というものは幻想であり、対人関係である分人こそが実体であるという考え方の転換がある。「個人」であることの生きにくさからの解放であるともいえる。もちろん、人格というものが他者との関係によってのみ形作られるもので、他者が存在しなければ人格も存在しえないというのは決して新しい考えではない。しかし、複数の対人関係を、実体として個人の上に置くというのは、新しい考え方のように思える。また、「分人」という概念を用いることで、そこで相対する他者もまたその人の私向けの「分人」であることが明確になってくる。著者もいうように、現代においてはSNSなどのコミュニケーションテクノロジーの発展により、新しい形の「分人」が生じ、そのことはますます可視化されて協調されていくのではないか。著者も強調する今日重要となる複数のコミュニティへの多重参加ということも「分人」という単位を持ち込むことで容易となる。 実際の体験からも「分人」が実体として感じられることがある。自分の子供の例だが、中学の野球部に入ってしばらくすると、自分たち親が応援に行くことを強烈に拒否していたが、それは親に対する「分人」と、野球部の中での「分人」が彼の中で完全に違っていったからだと解釈することもできるだろう。もちろん自分自身に関しても、親に対する「分人」と、妻に対する「分人」と、子どもに対する「分人」と、会社の中での「分人」と、ネットの中での「分人」と、様々な「分人」のネットワークであるとされることにほとんど抵抗がない。個性とは、「分人」の構成比率のことであり、時とともに大きく変化するのも当たり前だと言われると、生きやすさのためのツールだということもよく理解できる。 興味深いのは、著者が、心理学でもなく、社会学でもなく、小説を書く上でこの「分人」の発想を必要としたことだ。近代小説はおそらくはその成立において「個人」の成立を前提にしていたし、逆に、「個人」は小説によって強化されてきた。小説内の主人公を含む登場人物は、小説の中では「分人」として登場するのではなく、「個人」として登場する。そのような「個人」の成立過程において、人は社会の中で責任を持たされ、一神教の世界においては罪の意識というものを強化することに寄与してきた。その意味で、近代小説が近世ヨーロッパから始まったことと無関係ではないはずだ。著者は、その上で文学はもともと個人であるはずの主人公が恋愛する複数の「分人」を抱えることによる矛盾と葛藤を延々と描いてきた、という。片思いや嫉妬、人の死に対する感情を「分人」の考え方で説明していく。そうかもしれない。しかし著者が小説家として、この考えに辿り着いたのは、小説技法において新しいことを試みているようで頼もしい(読んだことないけど)。 平野さんの小説、やっぱり読んでみよう。 — (※) 『小説の読み方』は読んでいたことに後で気が付いた。小説ではないけど。この本を読んだ後、いくつかの小説を読むことになる。 『小説の読み方~感想が語れる着眼点~』のレビュー http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4569704344
2023/1/2
お世話になる演出助手の方が読んでいるため購入。 分人の意味を理解すると誰もが使っていることに気付く。自分を守るためにも相手に合わせて接し方を変えることは悪いことでもなく必要なことであると思う。他人から家族、恋愛や死について様々な観点で分人についての見解があり、ページ数が少ない割に読みごたえあり。
2022/8/20
「マチネの終わりに」を読んで魂を揺さぶられ、前々から小耳に挟んでいた新書だと思い購入しましたが、非常に平易な言葉で綴られており分かりやすいです。 そこらのハウツー本を読むよりもこれを読んだ方が人生を生きやすくなると思いました。良かったです。
2023/1/4
本書は簡単そうで難しい話だ。 著者は分人の発想を持ち出し 個性はあまたある分人が集まった相対的なもの、という捉え方だ。個性は一定のものではなく、環境や人によって変わるものと訴える。 自分らしく生きるために、ストレスト少なく幸福感に満ちた人生を歩むのに何が大事かを考えさせられた。 私自身の結論は、素直に接する友人関係を作ること。これがとっても大事で、とても難しい。 短時間で腹を割って話して心が通じあえる人間もいれば、何度話しても素直になれない人もいる。 時間をかけることが1番の正解だけれど、 時間は有限だから、かけられる人は限られる。 その意味では素直に接する人が多い人は心豊かな人で、幸せな人生なのだと思う。素直な心、自分の綺麗な個性、自分の魅力が引き出される人との時間をたくさんもちたいものた。 本書の 後半を読んだだけなのですが、 遺伝子と分人の考え方あたりが良くわからなかったが、要するに、 人間の個性と言ってもおそらくそれは、固定した単純な一つの性質というよりも、一人の中には人類のすべての個性を含むくらいの多様なもので、人の縁によってさまざまそれが引き出されるから、出会う人によって自分の個性は変わるもの、だけど、変わる個性も全てその人の個性の一形態である、というのが作者の主張だった。 ただ、私はそれでもその人の個性はある程度、遺伝的に優れている劣っている要素は決まっている物だと思う。どの能力がすぐれているかは、一人の遺伝子に人類全ての遺伝子が備わっていることを考えると、ほとんど自分でも分かり得ない多様な才能、可能性がある、という話だと解釈する。 母親と接するときには、普段と違うイライラキャラになったり、ある友人と接する時には嫌われないように配慮してへりくだったりと確かにキャラは違う。 だけど、やっぱり、本音の部分、素直な自分が本当の自分で、そうした素直さが出せる人との付き合いはとても楽だし、楽しい。 取り繕った文人をいかにたくさんもとうが、本当は素直な自分を隠しているだけなのだと思うし、疲れる生き方。だけど、隠す分人がたくさん必要なのも事実。 だから結局、素直に出せる相手とそうではない相手の2種類いる、ということで、最終的には素直な自分でいられる関係の人との付き合いを優先した方が幸せなのだと思う。 どんな人ともそうい関係にはなれるが、相手の度量も影響あるし、こちらが素直さを出す勇気があるかどうかにもかかってくる。素直に接する人間が多い人ほどとても幸せなのだと思う。 特にパートナーになる人で素直さを出せない付き合いは無理がある。緊張があるし疲れる。 つまるところ、本書を読み、自分自身の興味関心や感情の起伏は縁によって変わりやすいもの、変わらない個性はある。自分のその複雑な個性をたくさん見せれる相手こそ、自分が素直さを出せる人であるといえる。 たくさんの個性を知ってもらえると、自分こことを理解してもらえていると人は思うのだろう。その個性は矛盾するように見えることもたくさんある。普段は汚くても大丈夫なのにちょっと環境が変わると気になってしょうがなくなったり。 だから、人間関係は、相手に多面性があると知り、その多面性をお互いが肯定的に認めあう。そのような関係になると太く強い絆になる。そうした人間関係を創りたいとも思えた。 誰に対しても変わらない素直な自分の生き方ができるのがやはり大事。素直さを出す生き方は、現代のキーワードでもあるように思う。 悪人と接すれば自分の中の悪人の個性も引っ張りだされる。だから、本書に書いてあったように、自分の好きな個性が引き出される人との付き合いを好んで選ぶことが大事なのだろう。 ある友人と懇意に付き合うかどうか悩んだ時、その人と一緒にいる自分自身のキャラは好きか?を問うと答えは出やすいは至言。 また、人生を変えるには、付き合う人間を変えることが手っ取り早いもその通りだろう。 好きな自分を引き出せる環境づくり、出会いを広げることを、日頃から心がけることが大事だろうなと思った。
2022/12/4
人や立場、環境などにより自分を切り替える感覚はすごく理解できる。私という存在は一人だけど、私という個人は一人ではない。だけど、人の顔はひとつしかい。だから、仮面(ペルソナ)が必要になる。私はいくつもの仮面(ペルソナ)を持っている。多用しているものもあるけど、もう使わなくなったものもある。だから、私にとって分人という考え方はとても腑に落ちたし、納得できる内容だった。人はひとつの分人だけで演技をするとストレスがたまるというのもその通りだと思う。その時、その場に合わせて自分を切り替えるのは必要だと思う。裏表がある方が、よっぽど人間らしいと感じるから。
2022/8/12
タイトル通り『私とは何か』を突き詰めた本 小説家の作者が人に対する接し方を見つめて何故そういう態度になるのか考え、分人と言う考え方を導き出した。 自分にとって嫌な人でも、他人は嫌ではないかも知れない。それは半分は自分のせいもある。自分に対する態度はその人の自分に対する分人が自分に取って嫌なだけ 分人とは、1人の人間の中には場所や接する人によって性格などが違うということ 個人とはindividualと訳される『嫌われる勇気』でも出てきたなと思うが分割出来る最初単位と思われてたけど実は個人にも分人という存在があって場面などによって人が変わる
2022/5/21
2022.05.10 ずっと読みたかった本をブックオフのGWセールで購入。 これまでの人生で悩んでいたことが、分人主義という概念でスッキリと整理されていた。こりゃすごい。 特定の分人が本当の自分ではなくて、分人の割合で自分が決まる。 だから、付き合う人や環境が変われば、自分は変化する。 なんだか生きるのが楽になった。
2023/1/2
私という個人を分人というものに分けて考えて生きるという、今までにない人間観を与えてくれた本。人と向き合うときに悩む自分、例えば自分以外の相手同士の人間関係、自分と相手との人間関係におけるウエイトの考え方を持つことでその相手との付き合い方にシンプルな考え方を持つことができ、悩みの解消につながるかもしれない。 自分自身を分人として考えるだけではなく、相手を分人として考えて見る視点ということが大切かもしれない。そう見ることで付き合い方、接し方を変えられると思う。 学びメモ ・一人の人間は、複数に分けられる存在である。 ・たった一つの本当の自分は存在しない、相手ごとに見せる複数の顔全てが本当の自分である。 ・分人は相手ごとのさまざまな自分のことで、家族との分人、恋人との分人、友人との分人、必ずしも同じではない。 ・人間には色々な顔があるとはいうが、顔そのものだけはひとつしかない、顔を隠せるなら自分の複数の人格をバラバラなまま生きられるかもしれない。 ・だれとどう付き合うかで自分の中の分人の構成比率が変わる、よって個性は決して生まれつきの不変のものではない。 ・分人の構成比率を変える、つまり付き合う人間を変えることで自分、個性を変えることができる。 ・人との出会いが人生を変えるというのは、分人の構成比率に影響を与えるからであるといえる。 ・人が誰かと付き合うのは自由で、そこに自分が口出しできるのは相手の自分に対する分人までである。自分の言葉は相手にとって、相手の中のさまざまな人向けの分人に晒されて判断されるものである、ということを念頭に入れておく。
2022/8/19
分人主義という考え方はとても新鮮だった。 ①「猫を被っている」と揶揄されることがあるが、分人主義の視点で考えれば、社会的な分人と特定の人に対する分人で分けることが出来るわけだから、色々な面があって当然。 ②「周り5人の平均が自分の性格」という言葉を聞いた事があるが、分人主義における個性とは、分人の構成比率で決まるという考え方で説明がつく。 ③これからは足場となる分人を維持しつつ、自分が目指したい人間像を持っている人達がいるコミュニティに身を置くことを意識したい。 ④ 分人主義とは、他社を経由した自己肯定。
2022/5/16
好きな本(表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬)に分人との記載があり読んだ本。 家の顔、会社の顔…などと思っていた概念を分人という単位で説明されている。 人生においてサードプレイスがある方がいいとか、育児中は孤独を感じるっていう今までの経験からこの考え方が私はすっと理解できた。 誰かに裏切られたとか、あんな奴だと思わなかったとかっていうのも、その人の知らない一面が、自分には知らない分人があるだけと思うと生きるのが少し楽になると思った。
2022/3/24
本当の自分とはなにか?という問いに対して、「分人」という概念を用いて捉え直す。 簡単に言えばいろんな自分がいてそれをどんどん増やしていくのが人生ということ。全部が自分。 これは個人とは対となる概念で、分けられるし他者と共有できるものだという。
2022/4/15
個人に対する分人という考え方がよく理解できた。確かにどんなに辛いときでも「この人といるときの自分」「この絵と向き合ってるときの自分」など自分の一部に好きな部分はあったりする。子供の頃はとくに、視野が狭くなって破滅に向かいがちなので、子供にもぜひ読んでもらいたい。
2022/1/27
自分を客観的に眺めることができる 興味深い読書体験だった。 自分自身がよくわからなくなってしまったとき 対人関係に疲れてしまったとき 理解を助けてくれる1冊。
2022/2/5
納得感がめちゃくちゃあって、分人という考え方を持つことで、どんな自分も自分だと受け入れられる。人間関係がずいぶん楽になるきっかけの1冊。 定期的に読み返したい!
作品レビュー
2021/11/5
分人主義。 高校の友達といる自分。 大学の友達といる自分。 職場にいる時の自分。 家族といる時の自分。 全部自分なんだけど、それぞれ別の自分で、それぞれの自分に優劣はない。 本当の自分とキャラを演じている嘘の自分じゃなくて、それぞれが分人。
2021/10/17
後半難しいなと感じるところが多かった 筆者の頭の良さが伝わってくる どういう人間になりたいかは自分で決める
2021/9/19
■ 分人主義という考えに衝撃! ——————————- 「人間の性格は、そもそも他者との関係性の中で初めて発生するものである」という考え方に驚いた。 オリジナルの自分が、他者に応じて仮面を付け変えるのではなく、そもそもそういった様々な種類の自分「全て=分人」が本物であると考えると、すっと気持ちが楽になる気がした。 また、その「他者」とは必ずしも「人」だけではなく、アートや環境も全て分人を創る対象であるという部分も衝撃だった。 ■ 分人を通じて他者との関係を捉え直す ——————————- 分人は自分と他者によって創られる。よって、人々は互いの分人に相互に影響しあっている。 そう考えると、私は自分以外の人達の分人にどのような影響を与えているのだろう?と思い返すきっかけになった。 ■ これからの人生が楽しみ ——————————- よく「自分を磨く、高める」という表現を耳にする。これは様々な対象と自分との間の分人たちを創り上げ、1人の個人の中にある分人の構成比率を変えていく事なのだと思った。 そう考えると、これから創られていく分人がどういったもので、自分の人生がどうなるのか楽しみになった。
2021/7/31
自分はあまり分人を作れないタイプの人間かなぁ。 でもいろんな本にこの概念が出てくるようになってるからこの考えにハマるかどうかは別として、マストな本だと思う。
2021/8/21
今つきあっている相手が、本当に好きなのかどうか、わからなくなったときには、逆にこう考えてみるべきである。その人と一緒にいる時の自分が好きかどうか?
2022/6/15
individual、つまりこれ以上dividual=分けること、ができないという意味の個人をさらに多面的に分けて考える「分人(主義)」という考え方がとにかくユニークで、特に日本人や東洋的な考え方にはマッチするような気がしました。 コミュニケーションの良し悪し、成功失敗などというものは、たまたま互いの分人(一側面)が合致したりしなかったりするだけのことで、その人全体の人格が肯定されたり否定されているものではない、といったような解釈は、現在の心理的安全な空間を考えるときに非常に取り入れやすのではないか、いろんなケースを想像、想定しながら読める、そんな本でした。 ( オンラインコミュニティ「Book Bar for Leaders」内で紹介 https://www.bizmentor.jp/bookbar )
2022/2/9
結婚して実家を出ると共に横浜へ引っ越してから、帰省の度に「家族や地元そのモノに居心地の悪さ」を感じてた。 この気持ちが何なのかある程度想像出来てたけど、「分人」と言う考え方で腑に落ちた。 夫や横浜での本業・副業で出会う人たちの分人のウェートが大きくなり、地元に戻ってからも私はその分人で振る舞っていたのだと分かった。 私は地元、特に親や姉妹に対する私の分人が嫌いで、反対に今近くにいる人たちの分人は好きだと言うことに本書を読んで気付いた。 ただ親や姉妹はそれを知らないため、10年以上前の私の分人に接してくる。それが違和感となっていたのだな。 良い悪いではなく、環境・人・時間の使い方が変われば分人も変わるし、大事なのは、今多く付き合う分人を好きだと感じることだと思った。 また一つ、生きやすくなった。
2022/5/12
この考え方は生活をとても生きやすくしてくれるものだと思います。 以前まで私という人間は360°分度器であり、関わる人によりこの人の時は0-30°の自分、この人の時は80-200の自分、この人は40-50と270-350の自分。 みたいな考え方をしていました。 その考え方に行き着いてからは人間関係のストレスが格段に減ったのですが、本書の分人という考え方はそれの更に上をいっており、自分が深く考えることのなかった事まで言及されていて納得。 全ての自分に悩む人達に読んで欲しい本です
2021/7/19
自分も含めた、人間の個性の捉え方が大きく変わる。 人の個性は他者との関係性でしか、生まれない。 相手によって態度が変わる、複数の分人を持つということは、肯定されるべきもの。 そのつもりではなかったが、就活における自己分析にも、大いに生かせそう。
2021/9/10
複数の「分人」を生きることで負荷分散がされるという考え方で、少し気が楽になった。分人を使い分けることは難しいと思うけれども、色んな人との分人を持つという意識を忘れないようにしたい。
2021/4/10
私は個人というものに疑問を持っていました。 先輩の前の自分と後輩の前の自分は同じ自分なのか。 親の前と友達の前の自分は同じなのか。 違う音楽のジャンルが好きなのは、同じ自分なのか。 私たちは、それぞれ違う表面をそれぞれの場合によって使い分けています。 それをすべて個人と言ってよいのだろうか。 この本は、個人を更に分け、「分人」という概念で説明しています。 私たちの特徴は、それぞれの分人の構成割合で決まっています。 人間とロボットの違いは、相手によって対応を変えることが出来るかできないかで決まっています。 分人という思想を取り入れることで考えれることがあります。 よく私は変わったとか生まれ変わったと言いますが、それは個人という思想を取り入れているために使われています。(個人は1つしかないから) 分人を取り入れると、個人が変わったのではなく、分人の構成比率が変わったことになります。 これの何が良いかというと、自分を変えるハードルがかなり低くなります。 もしあなたが、消えてしまいたい、投げ出したいと考えた時 個人で考えると、自分自身を消す方法しかなくなります。 しかし、分人だと、消したい分人だけを消す(環境を変える)ことが出来るのです。 学校という概念がある場合は、学校の分人を消し、他の分人にシフトしていく。 しかし、言葉で言うのは簡単ですが、実際に行うのは難しいですね… せめて、自分が楽しいと思う分人を足掛かりにその比率を増やしていきたいですね 例えば、その人が好きなのであれば、その人と一緒にいる自分の分人が好きだと 分人だととらえることが出来ます。 失恋がつらいのは、自分の中で最も比率の多い分人を消してしまうのと同意だからです。 人との関わりが更に近くなった現代では、分人の数もさらに増えていきます。 1つこんな考え方があると分かると、自分自身の生きづらさが解消していくと 個人的には思います。
2022/11/13
個性とは、分人の構成比率のこと。 分人とは相手と自分の相互作用によって生まれる自分(の一部)のこと。 本当の自分なんてない。 確かに腑に落ちる点が多い。 強いて批判するとしたなら、個人主義がかなり主体的なイメージがあるのに比べて受動的な自己認識に感じた。 ただ、文学は個人内の葛藤を飽きもせずに描き続けて来たというあるように、分人主義はいろいろな面で腑に落ちる説得力のある説であり、生き方を楽にする考えだと思った。
2022/10/10
友達に「あんたって、意外と人に言われたことを気にするよね」と言われて、今まで周りからそのようなことを言われたことがなかったが、否定できない部分があったので、自分って意外とそうなんだ、、本当の自分はそうなんだ。と思い込んでしまい、どんどんその友達に言われた方向に無意識に向かった時期があった。しかし、それもこの本に書かれていたように、私の人に言われたことを気にする部分というのは、その友達に接する際に現れるわたしの人格のうちの一つ、つまり文人に過ぎないことに気がついた。だから、自分があまり好かない文人を広げるのではなく、思い込んででも勘違いしてもいいから自分の好きな文人を広げていきたいと思う。そして、自分が苦手である文人も受け入れ、自分は友達に言われた分人も自分なので、そいつも含めて自分自身が愛せる自分になりたい。
2021/7/3
分人という考え方は素晴らしかった。色々考えることがあったし、議論したい。たった一つの本当の自分などと言うものは存在していない。分人は全て、「本当の自分」である。ということは、自己分析は、自分の好きな分人はどんなものか。自分の中の分人比率はどんな感じなのか。を明らかにすることかなーと。
2021/7/31
1.人はいくつもの顔をもっている。その分人を集めたものが個人である。好きな分人を自分の中にとどめておこう。それを元手にして自分の枠を広げていく。 他人から本質を規定されて、自分を矮小化されることが不安という表現があり、共感した。 [問い] 1人の人間の中の分人同士は融合するのか否か? [2.奥義] 好きな分人でいられる環境の条件を見つける。
2022/8/27
「分人」は他者(ヒト、モノ)とのコミュニケーションによって生じる。そして、個性は「分人」の構成比率で都度形成されているって、これだけでももうめちゃくちゃ面白い!
2021/5/4
[このレビューにはネタバレが含まれます]
続きを表示
2022/4/7
自分が関わっている人との集合体が自分で、人によってノリや言葉を使い分けていることは全くもっておかしなことでは無い。 だからこそ、自分が安心できたり、自分が楽しんでると思える人と付き合う時間を増やしたり、出会いを増やしてより豊かな自分になりたいと思った。
2021/3/13
分人という捉え方に救われた。 私はある個人との分人を上手く生きれないことが苦しく、また相手の私に対する分人を幸せにしてあげられないことに悩み、辛かった。 分人は他者との相互関係の中で生まれる、コミュニケーションの反復によって生じる。 上手く関係を築いていけないことが、私だけの責任ではないことが救いになった。
2021/7/16
「個人」という概念が西洋の一神教からきている。一個の「個人」ではなくさまざまな場面で入れ替わる分人の総体を自分として捉え方ようと言う概念です。 こちらが一個の個性に執着すれば、 相手も取り付くしまもない。 これが相手を分人化させない態度となる。 「本当の自分」などない。 さまざまな分人に入れ替わりながら、 物事を考える。 この分人の考えをとると、 永遠に見つからない自分探しの旅をしなくて済みます。なので生き方として楽になると思いました。 ただ分人について、しっくりこない部分も残りました。
作品レビュー
2021/9/16
「こういう考え方があったのか!」と驚き、関心しながら読み進めていました。 自分の中のモヤモヤを取り除いてくれましたし、これから生きていく上で、この考え方を大事にし、どんどん活用していこうと思います。
2021/7/5
同じ相手でも、個人で接する場合とグループで接する場合は異なる印象をもつことがずっと不思議だった。個人で悪いやつはそんなにいなくて(嫌ならば付き合わない)、問題はグループで接するとき豹変する人間なのだが、分人か変化したと考えるとその変わり身に納得がいった。この分人のアイデアで人間関係が色々と説明できそうだ。 自分でも知らない本当の自分がいる、という思い込み、刷り込みに毒されていると感じた。
2021/6/19
目から鱗 分けられない個人という単位を、人と私の関係ごとに分人という単位へと細分化して考える。 そのアイデアによって、本当の自分問題や、他者理解の問題が鮮やかに描きなおされていく。
2021/2/13
知り合いの数だけ私の分人がいる。どれも本当の私。 facebookで友達が増えれば増えるほど発信がしづらくなるのは、それぞれの私の分人が少しずつ違うから。別の顔はいくつもあるけどどれも本当の自分。 今の自分自身が好きじゃないのは今囲まれている人間関係の比率の問題か。居心地のいい環境に身を置ければ自分の分人達も生きやすくなるのかな。 コロナで人と接することが少なくなった私はいろんな私の分人を持つのが難しく、少し辛い。 人とたくさん接して分人を増やし、充実した人生を送りたい。今はとりあえず読書で私の分人を育てていこうと思う。
2023/1/3
分人について非常にわかりやすかったです。確かに分人主義で説明できることも多く、こういった考え方に納得できる方は積極的に取り入れた方がよいと思います。
2021/3/21
岡野幸夫先生 おすすめ 62【教養】914.6-H ★ブックリストのコメント 「本当の自分」はひとつじゃない! 相手や場面に応じて変わる「さまざまな自分」がすべて「本当の自分」なのである。そのように考えることで、恋愛・職場・家族など、人間関係に悩むあなたも楽になるはず。幸夫先生 おすすめ 62【教養】914.6-H ★ブックリストのコメント 「本当の自分」はひとつじゃない! 相手や場面に応じて変わる「さまざまな自分」がすべて「本当の自分」なのである。そのように考えることで、恋愛・職場・家族など、人間関係に悩むあなたも楽になるはず。
2021/2/17
友達、家族、恋人、職場の人、それぞれの場所で 自分らしくいられる自分が変わるのは仕方がないこと。 マチネの終わりにでハマった著者の 作品みていったら この本はあるカフェで手にとった事がある本だった
2021/6/13
個人という単体でその人を見てしまうのと、分人というより細かな単体で見るのではその人に対する自分のイメージがかなり違うなと思った。 どうしても一部分でも嫌な面を見つけるとその人を全否定してしまったり、逆の場合は自分を全否定してしまうが、分人という考えを持てたらもっと心に余裕を持てるし、お互いをもっと配慮できる人間関係が構築できると思う。 個性=分人の構成比率は面白かった
2021/5/9
個人ではなく分人という考え方。 なるほどなと納得させられる部分が多く、対人関係での悩みや自己のアイデンティティへの葛藤に対する助けになる考え方だと感じた。 あくまで考え方の「モデル」であるから、うつ病などに対する理解の仕方など少々強引と感じる部分もあったが、それでも対人関係の多くをこのモデルで説明できる説得力はある。特に死者に対する受け入れ方はとても良かった。
2021/5/4
これは凄くいい本〜読んでよかった! ・「本当の自分」は存在するのか?→自分とは小さな「分人」の集合体。自分探しが終わった、とは、心地よい分人の比率を見つけた状態、と言い換えることができる。 ・よく、「自分と最も関わりのある5人の性格で人間はできている」みたいな言葉をTwitterで見かけるが、その理由がよく分かった。結局自分はいくつもの分人の集合体で、個々の分人は他者との関わりの中で構成される。つまり、誰といるときの分人の比率を大きくするかで自分の性格が変わっていくとも言える。一人で生きていては人間は変化しない。逆に他者と関わるほど変化していける。 ・分人の数が少ないと、その分人がダメになった時に人生の全てが上手くいかないような気持ちになる。リスクヘッジの意味でも、複数のコミュニティを持つと良い。 ・「死者が私の心の中に生きている」みたいな話はスピリチュアルっぽくて突っぱねていたけど、分人を使えばこれも理解できる。結局、人が死んでも、その人と会話していた時の自分の人格は簡単には消えていかない。 ・分人の観点で考えたら、失恋の薬は新しい恋、というのはあながち間違いではないのかも。または、大失恋の後は新しい分人をインストールする容量がたっぷりできたとも言える。色々な人に会って自分をアップデートするいい機会なのかも。 ・ロボットは分人を作れない。言い換えれば、一人一人にカスタマイズした「その人との会話、その人との人格」を作れるのが人間の強み。ロボットに勝ちたいとかそういう話ではないけど、人間に生まれたからには、八方美人のように誰にでも同じ反応をするのではなくて、一人一人に寄り添った会話のできる人間になりたい。
2021/6/10
Youtuberのベルさんの動画見たのがきっかけで読みました! 『分人』という考えに非常に共感できました。 私は自身、家族や仕事、地元の友達、バイトの友達などなどキャラが全然違うなぁと 常日頃感じていて、本当の自分はどれなんだろなぁーと考えることが多かったのですごくスッキリした気持ちになりました。 どの自分も『本当の自分』だし、意識してキャラクターを変えてるつもりもない。 どんな自分も受け入れていいんだと思えるだけで何だか納得できました。 定期的にあう友達だってきっと『その人と話してる自分が好きだから』会いたくなるんだよなぁーと思います。 これは家族にも言える。妻とはもう付き合ってる時期から換算すると10年以上経つが、妻といる時間が好きだからずっと一緒にいて欲しいってきっと思うんだろーなと。 妻の前でうまく喋れずと怒られることもあるけど、実力不足ではなく妻と接してる時の『分人』がそーしてるのだなと納得。笑
2020/6/8
一人十色。相手次第で様々な自分になる。変化を肯定的に捉えられ、色んな自分を認められるようになった。人との関わることで新たな自分も発見できる。好きな文人との出会いが、自己を肯定的にしてくれるこの考え方は心に響きました。
2021/5/6
現代社会における人間関係の悩みを人間という生物の個体に対する考え方を改めさせることで解決する本。読むのは2回目だが、何度読んでも新しい発見がある良本。 本書は、人間の最小単位は個人ではなく分人であることを主張し、個人=複数の分人(人格)と定義づけ、個人は整数的、分人は整数的だとしている。 分人は、社会的分人・特定のグループに対する分人・特定の個人に対する分人の大きく3つに分けられ、相手の数が少なくなるほど親密な関係になる。社会的分人から特定の個人に対する分人になるまでのスピードは個人差があり、それを踏まえないと嫌悪感が生まれてしまう。出会って間もないころにプライベートの領域に入り込みすぎないように注意したい。また、生徒が全生徒を同じように扱う先生を嫌ったり、八方美人が嫌われたりするのは個人に対する分人化していない、個人が尊重されていないということから生じる苛立ちである。TPOに合わせた分人化というのも大事である。 分人という考え方を取り入れると、職場における人間関係や恋愛関係、個性主義への悶々とした感情がスッキリする。特に、近年「個性を磨け」という主張が飛び交っているが、これは「個性に合った職業を選択しろ」ということに言い換えられる。しかし、多様な個性とは対照的に職業の多様性は非常に限定的である。だから、その職業を好きもしくは嫌いではない分人を個人が抱えていればそれで問題ないと捉えることができれば、職業選択に対する悩みが小さくなるだろう。 こうした分人主義を知った上で重要なのは、「自分は他者との関係で生じた分人の集合体であり、同時に他者もまたそうである」ということ。だから、人は相手を尊重し感謝しなければならない。困っているなら手を差し伸べなくてはならない。 最後に、恋と愛の違いも分人主義という側面から語られているのだが、同時に人を愛したり、恋したりすることは人の性質上可能であることにも胸を撫で下ろす思いがした。まず、恋は一時的に燃え上がる炎のようなもので、愛は継続的で居心地の良さを感じるものであるという前提に立ち、恋と愛の関係性はシーソーのようなものであるとしている。その上で、浮気や嫉妬といった感情が生まれるのは分人の構成比率の内、その相手に対するものが小さくなっているからだとしている。これは非常に納得感がある。相手も自分も愛したいのなら分人の構成比率がその相手が求めているもの以下にならないよう注意したほうが良さそうだ。 また人間関係に対する悩みが生まれたらこの本に立ち帰って心を落ち着かせたい。
2022/8/10
著者ならではの人間の思考の本質に迫る一冊。「分人」と言う考え方を恥ずかしながら初めて知ったが無理なく日々の行動に当てはめて理解が出来る。平易な文章での説明と読み易い文量も大いにプラス。
2021/11/4
自分の中のいろいろな自分の存在に気づき、認めてあげることができる気がする。また、他人にもさまざまな分人がいることもわかり、人との距離の取り方にも示唆を与えてくれた。筆者の提案にもあるが、誰といる時の自分(分人)が好きなのかを考えて、楽しく生きられる分人を追求していきたい。自他との関係に悩んだらまた読みたい。
2021/3/24
【信州大学附属図書館の所蔵はこちらです】 https://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB10173196
2021/4/26
すごく共感! 自分探しの旅は今の分人ラインナップが不足してて充実してない→だから新しい機会で新しい分人ゲットしよう、 は自分を解説された気がしたし、さんざん病んでた環境に戻っても今元気なのは分人ラインナップがいい感じになってきた証なのだろう 自分にはまった仕事見つけてそれのために努力しなさい、が、「個性の尊重」の目的なのはしっくりきたけど意外と実践はされてないかもね
2021/1/29
わかるわかるとか、なるほどねー。 と心の中で呟きながら読み進められる。 定期的に読み返して、安心したい。
2020/3/26
『私とは何か「個人」から「分人」へ』平野啓一郎 講談社・講談社現代新書 2011.9 個人という単位の大雑把さが現代生活に対応しきれていない。個人とはINDIVIDUALの翻訳。Individual(わける) 不可分、これ以上分けられないという意味だ。分人という概念を考える。 平野はカソリック系の中学校も公立の高校にも違和感があった。14歳の時に三島由紀夫『金閣寺』で三島好きに。初期のトーマス・マンが好き。 パリ留学時に語学学校で仏語の上級クラスではおちこぼれて暗くなり、ワンランク下に転入すると優等生になり活発になれたことことが印象に残る。 意図的にキャラを変えたわけではない。 私たちは他人から本質を規定されて自分を矮小化されることに不安を覚える。夏目漱石も「私の個人主義」という講演録で、 生まれたからには何かをしなくてはならないが見当もつかないということを述べている。 対人ごとに分人化できるなら1度の人生で複数のエッヂの効いた人生を生きられる。 資産を分散投資してリスクヘッジするように私たちは自分という人間を複数の分人の同時進行のプロジェクトのように考えるべきだ p94 学校生活でなく放課後の自分がうまくいっているなら、それを自分の足場にするべきだ。 ネガティブな分人の半分は他人のせいだ。ポジティブもまたしかり。 自分探しの旅は新しい分人を作ることを目的としている。一旦ひきこもると出会いがなくなり今抱える分人の更新の機会もなくなる。 『ドーン』では2年半ロケットに缶詰めになるクルーたちを描く。 分人を抑え込もうとする力はナチスやソ連で顕著だった。『ドーン』の散影というネットサービス。全国の防犯カメラをオンライン化して、 誰でも顔認識で検索できる。さらに「可塑整形」という分人ごとの顔を持てる技術。 平野は最初に分人を出したのは『ドーン』である。その前作『決壊』ではもう一歩まで描いた。 主人公は本当の自分を信じていないために空虚感に苛まされている。 三島のエッセー。日本人の情緒的最高のものは恋であって愛ではないと明言する。 愛はキリスト的な由来があると。 人を殺してならないのは一人を殺すとその周辺の分人同士のリンクを破壊することになるからだ。
2021/2/22
今までになかった視点を提供してくれた。 本当の自分とは何かなんて悩む時間は不要で、全て本当の自分。 人によって態度を変えることに嫌悪感を抱く必要ないのだと、少し楽になった。
作品レビュー
2022/8/31
一人の人間にも、複数の顔が存在する。 社会的な顔、身内に見せる顔、家族や恋人に見せる顔はそれぞれ違うだろう。 個人の中に他の顔を見るとき、「本当の顔」や「裏の顔」といった表現が用いられるが、本書はそれらを個人をより細かく分類した「分人」という概念で表している。 特定の環境や組織、人物と関わることで作り上げられるそれぞれの「分人」は、一人の人間の中で様々に構成比率を変化させながら存在する。 ときには相互に影響を与え、分人を変質させる。 そういった中で生まれたものを個性と呼んだりもする。 自分や他人の中に「分人」が存在し、それらは大小ありつつもすべてがその人の一面であること、それは周囲とのつながりによって変化するもの、ということを意識できれば、どれが本当の自分なんだという悩みや、対人関係に関する悩みなども比較的客観視することができるのかもしれない。 そういった気づきを得られた良い本でした。
2020/1/29
接する人により自分が変わり、本当の自分とは何なのか。を悩んでいたので、その解が出た気がした。 唯一の本当の自分というものは存在しない。 個性というものは分人の構成比率によって決まる。 人によって態度や話し方、スタイルが変わることは当たり前でむしろ八方美人というのは一人一人の個性つまり分人を蔑ろにしている、という考え方に感銘を受けた。 人を愛する、というのもその人に対する分人を愛しているかどうかである。
2023/1/22
読みたかった本。 人間関係が悩みの種となる中では、分人主義というのは、仏教のように苦しまずに生きる知恵なのかもしれない 理解できなかった部分もある。もう、一回読もう
2021/5/14
分人という考え方はすごく腹落ちする。 辛い時などは自分を全否定しがちだが、この人といる時の自分が好きなど、考え方を変えると心持ちは変わってくる。 何があっても、大切なパートナーや家族といる時の自分が好きと思えれば、最高に幸せだな。
2020/1/10
人は一つの人格を持った分割不可能な「個人」ではなく、複数の人格をもった分割可能な「分人」である。 これは自分にとってまったく新しい価値観だった。 昔から、自分の親が同じ空間にいる時に友達と話すのがなんとなく嫌だ、高校・大学・職場など、複数のカテゴリーの人間関係は混ぜずにそれぞれ別個に付き合いたい、という思いが強かったが、その理由が解明された。 自分が今まで感じてきた生きづらさのようなものがスッキリ言語化されていたし、人間関係で行き詰まった時、自分を変えたいと思った時にどうすればいいかのヒントが得られた。
2022/4/3
一人の人間に複数の顔があることを 他者との関係性から分人という概念で整理している。 恋愛の章は少々陳腐な感じがしたけれど、全体的には 分かりやすく、然りと思った。 人間関係に悩む、若い人が読むとよいのかも。
2021/1/18
『#私とは何か 「個人」から「分人」へ』 ほぼ日書評 Day318 先日の『芸術新潮』三島由紀夫解説からの流れで平野啓一郎氏のエッセイを。 個人=individual (in-dividual)、すなわち分割できないものと考えるが故に、曲面ごとの自分に違和感を覚え、「本当の自分」探しを始めることの無意味さを解く。人は「分人(=dividual)」であり、ひとつひとつの顔が全て真であると。 誰と、どういう人と、共に過ごす時間が長いか、そこに集中する分人度が高いかによって、観察される人格が大きく変わって来る。「付き合う相手を選びなさい」とは、そういうこと。 分人の集合体としての自分。相手によってそれぞれの変わる分人。 分人の半分は良きにつけ悪しきにつけ、その相手のおかげであり、ネガティブな自分への肯定感を高め、逆に謙虚さや感謝の気持ちも芽生える。 あなたといると笑顔になれる、そんな自分が好きだから、あなたを選んだ…と言われれば嬉しい。 相手との親しさが増せば、相手の分人を自分の中に取り込むことも起きる。 色々な局面で例示されたものは興味深いが、わざわざ「分人」などという実存的なものを引っ張り出さずとも、構造的に相対化すれば、より容易に説明がつくのではとも思いながら読んだが、論説書というよりも、生き方指南書とみれば、このような書き方の方が理解されやすいという一面もあるな。 https://amzn.to/38Ul7yA
2021/5/5
どんな生徒に対しても平等というのは、同じ顔で接する、ということではない。 同じように相手の個性を尊重して文人化する、ということ。
2019/11/22
他者との関係で立ち現われる私。状況に依存した私。そう思って世界をみると、いろいろな現象を説明できる。おもしろかった。再読する。
2021/6/30
確かに、分人が存在する自分を認めることで気持ちがラクになる部分はある。自分の中での一貫性に囚われているところってあるよね。自意識過剰なところもそう。でも相手や環境やコミュニティによって変わっていいんだ。変わって当然なんだ。そうやって自分自身を素直に認められることが大事かなって気がする。自分を認めて自分に優しくなれると周りのことを認められるし優しく寛容になれる気がする。不寛容が目につくこんな時代だからこそ大切にしたい考え方かなと思う。
2021/2/11
clubhouse時代を理解しやすくなるコンセプト、とは素晴らしい切り口。 人間には、いくつもの顔がある。──私 たちは、このことをまず肯定しよう。相 手次第で、自然と様々な自分になる。そ れは少しも後ろめたいことではない。ど こに行ってもオレはオレでは、面倒臭が られるだけで、コミュニケーションは成 立しない 分人はすべて、「本当の自分」である 私たちには、生きていく上での足場が必 要である。その足場を、対人関係の中で、 現に生じている複数の人格に置いてみよう 何度会っても、必要最小限の仕事の話し かせず、その先の関係にはお互いに足を 踏み入れられない(踏み入れる気もない) 人もいる。その人は私に対して、分人を カスタマイズする気がなく、私の方でも ないということだ。分人化の失敗である 誰に対しても、首尾一貫した自分でいよ うとすると、ひたすら愛想の良い、没個 性的な、当たり障りのない自分でいるし かない。まさしく八方美人だ。しかし、 対人関係ごとに思いきって分人化できる なら、私たちは、一度の人生で、複数の エッジの利いた自分を生きることができる
2020/2/21
所属するコミュニティによって全然異なる自分に困惑し、本当の自分とはなんなのか悩んでいた自分を助けてくれた本。どの自分も本当の自分だという、簡単で、でも今まで思いつきもしなかった考え方に感銘を受けた。一人で考えに耽っている自分でさえ数ある分人の1つなのだという。 深く考察すると綻びもありそうな理論だと思う部分もあったけれど、確実に今後の人生に響きそうな良い影響をもらった。これからは、本当の自分はなんなのか、偽って生きているのではないかという悩みに支配されず、好きな分人でいられるコミュニティを大事にしたいと思う。
2018/12/24
職場でうまくいってなくても家庭が円満ならストレスは軽くなるでしょ、というだけの話ではなかった。コミュニケーションがうまくいかないときは、多かれ少なかれ相手にも問題がある。そんな相手と自分の全人格で関わってはリスクを負う恐れもある。逆に良いコミュニケーションは気分もいい。それもやはり相手のお陰でもある。相手ごとに個人の中の分人が役割分担すればリスクヘッジにもなるし、心地よい分人がいくつもあれば人生も多彩になる。そんな自分の存在自体、つながる他者がいればこそ。要点の太字表記が先へと思考を促してくれる。
2015/8/27
[関連リンク] gofujita notes: http://gofujita.net/notes_dividual02.html
2018/11/4
人間は、本当の自分という中心があるのではなく、様々な人とコミュニケーションする時に生じる分人によって構成される。 それは相互作用によって生じる人格なので、いい関係または悪い関係であったとしても、半分は相手のせいであり、半分は自分のせいである。 大切なのはどの分人を足場にするかである。一つの分人を否定されたとしても、その人の全てを否定されたわけではない。
2018/11/12
分人という概念を導入して語る、新しい自分の理解の仕方。自分探しに邁進して行き詰まりを感じている人や、自分をどうしても好きになれないと悩んでいる人に一読してみて欲しいと思う。なんらかの考えるきっかけが得られると思う。
2019/2/20
身近なモヤモヤを全て「分人」の定義一つで説明してしまう筆者の語り口が圧巻だった。新書の割に内容は分かりやすく、一気に読んでしまった。 「分人」の考え方をこれからは使って対人関係を築いきたい。
2022/11/2
筆者の著書がところどころ出てきてちょっと冷める感じはあったが、「分人」という概念を採用するのは良いと思った。
2019/10/27
導入から既に、誰もが経験したことのある感覚を呼び起こされるのではないかな。 SNSの普及や人間関係の複雑化によって多様な自分を持つことで、見失いかねない「本当の自分」に対して考えるヒントを与えてくれる本。 分人という概念を一般的なものと捉えれば、自分の理解にも繋がりそう。
2020/1/8
本当の自分とは?というのは誰しも考えたことがあることだと思う。 本当の自分というのはなく、他者との関わりで生まれる分人の集合体が自分というものの本質であり個性である、というのが分人という考え方である。 自分のことを振り返ると、相手によって自分のキャラが変わっているように思うし、やはり異なる分人を持っているということなのだろう。 自分がないとか思っていた中高生とか、大学生のうちに読みたかった。 刺さる人には刺さる考え方だと思う。
作品レビュー
2019/2/14
5000個星つけたいくらい素晴らしい一冊だった。日本で育ったティーンエイジャーがアイデンティティクライシスに陥ったら周りの大人はすぐにこれを買ってあげて欲しいと思うくらいには好き。
2018/11/26
個人をさらに分けたもの、分人 分人はすべて、本当の自分である 分人(複数の人格)がそれぞれ本音で語り合い、悩み、感動し、人生を変える決断を下したりする 本当の中心となるべき分人はいないが、その時々で足場となる(個人の中の構成比率が高い)分人はいる。 人生が変わるとは、足場となる分人が変わるともいえる 分人は、他者(環境や芸術も含む)との相互作用で生じる。 自分を愛するためには、他者の存在が不可欠。 (自分を愛するためには他者を経由する必要があるという考え方、ナルシズムは気持ち悪い) 愛とは、その人といるときの自分の分人が好きという状態のこと。持続する関係とは、相互の献身の応酬ではなく、相手のおかげで、それぞれが、自分自身に感じるなんか特別な居心地の良さではないか?
2022/5/24
「人は、なかなか、自分の全部が好きだとは言えない。しかし、 誰それといる時の自分(分人) は好き だとは、意外と言えるのではないだろうか? 逆に、別の誰それといる時の自分は嫌いだとも。そうして、もし、 好きな分人が一つでも二つでもあれば、そこを足場に生きていけばいい。 」 この考え方によって、とても気が楽になった。そして、そのシチュエーションに沿って誕生した分人が「場違い」な場に居合わせたことで生まれる違和感、「家族ぐるみのお付き合い」に対する抵抗感の正体、自分らしい・楽にいられると感じられる時間、それらが明瞭に言語化された気がした。しかし、「この分人が好き」と感じている主体は一体誰なのだろうか? 本書を読みながら、分人という概念によって「共同体感覚」のような大きな繋がりをどのように説明していくのかが気になっていた。これに関しては、他者との相互作用の中から生まれる分人は、分人同士で互いに影響し合い、また別の他者の分人へと連鎖的に影響し合っていること、そして、ある故人の分人に対して自己の「その故人との分人」が融解していく過程を想像すると合点がいった。故人の分人と自己の分人との関係性を想起するときの感覚は、木々のさざめき、小川のせせらぎ、そよ風などに身を浸しているときの感覚に似ている。読書や宗教からも分人は生まれるとあるが、自然との対話の中からも分人が生まれるようにも思った。
2020/1/26
①たった1つの自分など存在はせず、対人関係ごとに見せる複数の顔が全て本当の自分なのである。 ②あらゆる人格を最後に統合しているのが、たった1つしかない顔である。 ③誰とどう付き合うかであなたの中の分人の構成比率は変化し、その総体が個性となる。 愛とはその人といるときの自分の分人が好きという他人を経由した自己肯定である。
2019/6/25
帯に『生きるのが楽になる〈分人主義〉のススメ』と書いてある。以下のような違和感や悩みを持ってる人にとってはほんとそうだと思う。 ・友達といるときの自分と家族といるときの自分はなぜこうも違うのか? ・自分は多重人格なのか?どれが本当の自分なのか?それとも本当の自分は別にいるのか? ・とあるコミュニティ内での人間関係がうまくいかない自分はダメ人間なのか… 著者は個人(individual)と対比させた”分人(dividual)”という概念を導入し、上記の困惑をすっきりと解決する。分人とは、ある人の対人関係においてその人の中に複数生じている人格と定義する。自分は一個人だと考えるのが数字の1だとすると、分人は個人を分割した1以下の分数で、全ての分人を足し合わせると1に等しくなるイメージ。分人の数や構成比率はその時々の対人関係に応じて変化していく。消えることや新たに生まれることもある。 自分というものは、そのような分人の集合体だと考えことで、コミュニティAにいるときの自分とコミュニティBにいる時の自分が、違ってても矛盾しない。また、本当の自分はその分人のいずれでもなく集合体であると考えれば、本当の自分探しに翻弄されることもない。人間関係がうまくいかないときはその分人のせいであって(※さらにはその分人はその相手との相互作用で形成されるのでその分人の半分は相手のせいだと著者は言う)、自分全体のせいではない。 こんな風に考えれば、気楽になれそうな気がしませんか?
2017/12/18
小説「ドーン」でも触れられている分人主義についてわかりやすく書いた本。良識と誠実さを前提とすれば共産主義だって機能するかもしれない。しかし、やはりそれを一応前提に考えた時に、作者の言うように新しい歩み寄りの可能性がある捉え方だと思うし読んでみればわかるんだけど、さして不自然な考え方でもない。世代が近いからか、共感できたし、えてしてなんとなくそうであったとも思えた。今、生きている感覚からそれほど遠くないところに、この分人主義という考え方はあり郷に入れば郷に従っていたり、本音と建前と呼ばれるものがあったりする日本人にとっては、難しいことではない。人の持つ、様々な側面(分人)を尊重する。というようなものなのだけれど(正確な表現ではないかもしれない)良識と誠実さを念頭にこの考え方を導入すると、何かいろいろ前に進む気もするし自分自身、何か明るい展望を持てるような気がした。流行るかどうかはわからない。個人的にはソシュールの感覚の延長線上にある考え方だと思う。そして、ソシュールの感覚というのは今、広く共有されかけている感覚だと思う。一つの面白い視座であることは確か。読んでみて損はないと思います。
2018/10/19
個人は不可分、という西洋的な考え方からの脱却。 環境に応じて発生する分人を基準に考えれば、その人の性格はもちろん、栄光も罪も半分は環境要因である。というのは前に聞いた中動態的な話に近かった。分人思想により、(1)自己表現ではなくコミュニケーションそのものを楽しむ、(2)隣人の成功を喜び失敗には手を差し伸べられる、(3)色んな自分という3つのメリット。
2017/8/12
納得いかない相手の意見に「確かに」と賛同したところで、その意見の通りに自分が動くと保証したわけでもない。自分自身が変わってしまうわけでもない。学校での人間関係に悩んでいた頃の自分に読ませたい本。気持ちを楽にしてくれる。
2018/9/17
Weekly Ochiaiを観ていたら平野さんが登場し、分人の話をされていたので興味を持った。 個人が既にそうであるように、分人が当たり前の概念として社会に浸透していけば、生きやすい世の中になるだろうなあと思う。
2017/11/9
人間関係に息苦しさを覚える人は、他者によって無意識下に自分の人格が規定されることを嫌うのだなと思った。まあ、僕のことだが。つまり、自分がコントロールできないことが生じるということ、自分の「自由」が迫害を受けることに対して拒絶反応を示しているのだと、分かった。 何よりも救われたのは、他者と接する自分(分人)が自分のコントロール下にないということ。自分自身海外留学で、欧米人と馴染めなかった時に、「なんでこんな気持ち悪い自分が出てくるんや」って思って、自己嫌悪に陥っていたが、それはしょうがないんだと思えた。 また、もう一つ救われたのが、閉鎖的な環境が人は苦しいってこと。自分自身大学の研究室で本当に息苦しくて、周りが普通に暮らしているのに、馴染めない自分は何てダメなんだと思っていたが、むしろあの人たちが特別なんだと思った。特に閉鎖環境下での人間の精神モニタリングが頻繁に行われて、重要視されてるのは、まさに一つの分人を持ち続けることがいかに人間にとってストレスかを表す、好例だなって思った。
2018/3/12
若林正恭氏の本で著者平野啓一郎氏と「ドーン」と言う作品、また「分人」について知り、レンタル。 なんともすごいことを考える方がいるものだと驚いた。 とはいえ、著者は既にこのようなことは考えられていて、と分人に対する説明を加えていたが。 今まで考えてなんとなくもやもやとしていたものにわかりやすい答えが出されたようなそんな気分だった。 なるほど、と腑に落ちるような。 正解、不正解に関してはわからない。 ただ、こう考えることによって物事がわかりやすくなる、人間関係や社会活動を円滑に送る事ができる。そんな気がした。 もう何年も前NHKのあさイチ、プレミアムコーナーで、ロバートキャンベル氏が著者の本を紹介していてとても気になっていたのに、メモをしなかったために著者名もタイトルも思い出せず悶々としていたのだが、なんとこの平野啓一郎氏の「かたちだけの愛」と言う事が判明し驚いた。 なんとなく読みたい、気になると思うものは年数が経っても変わらないらしい。 著者の他の作品も色々と読んでみたい。
2019/9/2
首尾一貫した、唯一無二の自分など存在しない、という話にすごくホッとしました。息苦しい社会を生きるのに必須の考え方ではないかと思います。それは自分の心持ちに対してでありながら、他者の行動に対する寛容さでもあり、「個人主義」の説くことそのものではないかと思います。 数々の分人を持ちながら、互いに混ざり合い、変えられないところと変えられるところを客観視し、自己と対峙していこう!そう思います。 読んでよかったです。
2016/12/29
マチネの終わりにを読み、TEDでの著者のスピーチを観て、少し気になっていたところに妻が図書館から借りてきた。友人関係によって微妙に変わってしまう自分の性格に自己嫌悪を感じたりする事は誰にでもあるし、自分・他者を肯定する考え方として、また冷静に見直す方法として分人主義はいいのかもしれない。でも、愛する人と一緒にいる時が好きな自分でいられるというくだりは経験上どうもしっくりこない。 読んでいくうちに、分人という言葉が何かの言い換えなのではないか、という感じがしてきて、それが結局は人間関係を指しているんだと思った。ただ、本当の自分というものがいて、それが複数の他者・コミュニティと接しているという考え方ではなく、自分という個人が人間関係ごとに存在しているという事を提案している本なんで、その大前提を見失っていたんだな、と思い直した。そういう読解力の無さではあるけど、何かの言い換えである気がするのは抜けない。
2016/10/5
この本では、「私」というひとりの人間は、さまざまな性格・特徴をしている複数の「分人」がまとまって構成されている、という概念が記載されています。 分人とは、人ごとにキャラを演じ分ける複数の自分のこと。 そして、自分とは分人の集合体のことを指します。 一人の人間は分けられない存在ではなく、複数に分けられる存在です。 だからこそ、たったひとつの本当の自己は存在しません。 私たちは、たったひとりの自分を探すために必死になっています。 ですが、そうではなく、自分にはさまざまな顔があるので、わざわざたったひとりの自分を探さずに、自分の中の好き嫌いをすべて受け止めることが大切だなと思いました。
2018/8/12
・「本当の自分」「嘘の自分」はそもそも存在しない ・他人・社会を通じて形成されて行く「分人」の集合体(職場での分人、両親との分人、恋人との分人…)がワタシである など、今までの「個人」よりもスッキリとした考え方がわかりやすいなと思った。
2016/1/24
アイデンティティーは何のか、というのはおそらく人にとって終わりなき問だろう。しかし、そこに一つの提案をしてくれるのが本作である。中学生や高校生には特におすすめする。
2018/1/28
人間関係が楽になる一冊。 個人ではなく「人は全ての人に対して分人である」という考え方に基づき 「あれ、この人はなんでこうなんだろう」とか「この人はあの人にこうだけど私にはこうだ」みたいな感覚は人間なら当然だから大丈夫だよっていうやつ。 読んだらわかるけどこの人超絶頭いい。
2016/2/4
自己肯定感を持てず、人によって合う合わないが激しい人間だと自覚しているけど、第3章p.126の『好きな分人が一つずつ増えていくなら、私たちは、その分、自分に肯定的になれる。』という一文を読んで声を上げて泣いた。 この本を読み、他人との関係によって生まれる分人という概念を持つことで、いくらか自分を赦せる気がした。対人関係に悩みがちなティーンエイジャー向けにもっと噛み砕いた本があれば、思春期のわたしのような子が救われるかもしれない。もっと早く、この概念に出会いたかった。
2016/1/2
【65/10000】 私とは何か 「個人」から「分人」へ 平野啓一郎 講談社現代新書 2015年に紹介されていて、つんでた本の1冊です。 人間の基本単位を「個人」ではなく「分人」へ、という提案。 唯一無二の存在と考えると「本当の自分」とは・・という疑問もわくが 相手次第で自然と様々な自分(分人)になるのだと考えると 今までの小さな蟠りも溶けていくしように感じますし、 変化にも自由に対応できる心強さを感じました。 私は10000冊読書会参加のみなさんとの間の「分人」が好きなんだな!
2017/5/5
個人という絶対的なものはなく、人と人とのつながりの数だけ異なる自分がいて、その集合体が個人であるという見解は、共感できる。 自分は他者や環境との関りによって結果あぶりだされるものだと自分としては腑に落ちていたが、作者は分人としてその状態を命名してくれたおかげで考察しやすく落とし込んでくれている。その落とし込みが素晴らしいと思った。 この本の考え方で救われたりする人は多いのではないかと思う。 妻にも読んでもらいたいと思った。
作品レビュー
2019/1/2
この「分人」という考えがもっと一般的になればいいのに、と思います。 人の性質は多面的なものであり、どれかが偽りではなく、全てが本質だという内容です。長い間、私もそう考えていたので、非常にしっくりくる考えでした。これが広まれば、本当の自分は何かという葛藤から解放される人や、誰かの一面を見て全てを評するということを避けて謙虚に他人に接することの出来る人が増えるのではないでしょうか。
2015/11/10
知人から薦められた本。人は単一の存在ではなく、多面的であることを小説家でありながら論理的に解説されている。分人という定義は面白く、人間関係に悩んだ時に自分を肯定できる指針となりそう。
2018/10/9
全体的に、あーたしかにな、と思うところが多かったのだけれども、特に最後の郷土愛の話のところですとんと落ちた感じがする。たしかに自分もずっと地元が苦手だったけれども、実家を出て数年経って、離れたところから地元を見るようになって、それからの方が前よりも地元に対する抵抗がなくなったなと思っていた。これってたぶん、途中で出てきた有人火星探査の話とも繋がるところで、分人を生じさせる機会がどれだけあるか、というのが要因だったのかなと思う。高校生までの自分よりも、今の方が色々な人と会う機会があるし。 あと、これってネットワーク理論的にも考えられるんでないかなと思った。繋がりの強い人、弱い人、たぶんそれに応じてその人に対する分人の構成比率が変わるから。
2019/1/30
分人とは一人の人間が相対する人ごとに持つ単位のこと。学校で例えるなら、教室の分人、部活の分人などに分けられる。 つまり、どんな場所・人と接するかに応じて一人の人間(個人)から変容していき、最適化される人格が分人だ。 この概念はまるで「本当の自分」を偽っているような考えに聞こえるかもしれない。しかし、分人の考えには「本当の自分」なんてものは考えない。すべての分人それぞれすべて本当の自分なのだから。 分人と割り切って、色んな自分を生き、好きな分人を選択できること、それが今の時代の幸せなのかもしれない。
2019/7/13
『私とは何か 「個人」から「分人」へ』 平野啓一郎 先日読んだ、オードリーの若林さんのエッセーに分人という聞きなれないワードがあり、注釈に参考文献としてあったため、手に取ってみた。 平野さんは有名な小説家で、私も『マチネの終わりに』を拝読した。本書では、一般的な、個人の概念ではなく、コミュニケーションの中で、その時々に現れる自己の側面を、自己の分身のような位置づけで名前を付けた「分人」という概念で提唱している。 家にいるときに私と、会社にいるときの私、高校の時の私はそれぞれ顔や身体を同じくしていながら、その時々に表出する別個の人格で思考したり、会話したりしている。 こういった概念は鷲田清一氏の『じぶん・この不思議な存在』でも読んだことがあり、個人的には、まったくもって真新しいものではなかった。内田先生も、年を取ることは、様々な人格を自己の中に同居させることであり、その共存がなんらかのトラウマ的事象や抑圧体系において不可能となったことで、一方の人格のみが表出してしまう事態を多重人格者という形で考えている。平野さんも、個性とは分人の構成比率であり、「ほんとうの自分」という単一的な個性の幻想を捨てることで、ネガティブな分人が支配的にならないように、ある種のリスクヘッジとして人間関係においての重要性を説いている。 その中で、自己の中に様々な分人がおり、その中で、好きな1つや2つを足場にしていきていくことができれば自分を愛することが出来るとしている。そして、その自己愛にとって重要な分人という存在は、必ず他者を必要とするものであり、自己を愛するために、他者という経由地を通ることが不可欠である。こうして、逆説的ではあるが、他者の存在を肯定的に捉えられることが、平野さんの分人の概念の重要なポイントである。 では、本書は何が新たな知見であるかといえば、分人という概念を恋愛論や殺人という問題の俎上に挙げた事ではなかろうか。分人的に恋愛について語ると、人が誰かを好きになるとき、それはその人も好きであることもさながら、その人といるときの分人が好きであるということになる。蒼井優が南海キャンディーズの山ちゃんと結婚する時に、「誰が好きかではなく、誰といるときの自分が好きか」と発言していたことが記憶に新しいが、好きな人というものは、概ね自分を好きになるための、重要な経由地となる。失恋がなぜ、自分の一部を失ったかのように苦しいものなのかといえば、それは自分が好きな、足場として持つことが出来ていた分人を喪失するからなのである。さらに、殺人における被害というものは、被害者の死により、それまで多くの人に宿っていた分人が死ぬことである。一人が死ぬことにより、死者との分人は永久に一方通行となってしまう悲しみを人々が味わうのであった。こうした論に対しては、芥川龍之介の『羅生門』で追いはぎにあった死人の髪をむしる媼はどうなるのかと考えたくもなるが、人を殺してはならないのかという問いに対する。一つの要素にはなるだろう。(答えにはなっていないと思う)。
2016/11/24
対人関係ごとに 自分の中に作られる 人格パターン を分人と定義した。考えたことなかったが、その通りだと思った 心理学の影の概念と似ているかも。影は1つだけど、分人は 分数概念だから いくらでも増やせることが 異なるのだろうか 顔や職業が 自分の個性であり、カフカの変身や安部公房の箱男は 個性の喪失を描いた 分人の考え方により、楽に生きられる人は いると思う。学校の道徳教育に取り上げるべき
2019/9/21
「個人」では説明できないことを「分人」という概念を使って説明していく。 確かに腑に落ちる考え方であり、人によっては目から鱗が落ちるということもあると思う。とはいえ、この概念は人は何とはなしに感じていることだと思う。 冗長な説明が回りくどく感じたし、無理に肉付けに苦慮している印象を受けた。そこまで難しくする概念でもないように感じた。また、自作の引用多数でありファンの人には良いと思う。
2015/7/12
平野啓一郎は、日蝕を読んで以来。これはかなり簡単に書かれているので、日蝕で感じたストレスはなかった。分人という考え方、取り入れてみようと思った。
2020/5/6
大先輩に貰って読んでみた。 自分について、また、他人とのコミュニケーションにおいて新しい考え方を知ることができた。 分人という概念について提唱されている。 個人という言葉は、これ以上分けられない(不可分)という意味を持つ。古くから人間とは一貫した存在と考えられてきた。その裏付けとして、他人のいつもと違う一面を見た時、その一面を裏の顔、ないしはいつも見せる姿を仮面をかぶった姿、と考えてしまう事が多い。なぜならば人間の内面は一貫性しているもので、そこから外れた部分は本質ではない、というように二分法に落とし込んで考えているから。 しかし本来人は対人関係ごとに異なる一面を持っている。会社、家庭内、友人それぞれに対して全くもって同じ態度で接する人はあまりいない。異なる態度で接する事の多くは自然に為していることで偽りでも仮面でもない。つまり、人間とは本来他者との相互作用によって複数に分けられる存在であり、首尾一貫した本当の自分というものは存在しない。 「私たちは、尊敬する人の中に、自分のためだけの人格を認めると、うれしくなる。」 何か不幸なことが発生しているとき、「複数ある分人の中の一つの不幸な分人」であることを意識し、個人そのものを責め、消したいと思う必要はない。自分の事が嫌いでも、誰それと一緒にいるときの自分は好きだ、と思えるのならば、そこを自己肯定の入り口とすれば気持ちは楽になるはず。 他人から、〇〇な性格だと思っていたのに本当は●●な人だ、と言われたとき、どの人格もすべて偽りない本性の自分であるはずなのに、皆から普段みえない姿は別の顔なのか、表裏で分けるとしたらどちらが表で、どちらか裏なのか、そういった違和感があったため、この本を読んですっきりと納得した。 「その人と一緒にいるときの自分が好きかどうか?」の一文が一番心に残った。周りからよく好かれている人によく笑う人やよく褒めてくれる人がいるのは、一緒に過ごしているとき、その人を経由して高い自己肯定感を抱けるからである。逆に言えばなんだか好きでないと思う人はその人と接している内に自己肯定感が下がってしまっているということが大きな理由かもしれない。 また、人間関係に悩んだときはもう一度読み返してみたいと思う。
2017/7/1
朝、目覚めた時、自分は何なのか、何をしようとしていたか、思い出すことから始まる。自分が捉える瞬間の意識は、前後と少しずつ変わっている。積み重なると、別人のように変化する。私と言っている個体は、常に変化し続けている。流動していないものなどない。 分人主義を用いてみると、個人の一貫性にこだわりがあることが明らかになった。私が真逆のことを言うのも、他人の言動に矛盾があるのも、至極当然だと思える。こだわりは、自縛でもある。開放され、自他ともに、より自由を求められる、受け入れられる機会になる。社会の混沌と、分人の矛盾の違いは、個人主義における内と外の概念でしかない。 子供の頃は、自分に宇宙のように広い無限の可能性を感じていたから、気持ちが満ちていた。大人になるにつれて、自分の器を知らされ、無力さ、つまらなさに絶望する。自分は何もない、空っぽだと。遺伝子的にも環境からみても、自分は何かの影響のミックスでしかなく、オリジナルではない。 透明な料理用のボールに様々な食材を入れて、混ぜ合わせる。よく混ざり合い、新しい色になる部分があれば、まったく分離し続けている部分もある。何かが入る度に、色や味、食感が変わる。 主張の異なる個対個がまざり合おうとするのは、核融合のような強いエネルギーを伴う。個の中で、混ざり合う弱いエネルギーは外に出にくい。効率がいい。 個としての答えを求めて、考え続けることは変わらないが、私は変わるものだと思えたら、幾分楽しくなる。 170630
2021/1/10
人間関係において生きづらさを感じている人におすすめの本。本当の自分って何?と自分探ししている方にも、分人の考え方は刺さるはず。 著者は、たった一つの本当の自分など存在しない。対人関係ごとに見せる複数の顔(分人)が、全て本当の自分である。個人とは、分人の集合体であると定義している。 さらに、好きな分人が一つでも二つでもあれば、そこを足場に生きていけばいい。自分を肯定する入り口であると述べている。 誰といる時の分人が好きなのかについて、私自身、改めて考えてみたい。自分を愛するためには、他者の存在が不可欠だという、その逆説こそが、分人主義の自己肯定の最も重要な点であると、まとめられている。 これらを踏まえて、私の中の分人について、考えてみたい。好きな分人の比率が高くなるような人間関係を構築していきたい。
2015/1/18
[このレビューにはネタバレが含まれます]
続きを表示
2019/8/27
個人を不可分(indivdual)の個、と捉えるではなく、人間関係ごとの束、即ち分けることのできる関係(分人)の集合体と捉えて、それぞれの関係ごとに違った色合いがあると説いてゆく。従って、個性とはコミュニケーションが反映されたものとなり、当然周りの影響を受けるものとなる。 分人という切り口を得たことで様々な事象の説明が鮮やかに切り替わっていくのが面白かった。 学生時代の友人との挿話からスタートして、どんな風に人間関係を感じていたか平野氏のダイレクトな主観が語られていて、この書きぶりにも好感を持てた。また、これまでの作品の問題意識に触れることにもなり、本人による作家論にもなっていて興味深い。 友人が、自分以外の人にはどういう顔を見せているのだろう、と思うことがある反面、この人は誰に対しても余り変わらないのではないかと思う相手もいる。 分人主義で説明すらならば、こういう誰でも同じ顔を見せる人というのは、相手ごとに固有の分人を生きているのではなく、当たり障りのない、類型的な分人を生きているということになる。 そして平野氏の周りには少ないのかもしれないが、自分への拘りが強過ぎて、相手との間に柔軟なコミュニケーションを育むことができないタイプの人もいる。自分勝手に自分の話ばかりしてしまうタイプ。 分人を育むには自分をポジティブに捉えて、なおかつ柔軟性もあることが必要なのでしょうね。そのあたり、歳をとると難しくなるのかも、と歳をとっている私は思うわけです。
2015/1/7
付き合う相手によってキャラが変わる自分、好きな音楽も読書傾向もバラバラな自分を、分裂していると感じていたので、大げさにいえば、救われた。かな。 読んでいて、とても嬉しかった。 これからはこの考え方が標準になると良いなと思ってます。
2014/11/25
「分人」という著者が産み出した考えについて書かれた本。こういう考えを持つことで心がラクになれるんじゃない?という提案がなされる。これについては完全に同意できる。ただ、自分と対話してるこの自分も分人だよ、といわれても、いまひとつ納得できなかった。むしろ、自分の中の自分というのは、分人たちが重なり合った何かなんじゃないだろうか、とか思ったり。それはさておき、内容はおもしろかった。
2016/2/29
前書きで筆者が言っている通り、まったく新しい考えを提示するというよりは、皆がこれまでぼんやりと気づいていたことに「分人」という言葉を与えることで考え方の見通しがよくなる。 「分人」という考え方を知ってからは世界が少し気楽に捉えられるようになる。
2018/12/9
2018/12/09 M リクエスト 評価が高かったので読んでみた。 分人と個人という考え方。
2022/9/3
少年野球でピッチャー4番キャプテンだった少年がプロになったとしても、プロチームでのポジションに適応していくのが当然だ。あの大谷翔平選手だってヤンキーズのようなスター集団に入るとさすがに「常に中心」という訳にはいかなくなるだろう。つまり人は所属する組織の中で獲得できる役割に馴染んでいくということだ。 このようにポジションから個人を考えると当たり前の話だが、自分の中での使い分けや居心地の悪さを「仮面被って演じる仮の自分」と「本音の自分」の二軸で切り分けようとすると、時に「アイデンティティ・クライシス」を引き起こしてしまう(平野さんの「空白を埋めなさい」で自殺した主人公がまさにこれだろう)。 ならば、そもそも「分割できないひとりの自分」と捉えるのでなく、自分を「分割できる分人の集合体」とすると、分数を足して1になるように(分人同士が混ざり合うことが第5章にあるが)「自分が成り立つ」し、アイデンティティ・クライシスを回避することができるという主張だ。 この考えは、政治家やタレント、パーソナル・ブランディングを図る一部の「意識高い系」以外の人たちにとって「救いになる」と思う。Facebookなどの実名SNSの普及や社会的地位ある人の不祥事を謝罪会見するまで追い詰める日本社会では、ひとつの分人を全人格まで広げて押し付けようとしているとも見える。岡田斗司夫さんはこれを「評価経済社会」と定義し、「いい人戦略」をススメているが、「教室でのかつてのいじめを晒される」などの心無い行為をも受け止めなくてはいけなくなることも生じる。全員にそれを求めるのはディストピアだ。 嫌な役割を押し付けてくる集団からは逃げていいし、付き合う人も選べば良い。これは「分人を自分で選択している」ということだ。今後広がっていくメタバース世界は、分人の量産化が想定される。もっと好きでいられる分人を選択しやすくなると信じたい。 にしても、多面性を持つ登場人物の中の分人たちの織りなすドラマとしてご自身の小説を紹介する辺り”してヤられたなぁ”という気になった。「分人小説シリーズ」というまとめ方もされている。特に「ドーン」という作品は読んでみたくなった。村上春樹さんの「職業としての小説家(https://booklog.jp/users/kuwataka/archives/1/4884184432)」もそうだけど、小説家はご自身のPRもうまい。
2014/10/22
「私とは何か」一度は考える問いだと思います。それに対しての整理法が「分人」という考え方。悩んでいたこと、考えていたことが文章にまとめられていておおお!と思いました。 人は人がいてこそってところが印象的。
2018/12/24
自分らしさと言うが、人は他者との関係で色々な顔を見せる。そうした分人の集まりが個性。自分は一体何なのか?分からないではなく、自分は多様性を持つ豊かな存在なんだと思いたい。 人間観を豊かにしてくれる一冊です。
作品レビュー
2018/12/31
社会人1年目の時、営業に関する下らないビジネス書を読み漁る中で、唯一印象に残っている本。 いや、決してこの本は営業の本ではないのだけど、あらゆる人は分人という構成要素から成り立っていて、人と接する時に何かしらの分人を用いているという考えは、コミニュケーションを取る上で必ず役に立つものだと思う。 これが自然に出来ている人は「そりゃそうだよね」という印象しか抱かないかもしれないけど、みんな無意識で行なっている行動をここまで分かりやすく体系化してるのはすごい。
2016/2/27
非常に噛み砕いて分かりやすく書かれている本。 タイトルは哲学的だが、内容は具体例に基づいたもの。 「本当の私」なんてどこにもないことを、改めて認識させられた。
2015/3/18
ものすごく面白く読んだ。 同年代ということもあってか、具体例にもうなづけるものが多かった。 私の中にたくさん存在する私の存在を持て余していたが、この本を読んですっきりした。 誰も傷つけないし、根本が優しい思想。自分にも、相手にも優しい。 平野啓一郎の小説は小難しそうで、敬遠していたけど、読んでみようかなという気持ちになったのも、大きな収穫。
2017/12/23
分人の考え方は本当に腹に落ちる。人を好きになるのは、その人と一緒の自身の分身が好きになるから、と言うのは恐れ入った。全くその通りだ。
2015/11/15
人は一個人で形成されているのではなく、関係を構築する相手(コミュニティ)ごとに自分=「分人」というものが形成されるという考えを提案したもの(「分人主義」で検索すると色々記事が出てくる)。 本書では「分人」の考えを例とともに説明し、この考えによる、人との新しい付き合い方を最後に提案している。案は納得がいくもので、読むとスッキリする。
2016/3/10
好きな商品はどうして好きなのか、どうしてあの人は応援したくなるのか、会いたくないのかということがすっきり納得できた。社会で生きている以上、人と関わらないことはあり得ないわけで、この「分人」という考え方、いろいろ研究する必要がありそう。「複数の人格それぞれで、本音を語り合い、相手の言動に心を動かされ、考えたり、人生の決断を下したりしている」「ロボットは分人化できない」「自分探しとは、新しい分人をさがすこと」「自分を愛するためには他者の存在が不可欠」「持続する関係とは、相互の献身の応酬ではなく、相手のおかげで自分自身に感じる居心地の良さ」
2020/2/10
とても面白い提案だった。 相手ごとに態度を無意識に変えるのは悪いことで、治したいと思っていたが、捉え方が変わった。 多重人格ではないが、様々な自分がいると思うと何故か気持ちが楽になった。
2014/5/17
分人を意識し始めてから、人間関係で思い悩むくとが減った気がする。所詮数ある分人の一つのことだから、と自分を必要以上に卑下する必要がないことに気づけた。
2017/1/31
分人という考えで、初めて別のコミュニティの自分の知り合いが話したり知り合ったりするのが、なぜか痒い感じがするかを理解出来た。本当の自分などはなく、すべての分人が本当の自分。 その時の自分の分人の割合で性格などが変わって見えるというのは自分の実感からもすんなり入るものだった。辛いときや死にたい時も、それはあくまでその分人の生き方が辛いのであり、他者との関係を変えて分人の比率を変えるとまた人生は変わっていく。個性とは分人の構成比率。 どの人といる時の分人=自分が好きか、それはどの分人の人生をより生きたいかということ。自分にとって心地よい分人を足場にして生きる。愛とはその人といる時の自分の分人が好きという状態。 教育現場で叫ばれる個性の尊重は個性と職業を結びつけなさいという意味。
2014/8/31
作者が提唱する、〈分人〉という考え方を理解するために買いました。 人間は、矛盾に満ちていて、様々な顔があってそれで良い、というところは共感できましたが、ではそれを統合するものは、何なのだろう…とうう疑問が消化しきれずにいます。 分人、という概念が、人を救うのかどうか、自分な中では、まだ結論がでていません。
2013/11/22
「本当の自分」が存在する事を前提とした「ペルソナ」「キャラ」論と「個人」(individual=分けられないもの)概念の葛藤を覚えた平野啓一郎は、個人をさらに細分化した独自の概念「分人」(dividual=分けられるもの)を導入することで、「本当の自分」は対人関係上の分人構成に表れるものとする柔軟な議論を展開する。 はじめ平野啓一郎をてっきり新鋭の哲学家だと思い込んでいて、実は小説『日蝕』で芥川賞を受賞した作家だということに読書中に気が付き、なるほど滑らかな文体に引きずり込まれる快楽がある。作家ならではの思考実験が行き届いており、平野啓一郎は小説にも取り込んでいるそうだ。 しかし、逆に言えば本書に自己批判は存在しない。あまりにも「分人」という概念が柔軟で気持ちよすぎる為に、ここに批判を加えたくないという気分さえあり、そこに恐怖があるし、それこそ作家としての才能を感じるし、なにより平野啓一郎の小説を読みたくなってしまった。作家的に完成された新書として評価すれば、星5つは惜しくない。 (蛇足)平野啓一郎はあとがきで小説の読者から「分人主義の解説を小説ではない形で行って欲しい」という便りをもらったらしく、平野啓一郎としては小説を読んで欲しいという気持ちがあって、小説を読みたくなるような解説書として本書を出したようだ。ボクはまんまと平野啓一郎の思惑にハマってしまったっぽい。
2014/3/3
「分人」という考え方をわかりやすく伝えてくれている一冊。「空白を満たしなさい」で知った分人主義に感銘を受け、より深く知りたくって読んでみた。 心が軽くなる考え方。自分なんて…と悩んだりくじけたりしている人に伝えてあげたい。ただ、大事なのは、どの分人も全て自分、ということ。
2017/12/24
著者の小説の主題ともなっている、自分とは何か、の哲学。本当の自分というものは存在せず、他者との関わりで変化する複数の分人が自分を構成しているという考え方。新しい考え方だが、例も含めてわかりやすく説明されており、納得感がある。確実に人間関係を楽にする一助となった。小説の主題の解説となっている点も非常に良い。数学でいう公式が与えられたようなものでなので、小説を解釈しやすくなることであろう。次は決壊を読んでみたい。
2017/11/5
分人の考え方は理解できた 確かに人それぞれに自分が合わせて生きていると感じる この書籍自体は著者の小説の宣伝と言うように思えてきて少し残念なような気がした
2015/4/15
人を個人ではなく、様々な人格を有する分人ととらえる。考え方はわかるのだが、結局それもそれで疲れるだろうな……
2022/2/6
この本は、久々にかなりの衝撃と感動と考えるきっかけを与えてくれた。 まず、あの有名な『7つの習慣』等、欧米の自己理解系の本を読む中でどうしても拭い去れなかった自分の中の違和感が、言語化されてここにある!と感動した。 また、普段は小説家として活躍されている平野氏の探究活動の軌跡の一部が『分人』を説明される上で出てきており、なにかを生み出す人の思考が垣間見えて面白かった。 小説の方も読みたいと思う。
2013/12/15
オードリー若林の書籍の中で、平野啓一郎の「分人」という考え方を知った。ので読んでみた。 「ペルソナもすべて自分である」みたいなことをざっくり書いてあるのかと予想しながら読んだが、全然そんな簡単な話ではなかった。驚いた。 僕は人間は仮面をかぶりながら生きていっているのだと口には出さないまでも薄々感じながら生きてきた(そしてこれからもきっと生きていく) しかし、人間が仮面(ペルソナ)を付け替えながら生活しているのだとすると、他者との関係性にストレスを感じるようになる。なぜなら自分が仮面をかぶっているのならば、相手も仮面をかぶっていると考えられるからだ。コミュニケーションに齟齬を来す。 本を一冊読んだくらいで人生変わるかと言ったらそれは期待し過ぎ。 でも少し視界が開けた感じはする。 自分を変えるのは無理があるから、自分の中でできることを見つける、くらいがちょうどいいのかと思っていた。 きっと「分人」の概念に通じるものがある。 メモをとるのも忘れ、いつの間にか読み終わっていた。
2013/5/26
某テレビ番組でオードリーの若林さんがおすすめしてた一冊。 自分とは何か? 日々様々な場面にいる自分は各々の他人から“分人”というピースで出来上がっている存在なのだ、という考え方を説いている。 友達と話しているときの自分、家族といるときの自分、初めて会う人と話すときの自分、恋人といるときの自分… そのときどきに変わり応じている自分は全部自分なのだ。八方美人でもない正真正銘の私でいいのだと気づかされた本。 自分探しに悩み続けていた私にとっては、もっと早くに出会えれば良かった一冊笑 おすすめです
2013/2/5
「本当の自分」「うその自分」にまつわる考察を実体験をもとに語ってくれている。わかりやすい。著者の作品を読んでいればもっとわかりやすいのかもしれない。
2014/12/23
私たちは個人という概念を人間関係や社会を考える際の公理として採用し、これを元に演繹推論を行っている。本書は個人に替えて分人の概念を導入、それが人間関係の種々相を無理なく説明し、実際に役に立ち、生きる上での苦しみを緩和させることを、説得的に説明している。個人はアプリオリな公理ではない。それは歴史的な特殊条件から発生した一つの偏った物の見方だ。個人より分人の方が、理屈に合っており、現実によく当てはまり、人をハッピーにする。個人主義はイデオロギーである。分人主義は、それよりはましなイデオロギーとして提出された。
作品レビュー
2017/4/23
これ以上わけることができないということを意味するindividual=個人はさらに分人にわけられる。BSジャパン「ご本出しときますね?」で平野さんがゲストの回にこの考え方を知って興味を持ったのだが、改めて目から鱗が落ちた。 会社では真面目なしっかりものとされ、友人の間ではのんきで危なっかしいやつと呆れられ、家族には神経質で怒りっぽい。これだけ見ると人格が破綻しているようだが、それらの自分をいったん認めてもいいんだと思えた。そして、時に感じる他人の矛盾のようなものにも寛容であろうと思えた。いろんな顔があって当然なのだ。
2017/12/4
本当の自分とは何だろうというのは、誰もが通る疑問なんだろう。学校で友達と会っている自分や会社で叱られる自分は、本当の自分ではなく、もっと素晴らしい自分が他にいるんだ。それを探さなくては、なんてことを考えている。 その疑問は、分人という概念を取り入れる。分人は学校の自分も、会社にいる自分も、家庭にいる自分も全て本当の自分とする。その考えで救われることがある。自分探しに焦る必要もないし、会社、学校でうまくいかなくても、家庭にいる自分にウェイトを置けば楽になる。 複数の自分を生きられるのも実に魅力的だ。
2013/12/12
すごい自分は何人いるんだってぐらい人にあわせて疲れて突き放してを繰り返してしまう自分を多少理解できた気がする。。
2014/4/1
非常に読みやすく、私たちの感覚と一致するような主張を展開していた。この考え方がもっと広まれば、もう少し生きやすい世界になるのではないか。
2013/3/16
人の性格は1つではなく、対面する人や場面によって様々。一人のひとの全てを知りたいという私のエゴは叶わないという、切ない事実をつきつけられた本。
2013/2/21
個人という言葉から、分人という言葉に話が展開され、この現代社会を生きる処世術を示す本書。刺激溢れる思考。
2013/1/29
「本当の自分は一人」この考えを否定し、個人は色々な「分人」より構成されるとの考えをまとめたものだった。 人には多くの顔があり、自然と使い分けている。これは裏表がある嫌な人間ではなく、皆自然と行っている、いわば本能的な行動なのだろう。 確かに人間は共同体で生活を行ってきた。円滑な人間関係を構成するために、そういった能力に磨きがかかった可能性は高い。
2015/2/10
人が、一面だけではなく多面的である、というのは当然のこと。 それぞれの局面で、違う人格になることが、悪いことじゃない、と断言している論調は、元気が出る。
2021/7/26
時折りやってくる自己嫌悪期にどう向き合えばいいのか知りたくて読んでみた。著者が独自に提唱する「分人」(「個人」を対とする概念)を用いた説明は肯けることばかりで、様々なメンタルケアの中でも特にすっきりとした答えが得られたように思います。かなりオススメです!
2013/8/2
人間は対他存在である。「わたしがわたしである」ためには、わたし以外の何者かが「わたしがわたしである」ことを承認することが必要である。…こうしたアイデンティティの確立のためには、自分以外の何者かの承認が必要であるという考え方は、高尚な哲学・思想の世界だけではなく、今や受験評論の世界でもよく知られるものとなっている。ひとりの人間は、「人」と「人」との関係性(=「間」)のなかでその存在が成り立つ。だから「人間にんげん・じんかん(=ひとのあいだ)」と呼ばれるのである。 人間存在は、人と人との間で成立するのだけれど、平野先生の意見の面白いところは、自分の関わった相手によってその人間存在のあり方が違うということである。 自分と親、自分と親しい友人、自分と仲の悪い同僚、自分と恋人…、誰とコミュニケートするかによって、それぞれ「自分」が異なった様相を示す。ざっくりとした説明だけど、これが平野先生の言う「分人」だろう。 「個性」や「人格」を意味する英語の「personality」は、ラテン語の「persona」(仮面)という言葉に由来する。人は状況に応じて、あるいは接する相手によって、かぶる仮面をかえている。わたしは出来た人間ではないので、つきやいやすい人間には笑顔をふりまき、つきあいにくい人間にはそっけない態度をとることがよくあるのだが、それは平野先生の言葉を借りれば、対応する相手によってそれぞれ「分人」を形成しているといえるのだろう。 一般的に、表裏のある人間というのは嫌われるし、また相手によって態度をころころ変える人間も嫌われる。たしかにそのような人間を、わたし自身も嫌だなと思うことがあるが、ただ「分人」という考え方を念頭におくと、そうした人間も一概に責められるものではないと思う。
2012/12/9
個性とは不可抗力的な遺伝要因と環境に対する分人化の産物という人間観の元,他者との関わりと自分自身を規定する.個人(individual)から分人(dividual)という新たな基底の創出はまるで素粒子論の様だ.此迄の御自身の小説で追究したテーマの根底の解説書としても読み下せる.面白い.
2015/3/14
ともだちに薦められて読んだ本 私とは、他者の中に存在していて、その私を定めるのは分人の構成比率という説明は腑に落ちた 以前、とある人に対する私の分人がネガティヴだったとき、その人との分人比率があまりにも高かったために全体を通してネガティヴになっていたのだということが実感できた その後、その人とは離れることになったのだけど私もその人もともに知る人たちがみな、以前と変わらぬ態度で接してくれたことはとてもうれしかった。私とその人との分人関係は、他者にとっては関係のない(というよりつかみきれない)ものなのだった しっくりきたのは、愛の部分 相手をすきな自分の分人が心地いい状態 自己肯定の状態 それは相手のスペックとかそういう満足感ではなくて、心理的な安心感や満足感 結局私は私とは一生つきあっていくのだから、自分を肯定していく、そして相手を肯定できる状態でいることは大切なことなのだと思った。嫌なことを排除していくわけではなく、構成比率を変えることでうまく付き合えることもあるのだなと なるほどおもしろい本でした
2013/4/30
私とは何か? 自分も含め”人間”を考えるとき、基点は(もうこれ以上分けられない)”個人”だった。が、現代の私たちの生活においては、最早個人と言う単位を用いては処理しきれないシーンが少なからずある。 そこで筆者は、「分人」という概念を提唱する。 「たった一つの『本当の自分』など存在しない。」「対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて『本当の自分』である。」(p.7) 面白かったです。 特に面白かったのは、八方美人との違い。 “相手毎に異なる自分”というと八方美人のことかと思ってしまうが、分人化のミソは”相手毎に柔軟にカスタマイズすること”。一方、八方美人とは「誰に対しても、同じ調子のイイ態度で通じると高を括って、相手ごとに分化しようとしない人」(p.78)であり、両者は寧ろ真逆の概念と言えそうです。 個人的には、進む分人化と、一方で”一つしかない顔”(個体としての自分)との、折り合いのつけ方についてはもう少し書かれていてほしかった。 とは言え、”分人主義”、大いに賛同出来る考え方でした。
2013/10/21
これまで語られてきた「個人」というごくごくありふれた概念に代わり、「分人」という新たな概念を提唱する本書。なるほど、この分人という概念は、「確固たるたった一つの自分があるに違いない」という前提に立ってその唯一無二の自分を模索し続ける人に対し、新たな発想の転換方法を提供してくれる。人は他者との関係性の中で自分自身を確立させていく。人はこの世にいる様々な他者とそれぞれ違った関係性を持っていく以上、それぞれの関係性によって生じる自分も複数存在することになる。それぞれの他者との関係の中で生まれるそれぞれの自分、これこそが分人という概念だ(と思う)。 複数の自分を生きることで、特定の関係性(特にそれが辛い場合)に縛られずに生きることができる。また分人を使い分けることで複数のコミュニティに参加し、混じり合うことのないコミュニティを間接的に融合させることもできる。 この発想自体も面白いが、発想の転換で自由になれる気がすることの方が興味深い。「複数の自分があっていい」という発想は人間関係で辛くなったときの精神的な逃げ道になりそうだし(時に逃げは大事だ)、他者の分人に自分が関わっていること、嫌な自分が出てしまう時それは自分だけではなくて相手にもその原因があるということ、こういう考え方にも納得できた。人との付き合い方を考えるきっかけにもなる。 一人でいるときの説明(様々な分人が入れ替わる)がやや弱い気がする。あとはいちいち自分の小説の名前を出してるところがどうしても好きになれないのだが(小説を例に出す理由も言及されてますが…すいません)、それ以外は面白い。好著。
2012/10/26
人間の本質を、一貫した人格を持つ「個人」から、相手や状況によって様々な顔を見せる「分人」と定義し、対人関係から恋愛まで、自己のあり方をあらゆる意味で考え直す本。 人間があらゆる場面で同じように一貫した振る舞いや言動を続けるのは本質的に無理だし、そんな生き方ではトラブルばかりが起こる。相手や場面によって違った顔が出るのは、人として当たり前であり自然。そのことが素直に納得できる。 書いてある通りに受け取って安心するのも良いし、逆に一貫性にこだわってトラブルメイカーの道を進むことで、普通の人とは違う生き方を目指す指針にもなる。 主張への賛否を別にしても読む価値がある本だった。
2014/9/22
私はいろいろな世界を持っているほうだと思う。そのそれぞれの場面で違う私がいる事には気づいていたけど、それを「分人」として定義づけていて、゛そうそう、そんな感じ゛と、納得させてくれた。そんで、息子が、学校、母の前、父の前、父母同時の時、がくどう、習い事・・・などで全く極端に違う顔を見せていて、そのどれかが一緒になる状況をすごく嫌う。その訳が理解できた。そうやって、ストレスの軽減にもなっているんだろう。もちろん、私もそう。バカ話している私も、勉強大好きな私も、まじめで落ち着いている私も、天然でいじられキャラな私も、ぜーんぶ私。こう考えることで、他人も認められるし、自分の中の矛盾に苦しむこともなくなった。この考え方で、救われる人はきっと大勢いると思う。私にとって、この考え方との出会いは大きい。感謝
2016/7/12
自己を客観的に見直すという意味で、相手との関係性を意識させる分人の考え方には納得できました。この作者の小説もちょっと読んでみようかと思います。
2017/5/11
平野さんのTEDを見て興味を持ち、購入。 家族といるときの私、会社にいるときの私、友達といるときの私。 どれも違う顔を持っている私は、家族といるときにばったり友達に会ったりすると、どの私でいればいいのか迷い、どの私が本当の私なのか分からずにいました。 私の「素」ってどれだろう、といつも悩んでいた私が、どれも私だし、それぞれ認めるべき私なのだと、この本を読んで思えました。 新しい考え方をいただきました。ありがとう。
2013/8/30
個人という概念に疑問を持ち,それに対する分人という造語を作って,その考えを教示している.著者の小説にはそういった考えを元に描かれた世界観があるようで,興味深い.
2014/8/16
『すべての間違いの元は、唯一無二の「本当の自分」という神話である。 そこで、こう考えてみよう。たった一つの「本当の自分」など存在しない。裏返して言うならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である。 「個人(individual)」という言葉の語源は、「分けられない」という意味だと冒頭で書いた。本書では、以上のような問題を考えるために、「分人(dividual)」という新しい単位を導入する。 一人の人間は、複数の分人のネットワークであり、そこには「本当の自分」という中心はない。 個人を整数の1とするなら、分人は、分数だとひとまずはイメージしてもらいたい。私という人間は、対人関係ごとのいくつかの分人によって構成されている。そして、その人らしさ(個性)というものは、その複数の分人の構成比率によって決定される。』 すごく分かりやすく、共感できる考察。「ありのままの自分でいること」とはどういうことか、「本当の自分」とは何か、違う視点で考えることができる。仕事をしている時の自分、家族といる時の自分、夫婦でいる時の自分、友達といる時の自分、一人でいる時の自分、異なる一人一人の他者にみせる異なる自分の在り方全ての総体が「ありのままの自分でいること」なんだと気付かされる。それだけの話なんだけどさ。
作品レビュー
2021/2/14
個人に対する「分人」という概念を提示する意欲作。自分は既知の感覚が命名されたような印象。内容はややあっさりしすぎて物足りず。
2014/1/4
生きるのが楽になる分人主義で、三ページくらいでおさまるかと思われる内容をしっかり、じっくりと、親切に説明してくれている。 分人主義は、仕事、友人との交流、組織内や外とのコミュニケーション、ストレスをためない方法として、考え方はとても良いと思う。読んでかなり寛容にはなれるけれども、分人という言葉が、まるで親鸞の悪人正機のように、変に悪用されないか、そうとう人生経験を積んで、ある程度わかっている人じゃないと、この分人は、「確かにそうだ。うんうん」とはいかないと思う。 だから私も、素直に分人で生きるのが楽になったとは言いきれない。 色んな場面に出くわした時に、「うん、分人分人」と唱えて、自分の心を落ち着ける。そういう、認知療法(?)みたいなのに使えるように思える。 分人主義と聞いて浮かんだのはホームページだ。 ホームページとして個人サイトを立ち上げても、いろんなものを詰め込みすぎたら、しんどくなる。分人とは、ホームページを複数のページに分けて、それぞれ持つことではないか。 一つのホームページの中に、日記、プロフィール、エロ日記、お絵かき、小説とかコンテンツを入れていたら、サイトが重たくなるし、何のサイトかわからなくなるし、運営する自分自身も、どうやってこのホームページをまとめたらいいだろうかと、交流がうまくいかないなあと苦労する。友達を増やすには、八方美人になってホームページを宣伝しないといけないが、決まり切った挨拶や言葉しか吐けなくなる。 でも、日記サイト、エロブログ、お絵かきピクシブ、小説家リングに参加する形でそれぞれ分散させれば、それぞれに合わせて、それぞれのつながりに生きる「私」がいる。そのほうがうまいこと、楽に生きられる。それぞれでいろんな言葉を吐ける。八方美人と真逆のことができるのだ。そのかわり、いろんな「集まり」に参加できる時間と余裕がないといけない。 さて、ここで一番の問題は、たぶん多くの人が指摘しているであろうが、分人なのだから同時進行で色々恋愛してもOKかどうかだ。まあ、そういうことが出来る人は別に分人とか言われなくてもやりまくってるのでいいのだが、この分人が広まることで気持ちが楽になり、よし、いま付き合っている人も好きだけど、別のちょっと好きな人とも分人として関係を持とうとはならないか。そのとき、パートナーは「なーんだ、でも、こっちの分人もよろしくね」と便利な状態になるのかどうか。 これはネット社会でここまで情報交換の形が多様化すると、これからは若くてもそういうのが当たり前になりそうだし、というかこんなもん分人とかうんぬん言われなくても、30か40か50歳くらいになった奴はみなやりまくっとるので、文中に出てた「保守的な結論」が何なのかすごく気になる。 ただ、なぜ人を殺してはならないのかの分人からの説き方は納得いった。そこはかなり読む価値はあると思うが、よく考えればまあ、そりゃどっかで聴いたことあるし、そらそうですわという感じ。また、ではまったくつながりのない閉じられた人であるならば、殺しても複数の分人の破壊にたいして影響がないからいいのか。「未来の可能性を閉ざした」からだめなのか。可能性のないやつならばいいのか。ならば皆に可能性なんかあるのか。そこらへんは詰められてないように思った。話が暗くなるからだ。分人の結論はやがて、この人間は殺してもいいという差別と冷酷につながっていく気がする。それは現実社会が、「こんなダメ人間死んだほうが良い」という結論があるのと同じようにつながる。こんな風に人間を分けたり、分けて機能させるようにモデルを作れるのは、ちょっとお金と学歴のない女性相手にお遊びでセックスする余裕のある男の「それはそれ、これはこれ」以外に誰がいるだろう。(もしくは男女逆でも) 分人なんてもともと当たり前だろと思う人と、なるほどそのとらえ方があったか!と驚愕する人と、ものすごく反応が分かれそうだ。 しかし、「どうしておれのこと好きなの?」に「あなたと一緒にいると好きな自分(分人)になれるわ」って、うまい返し方だなぁ。複数にも使っても逃げれそうだから。
2012/9/21
自分の中には、付き合う相手によってそれぞれ別の人格=分人が混ざって存在している、という考え方は、いろいろな自分に関する悩みの解決につながる素晴らしい考え方だと思います。
2012/10/30
人間を分割不可能な「個人」として捉えず、分割可能な「分人」であると捉え、私たちの周りにある様々な事柄(自分とは何かという問い、恋愛観など)を考え直してみようという内容。 分人という概念を取り入れることで、今までとても難しく考えていた問題が、すっきりと解決されていく感じ。多様化した今の社会において、意識されるべき概念だと思います。 特に分人を通した恋愛観に関しての考えが好きでした。文章も読みやすく、一読の価値ありです。他人に対する考え方も寛容になる気がします。
2022/7/30
“あなた”といる時の自分が好き。他者を経由した自己肯定の状態が愛である。 ここで、“あなた”に入るのは、生きた人間でなくても、詩でも小説でもかまわない。 私の場合は、友人の時もあれば、推し、好きなバンドとその歌が入る時もある。 “あなた”の存在が、自分自身を肯定し愛することに繋がっている。好きな分人を足場にして、生きていけば良い。 この本を読んで心が軽くなったと同時に、私にとっての“あなた”に感謝の気持ちが溢れた。
2012/9/28
従来の「個人」単位の考えのもとで思い悩み、自分探しをし、本当の自分とは何かを追い求める者が増えている。 その「個人」に対して、著者は「分人」という新たな概念で自分というものを考える。自分の持つ分人すべてが本当の自分であり、重要なのはその文人の占める割合であるのだ。 個人的にこの考え方には納得させられました。あれもこれも偽者の自分だと考えるのではなく、それすべてが本当の自分だと考える。 そしていきいきした自分の分人を見つけたとき、それが自分の個性であり、するべき「為事(しごと)」かもしれないと思いました。
2013/4/25
平野啓一郎の作品との出会いは「日蝕」だった。当時高校生だったろうか、途中で挫折した覚えがある。難解な文章と、馴染みのない時代背景に完敗した。 あれから10数年、新書で彼の作品に出合うとは。 作品の存在を知ったのは「ボクらの時代」に、オードリー若林が2012年に感銘を受けた本の著者として、マキタスポーツとともに出演していた。 以前の投稿に、マキタスポーツの書についてレビューさせていただいたので、私の興味は平野氏の著書だった。 日蝕以来、彼の作品を手に取ったことがなく、これまでの彼の作品の流れを知らなかった。彼がどのような道を辿ってこの作品に行きついたのかは知る由もなかった。 この作品で「人格」「性格の裏表」「普段と違う顔」など、「誰に対しても同じように接しなくてはいけない」というこれまでのくだらない「人としてあるべき姿」というものが完全に否定された。 職場にいる自分、大学の友人といる自分、家族といる自分、それぞれが違う顔であるべき。職場にいても上司に対する自分、同期と話す自分が違っていて当然のことである。 それを、「○○の(コミュニティにいる)お前は違った」など、さもこの発言者と同じ自分があるべきことが、人間として正しい姿であるというこれまで間違いに間違った論理を押し通してくる人間が多いことか。 人は誰しも「裏の顔」があるというのは当然のことであって、「誰にでも同じように接する人」がいかに気持ちの悪い存在であるか、この作品を広めることによって、理解していただける人が増えるとありがたい。
2013/5/28
オードリー若林正恭さん推薦書 ということと、自分自身が人間関係に悩むことが多いので読みました。 1人の人は分けることができる。 それはおかしなことではない、分人を持って私たちは生きている。 私は正直、自分がたくさんの顔を持っていることに悩み、罪悪感さえもあった。でもこれを読んで初めて「これで良かった」のだと思えた。
2012/12/23
個人=individual ならぬ 分人=dividual としての自己規定を是とすればいろいろクリアになる、という話。ほぼ百パーセント同意できる姿勢だが、一方で「本当の自分」への執着という認識自体が神話ではないかとも思いながら読んだ。 ずっと自分自身の体験の事例を挙げての説明がやや迂遠に感じられもする。モデルを抽象的にあるいは図式的に説明してくれればもっとスッキリ理解できるのにな、とも思った。概念を理解しているかどうかをテストするために、たとえ話をさせることは時々あるが、こういう風に書くことが「分かりやすさ」として認知されているのだとすると、概念の説明というのはなんとも大変な仕事だ。 このモデルの小説版が、 空白を満たしなさい また違う味わい。 私は小説の方が好きだ。
2013/2/11
「本当の自分はどこにいるのか」という問いからスタートし、自分の本質や他人との関係性の持ち方などについて言及している本。“すべては自分である”という分人主義に基づけば、心の持ちようが楽になる気がした。 ①「分人とは何か」(第2章) 人の顔は1つだけだが、その人が持つ自分は様々分けることができる。“自分”というのは相手によって変わっており、そのそれぞれが全て自分なのである。それが、分人主義の考え方となっている。 人は相手ごとにコミュニケーションを成立させようと考え方などを変えており、立ち替わり様々な自分が存在する。そうした自分も他者との相互作用の中に在り、誰に対する顔も自分だと考えられる。個性も分人の割合で変わるものであり、人ごとに接する態度が変わることも、分人主義の中では当たり前であり、むしろ誰に対しても調子が良いことはコミュニケーションを成立できていないこととなって問題となる。 ②分人主義の効用(「第3章 自分と他者を見つめ直す」) 分人主義の採用によって、大きく変わる観点は「相手の見方」である。自分が分人の集合体であるならば、その分人は他者との出会いのおかげで誕生したものである。 分人主義に基づけば、相手を諭すために話をすることも、要は「相手の自分向けの分人」に対して話すことであり、相手は「自分向けの分人」と「他者向けの分人」などを含めて考慮することとなる。そのため、相手の本質にまで踏み込むことは難しい反面、そこまで深く考えずにアドバイスすることもできる。 分人主義は「相手用の分人」を相手がどう捉えるかの問題でもあり、コミュニケーションの結果として生じる分人全てに対して、肯定的に考えることが大切である。 ③分人をどう活かすか 分人主義の考え方の中では、自分の相手向けの分人(性格)は、相手のおかげで(せいで)構成したと言える。それは、悪い面は相手のせいにできるし、良い面は感謝することができる。そのすべてを自分だと割り切り、言い聞かせ、努力する方向に持っていくのは難しい。だが、自分の中の分人を否定せず、飾らないことは、個性を強調させることにもつながる。悪いと思う面も、受け入れ、精進していきたい。
2013/6/22
ずっとニセモノのあたしを演じてると思ってたけどニセモノじゃなかったみたい、これもひとつのあたしなんだ 演じてる自分が八方美人できらいだった、その必要はないみたい。でも、分人であることと八方美人の違いがいまいちまだわからない あたしがあたしでいられる相手とのあいだに愛が生まれるんだ
2012/12/3
人間関係、人付き合いが苦手な自分にとっては非常に考え方がポジティブにさせられた一冊になりました。「本当の自分」は幻だという一言に感銘を受けました。分人という考え方を知った以上、色んな分人を作って個性をおもしろいものにしていきたいなと思いました。人との付き合いが楽しみになるかもしれません。
2013/3/18
対人する相手の数だけ分人がある。その分人の大きさは、相手との関係性によって変わる。そう考えると、いまそこにいない相手の前にいた分人は、いまの私を構成する数々の分人の中で、限りなく小さい。仮に似たようなシチュエーションに出くわすとしよう。それでも、過去の状況と全く同じになることはあり得ない。だから、自分の分人も、似たようで違う、ということにならないだろうか。 細胞みたいに、不要なものは消滅し、新たな分人ができる。新陳代謝みたいなものじゃないだろうか。 特定の人に向けた分人というのがある。その相手と別れてからそれっきりその分人を生きない、ということもある。 いじめられている人は、自分が本質的にいじめられる人間だなどと考える必要はない。それはあくまでいじめる人間との関係性の問題だ。かいかつで楽しい自分になれると感じる分人があるなら、その分ひとこそを足場として、生きる道を考えるべきである。
2012/9/25
ずっと違和感を持ちながら読み進めました。 まず、「分人」というのと昨今いわれてる「キャラ化」との違いがわからなかった。 口述筆記をもとに書き直したものということだそうで、それも違和感の一つかな?と思います。 対談にしたほうがよかったかと…。
2013/3/5
分人主義を提唱した平野啓一郎氏本人による「分人」の解説書。 「分人」という用語に関しては『空白を満たしなさい』のレビューでも書いたので省略。 「私の分人」の一つ一つが他者とのコミュニケーションの結果生じたものであるなら、「私の分人」の半分は、その他者から生じたものだといえる。ひるがえって考えると、「私と接しているときの彼/彼女の分人」の半分は、私から生じたものだということ。たとえば、「私が彼/彼女を嫌っている原因」の半分は「私」にある。 そして「私が嫌っている彼/彼女」は、当然、私が知らない分人をいくつももっている。私が嫌いなのは、あくまで「私と相対しているときの彼/彼女」である。 そのように考えると他者を必要以上に嫌うことはなくなる。とてもフェアだ。 「私が私自身の分人を嫌いになる」という事態も生じうる。嫌いな自分(の一面)を消し去ろうとした場合、「私とは不可分の個人である」という考えに立てば、その人は自殺することになる。 しかし分人主義に基づけば、そのような場合は一つの分人を消せば済む。そのためには、嫌いな分人が生じてしまう相手と付き合うのをやめ、その分人の、私の中に占める構成比率を小さくすればいい。自殺なんかしなくてもいい。 同時に、「私が好きな、私自身の分人」の構成比率を大きくすれば、私という存在を受け入れやすくなり、よりラクに生きることができる。 「ありのままの自分を好きになろう」式の空疎な標語よりもずっと実用的な考え方だ。この考え方によって救われる人はきっと数多く存在すると思う。 著者は、「不可分の個人」という考え方は、キリスト教などの一神教特有のものだという。「神に向き合う私」は一つでなければならない、と。 したがって、隠し事を許さず、相手のことを詮索し、何でも知ろうとする行為は、相手にとっての神になろうとしているのと同じくらい傲慢なことなのだそうだ。 もう一つ宗教関連で。仏教徒の出家を「宗教と相対する私」以外の分人を「消す」ことと解釈しているのが面白かった。三島由紀夫の『豊饒の海』四部作を最後まで読んだ人は、ピンとくる。
2019/3/31
コミュニケーションは、他者との共同作業である。会話の内容や口調、気分など、すべては相互作用の中で決定されてゆく。なぜか?コミュニケーションの成功には、それ自体に喜びがあるからである。(p.35) 一人の人間は、「分けられないindividual」存在ではなく、複数に「分けられるdivisual」な存在である。だからこそ、たった一つの「本当の自分」、首尾一貫した、「ブレない」本来の自己などというものは存在しない。(p.62) 重要なのは、常に自分の分人全体のバランスを見ていることだ。いつだって自分の中には複数の分人が存在しているのだから、もし一つの分人が不調をきたしても、他の分人を足場にすることを考えれば良い。「こっちがダメなら、あっちがある」でかまわない。(p.110) 「自分探しの旅」は、文字通りに取るとバカげているように感じられるが、じつは、分人化のメカニズムに対する鋭い直感が働いているのかもしれない。なぜなら、この度は、分人主義に言い換えるなら、新しい環境、新しい旅を通じて、新しい分人を作ることを目的としているからだ。(p.113) 愛とは、相手の存在が、あなた自身を愛させてくれることだ。そして同時に、あなたの存在によって、相手が自らを愛せるようになることだ。その人と一緒にいる時の分人が好きで、もっとその分人を生きたいと思う。コミュニケーションの中で、そういう分人が発生し、日々新鮮に更新されてゆく。だからこそ、互いにかけがえのない存在であり、だからこそ、より一層、相手を愛する。相手に感謝する。(p.138)
2012/10/2
読みやすさが光る。 私たちは「個人」を生きているのではなく、その場その相手に合わせた「分人」を生きているのだという。 そんなに斬新な主張ではないものの、めちゃくちゃ丁寧に説明されていて、それゆえの説得力はある。 上の考え方を発展させて「うまくふるまえる自分は相手のおかげでもある」「他人のよくないふるまいは自分のせいでもある」という風に論を延長したのはうまいなあと感じた。 独特の恋愛論もおもしろい。「その相手といるときの自分の分人が好き」な相手が好きな人。なるほど。 アイデンティティに悩む若者は勇気を与えられるかもしれない。自分もすこし励まされました。 ひととのつながり、を本気で考えられる本。
2013/3/13
[このレビューにはネタバレが含まれます]
続きを表示
2021/10/26
絶対的な個は存在せず、環境によって立ち現れる人格のみが存在し、それら全てが本当の自分である、という主張。西洋の大きな物語の終焉による、人間の論理的分解が限界を迎えたのちの、ポストモダン的な人間論、的な話。
2018/10/7
分人と言う、新しい個人の一面の概念。 とてもわかりやすく受け入れられた。 昔から個人的に自分の中の分人のギャップが大きくて、下手すれば多重人格ではないかと悩むほどだった。 そういう悩みもあって、心理学を専攻した部分もある。 そのコントロールが難しくて、八方美人だと言われることもよくあったけど、ようやく最近自分の中の様々な分人を理解できるようになってきた気がする。 分人は相手との相互作用で発生するらしいから、ダメな私でも受け入れてくれる人がいることに安心したのかもしれない。 自分が好きだと思える分人が増えていくような関係性が作れるように努力すれば、自分の人生をもっと肯定的に過ごせるらしい。少しずつ、その分人でいられる時間を増やせるように、たまに読み返したい本だと思った。
作品レビュー
2015/3/28
私の大好きな作家、平野啓一郎さんの新書です。 この本は、「個性」とは付き合う人間の構成比率で決まる、本当の自分とはひとつではなく、他人との関係性によってそれぞれの顔がある、ということを分かりやすく解説した本です。 「分人」という考え方は、著者の作品を読んで以前から共感していました。 私はアイデンティティーに悩むような純粋な若者ではありませんがそれでも、「個人」の由来や考え方を知ったうえで、こんな主張を受け入れると生きやすいんじゃないかと思いました。 この本に感銘を受けた方は、著者の分人主義三部作、と言われている作品『決壊』、『ドーン』、『かたちだけの愛』に、『空白を満たしなさい』をプラスした4作を読むことをオススメします。 私の場合、ですが、小説の方が腹にストンと落ちました。特に空白~、は絶品。
2012/12/21
「個人は分人からできている。 分人とは自分以外の他者との間に生まれる人格。 その人格のどれもが自分で、本物の自分、偽物の自分なんでいないんです。」 というのがこの本の概要。 大学の先生に勧められて読みました。 優しい言葉で、具体的なエピソードを踏まえながら書かれた本書は、新しい考えを理解解しやすくて面白い!! 世の中に本物は無いと考える記号論という学問にとても近くて、入り口にとても良さそうです。 この本を読んで心が軽くなったり、過去の自分を許せるようになる人が多いのでは無いかと思います。 私もその一人。 個人的には、恋愛の話の 「その人に対する分人(自分の人格)が好きなら、その人をずっと愛せる」 という内容が心に響きました。 恋愛の価値観が変わりそうです。
2018/8/18
言葉には、相手の人生の自由をどこかで奪うような暴力性がある。しかし、言う側が、その暴力性を気にするあまり、一々留保をつけながら喋ったり、あまり真に受けすぎないでほしいと言ったりし出すと、コミュニケーションは無駄に煩瑣になり、何を信じて良いのかわからなくなる。 〈中略〉 言葉の暴力性は「分けられない個人」という前提で考えているかぎり、なかなか解消できない。なぜなら、発言が一々、相手の全人格にダイレクトに響くからだ。 しかし、分人という単位で考えるなら、あなたが語りかけることが出来るのは、相手の「あなた向けの分人」だけである。その一方で、あなたの言葉は、相手の「他の様々な人向けの分人」に常に曝されている。相手との関係性の中で、あなたが悪意を持って何かを相手に信じさせたとしても、その言葉は、相手の中の別の友人との分人や両親との分人などを通じて吟味される。 恋愛関係は、自分が抱いている「相手向けの分人」と、相手が抱いている「自分向けの分人」とのサイズが同じくらいでないと、なかなか、うまくはいかない。 片思いというのは、お互いの分人の構成比率が、著しく非対称な状態だ。こちらはどんどんs気になった人向けの分人を膨らませて、他の分人をすべて押し潰して、四六時中、その人のことばかりを考えているというのに、むこうはいつまで経っても、社会的な分人のまま自分と接している。あるいは、別の人間向けの分人の方が遥かに大きい。デートに誘ったら、忙しいからと断られたのに、相手が別の人間とデートしていたと知れば、ショックで気がヘンになりそうだろう。その人にとっては、別の人間との分人の方が大切だという意味である。-ーこれが、片思いの苦しみの正体だ。
2012/11/2

2012/9/26
久しぶりに買って読んだ本。 本書は平野啓一郎の著者「ドーン」に出てくる「分人」という考え方についてまとめたもの。 「分人」とは「人が対人関係ごとに見せる複数の顔」のことで、「個人」をより細分化させたものだと作者は説明しています。「人間は決して唯一無二の『(分割不可能な)個人individual』ではない。複数の『(分割払い可能な)分人dividual』である」。 「ドーン」を読んだ時に分人主義の考え方が自分にはとてもしっくりきたので、今回の本にも納得させられることばかりでした。 平野啓一郎は以前に講演を聞いたことがあり、そこで「小説家には書きたいことだけでなく、『書かなければいけないこと』もある」と話していたのがとても印象に残っています。本書でも「この小説ではこういうことを書いた」ということが多く語られていて、この人の小説に対する真摯な姿勢を改めて感じました。しかし平野啓一郎の小説は難解で、まだ「ドーン」しか完読できてないのよね・・・。
2013/5/30
自分の生き方に対する考え方を、全く違う視点から見つめ直すきっかけになった。 個人と分人という別の考え方ができることに気付けて、これからの生き方の参考にしたいと思う。
2013/10/21
次々よせられる共感の声 「生きるのが楽になった!!」 分人主義で行こう! 自分を肯定し良い人間関係を築くヒント満載 小説と格闘する中で生まれた全く新しい人間観! ●嫌いな自分を肯定するには? ●自分らしさはどう生まれるのか? ●他者と自分の距離の取り方 高校の先生から薦められて読んだ本。 言われてみればナットク!のことばかりだった。 こういう本は中学生あたりから読めていたら良かったと心底思う。
2015/8/3
「分人」という概念について 本当の自分などというものはなく 「あの人といる自分」も「この人といる自分」も 「過去の自分」も全て等しく自分なのである。 その時々によって、その内訳(自分という人間の中での構成比=頻出率)が異なるが、どれかが中心(真の自分)でその他が例外(ニセor仮面の自分)というわけではない。
2021/5/9
月並みだけど久しぶりにjust for meな本だった。 所謂「本当の自分」というものは存在せず、状況に応じて変わる自分のキャラ全てが本当の自分。特定の状況あるいは人と関わっている時の自分が好きというのであればその人格を基盤にして生きていけばいい。気持ちが楽になる本。 平野氏の「分人」という思想については小説『空白を満たしなさい』で先に触れており、新書の方も読んでみたいな〜とずっと思っていたのでより氏の言わんとしていることを理解できて良かった。 『空白を〜』もそうだったけど、自殺防止に役立つ本と思う。アイデンティティクライシスに苦しむ人への本。
2012/10/24
歳をとって何となく感じていることが見事に言葉に綴られていて頷きっぱなしだった。スローリーディングの時もそうでしたが平野さんには共感することが多いです。
2018/12/26
私とは何か 個人から文人へ 平野啓一郎 【経緯】 先入観をもたずに読んだ方がいいと勧められて。 20181226読了 【書き出し】 本書の目的は、人間の基本単位を考え直すことである。 【感想】 色々な側面があるのはAB型の特徴によく当てはめられがちなことだし個性のひとつかと思ってたけど、仮初めのペルソナではなく、細分化できてどれも自分という肯定的な意見が嬉しかった。 好きな人の人前で見せない弱さを愛しく思うのは、自分のためにだけの人格(分人)を認めて嬉しくなることに通じるね。 嫌な人といると嫌な分人がでてしまうことがあるから、やっぱり距離感は大切。 誰と一緒にいるかで自分の分人が変わるし、その人と一緒にいるときの自分が好きかどうかで自己肯定感は変わる。尊敬できる好きな人と多くの時間を過ごしていきたいね。 高校からの親友に会うたびに変わっちゃうね言われてモヤがあったのだけど、環境が変われば分人の構成比率も変化するのに変化を肯定的に捉えられなかったのが寂しかったのよね。 【共感】 教育現場でいう個性は将来職業と結びつけろというかことだが、職業の多様性は個性の多様性と比べ限定的 職業につく義務を果たさない個性(役に立たない個性)は社会はなかなか認めてくれない 仕事は為事。職業は何であれ為ることのひとつにすぎず、何かを犠牲にしてまで仕えなくていい カフカの変身は引きこもりとそれを世話をする家族に置き換えられるという発想が面白い。 リスカなどの自傷行為は本当に死んでしまわないように、自殺的な振る舞いをすること。女性に多い。自己そのものを殺したいわけではなく自己像を殺そうとしており、違う自己像を獲得して生きたいと思い、アイデンティティの整理をしている コミュニケーションが成立すると単純にうれしい。とてもシンプルな考え方ですき。相手の個性との間に調和を見出すことはとても自然なこと。 お互いに気持ちのいい分人化をすすめるには、相手がどういう人なのかをよく見極め、柔軟な社会的な分人をお互いの内にもつこと コミュニケーションは極力シンプルなほうがいい。相手は色んな分人を介して吟味する機会があるから。→親子関係だと話は別かもね。子供が幼い場合、親との分人がベースになってしまうから。 複数人の分人を生きるから精神のバランスが保たれる。主婦の育児疲れ、ブラック企業での拘束疲れはこれに通じる。 【引用】 P38 私たちは、たとえどんな相手であろうと、その人との対人関係の中だけで、自分のすべての可能性を発揮することはできない P77 社会的な分人、グループ向けの分人、特定の相手に向けた分人 P81 八方美人とは分人化の巧みな人ではない。むしろ、誰に対しても同じ調子のいい態度で通じるとタカをくくって、相手ごとひ分人化しようとしない人である P84 俺はこういう人間だから、お前はそれに従えと強要することは暴力 P123 親、教師、子供同士とで顔が違うというのは、子供なりに、まったく異なる人間とどうすればコミュニケーションが可能か模索した結果だから否定すべきことではない P135 愛は継続性が期待される。どんな形の愛であれ、愛する人と一緒に過ごす時間が心地よい。一緒にいるだけで、相手がどうだろうが、勝手にこっちがうれしい。心が安らぐ。夢見心地になる。静かな喜びに満たされる。持続する関係とは、相互の献身の応酬ではなく、相手のお陰で、それぞれが、自分自身に感じる何か特別な居心地の良さなのではないか。 P137 あなたと一緒にいると、いつも笑顔が絶えなくて、すごく好きな自分になれる。その好きな自分を、これからの人生でできるだけ、たくさん生きたい。だから、あなたが居てくれないと困ると思った P148 死別すると、もう愛する人との分人を生きられないことが悲しい 【不可解】 男女間での恋と愛についての違いはいくつになっても難しい。 性欲も居心地のよさも継続して満たされたらいいのに。 愛とは相互の献身の応酬ではないとあるけど、恋にはやっぱりサービス精神は必要だと思うし、それがなくなっていくのは淋しいし恋し続けたい。 継続性のある居心地のよさをお互いに感じられたら最高にハッピーだしそういう愛を育てたい。 両立はできないのかなぁ。
2013/3/3
大学の先生に薦められたので読んでみました。 「分人」という考え方はとても理解できます。 私も本当の自分が一つの形である必要なんて 無いと常々、思っていたので。
2012/9/17
同世代の意見が知りたくて手に取った。自我はひとつじゃなくて良いし、性格や表現も状況に応じて変化するものだ。結局、他者に影響されることなしに、この世に存在することなど無理なのだ。これって理解はできるが、どうしても『自分探し』の呪縛に囚われる。そうかといって他者の評価も物凄く気になる。『自分』がちゃんとなくったって進んでいける。勇気が湧いてくるね。
2012/12/9
新刊「空白を満たしなさい」とともに、購入。平野啓一郎は、処女作「日蝕」で芥川賞を取った時のインパクトが強い。 当時大学生だった僕は、書店で本を手にして全く読み進められずに終わったことを憶えている。そんな彼が、個人に対して「分人」という概念を提唱し、前述の新作ではモーニングでの連載を行ったということで、改めてチャレンジ。 小説の前に、この200ページ弱の新書を読了。彼の著作を通して描いてきたことを語りながら、「分人」の誕生と分人主義によるさまざまな考察を進める。 大震災と原発事故の後、中沢新一の「日本の大転換」の中で一神教の弊害と資本主義、原発神話に関しての考察を目にして以来、西洋的なキリスト教思想が日本においてどのような位置づけになっているのか気になっていた。 平野は、「個人(individual) 」は、明治以後に西洋から輸入された言葉であり、一神教をベーストした西洋文化に独特のものであると述べる。西洋の恋愛観も、それゆえ、お互いを「唯一神」とするような個人を単位としたものである。 それに対し、自分と他人の関係の中で継続的に絶えず変化し続ける「分人」の総体こそが「個」であり、「本当の自分」というものは一つではない、と述べる。これは、全ての自然やモノに神が宿る、多神教的な考え方なんだろうと思う。 「自分か世界か、どちらかを愛する気持ちがあれば、生きていける」 数ある自分の分人のうち、好きな分人が一つでも二つでもあれば、そこを足場に生きていけばいい。 そして、その足場となる分人は、生きた人との関係性限らず、詩でも小説でも、音楽でもかまわないと筆者はいう。文化というのは人間に、ポジティブな分人を与え得る装置といえるのではないか?そして、それこそが自分を肯定するための入り口だと言う。 分人主義的な考え方によって、ネガティブシンキングをポジティブシンキングに変えられるのか?という疑問はある。好きな分人を足場に出来ない人は、何から始めれば良いのか?? 筆者の言葉を自分なりに解釈すると、「自分を愛するために他者の存在が不可欠であるという逆説」を知り、他人と関わりを通して好きな分人が増えるように努めること、となろうか? さらに4章で、愛情とは継続性を期待されるものであり、持続する関係とは、相互の献身の応酬ではなく、相手のおかげで、それぞれが、自分自身に感じる何か特別な居心地の良さであると述べる。 分人の考え方によると、個人(個性)とは相手を通した自分の総体みたいなものだから、その関係性は常に双方向である。だから、逆に自分が念ずれば、とか、自分がこうすれば、という主体性だけではどうしようもないことが多いのだと思う。はっきりいって思い込みが強くてコミュニケーションが苦手な人には、結構辛い概念だとも思う。嫉妬・ストーカー・自己卑下・・・ でも、逆に、このような考え方をベースに「双方向なのだから、相手のことを思いやらないといけない。それは自分に返ってくるものだから」とみんなが思うことができれば、と理想論を語ってみる。。。 最も面白かったのは、死者との分人についての件。訃報の悲しみが遅れてやってくるのは、相手との分人が、関係を必要とする段階で初めて不在を痛感するから。大江健三郎の言う「文章を書くことで死んだ友人を自分の中に取り込んでしまう」ということ。故人について語る資格がある人は、故人との分人が消滅しきれずに、語る言葉の半分が故人のものであるということ。。死んだ後も、人は、他者の分人を通してこの世界に残り続ける、という死生観。これは、とてもよい言葉だと思う。年齢とともに、人間は死者との分人を否応なく抱え込んでゆくのだ。仏壇に語りかけるのは、時々その死者との分人を生きてみることに他ならないと。 追記:ターミナルケアに関わる医師によると、クリスチャンは非常に穏やかに死を迎えるケースが多いという。これは、分人主義的な考え方が、”生に絶望している人に対し、生へとつなぎ止めようとする処方箋”なのに対して、一神教的な考え方が、死へ向かおうとする者に対する処方箋であるからなのかもしれないと思った。
2012/11/14
社会の中でもうこれ以上分けることができない存在である「個人」という概念に対し、「わたしの中には様々なわたしがいる」という分数的な概念である「分人主義」を提唱している。帯には【《本当の自分》はひとつじゃない!人間関係に悩むすべての人へ】とあるが、たしかにそういった人たちには啓示ともいえる考え方かもしれない。 著者の小説『決壊』には「本当の自分など存在しない」と、ある意味達観したような主人公が登場する。彼は職場ではおそろしいほど優秀な人間であり、ガールフレンドも何人も抱え、家族に対しても穏やかにコミュニケーションをとることができる。しかし彼は「どれが本当の自分か」という問いに絶望し、自殺を考えるほど袋小路に迷い込んでいる。果てには「そんなもの存在しない」として生きていこうとするが、あるセンセーショナルな事件の容疑者となり、マスコミや刑事に「本当のお前はこんな美しい人間じゃないんだろう」と詰め寄られる—。 著者は『決壊』執筆時にはまだ「分人」という概念をはっきりとさせていなかったらしいが、その主人公の苦しみの中には、インターネットも含めてアイデンティティとはなにかという問いが非常に複雑化した現代の病理のようなものが垣間見える。僕はまだ未読だが、『ドーン』という小説内ではその概念がはっきりと提示されているという。 つまらない上司といるときのわたし、楽しい友達と過ごしているときのわたし、彼氏といるときのわたし、家族といるときのわたし、など、「わたし」というのはその交友関係の広さに比例するかたちで増えていく。どれぐらいの「分人」を抱えて生活するか、どういう「分人」の構成比率で生活するかは、それぞれが一番しっくりくるものを選べばいい。大切なのは「どれが本当の自分なの」などといった考えを捨てることであり、どの自分も「自分」であって、出会いによって新しい「自分」を生きることができるし、相手にも「新しい自分」を生きてもらうことができる、という希望にみちた考え方にシフトすることだ。 本当に力のある作家とは、読者に新しく革新的な視点を与えるものだと思うが、著者は少なくとも僕にとってはそういった作家なのだろうと思った。小説に関しては『決壊』しか読んだことがないが、『ドーン』とそろそろ出るらしい著書を読んでみようと思う。
2013/12/25
総合病院精神医学会で記念講演を聴いたので読んでみた。「ドーン」という小説で「分人」という概念を提唱し、その概念を発展させた?小説「空白を満たしなさい」で若者の心をドーンとつかんでいる作家らしい。人が色んな側面で見せる姿を「分人」という概念で説明し、「個人」だけでは表現できない人の色々な側面を説明している。心理学、特に精神分析などでは、この概念について、病理的な側面について説明しているが、著者は健康な人の側面として説明しているものと思われる。わかりやすい反面、説明が非常に浅い気もする。
2012/9/20
購入書店:紀伊國屋書店BookWeb; 読書環境:Kinoppy Android; コンテンツ形式:.book
2014/12/2
20141117読了 「分人」という概念は、「個人」よりもしっくりくる。たしかに、属する環境や相手によって見せる顔は変わるものだ。誰もが突き当たるであろうアイデンティティの問題において、救いになり得る考え方。小難しくなく、平易な本。●dividualの直訳。「個人」という概念の本質に根ざしたもの。
2021/9/9
「空白を埋めなさい」を読んだので、分人主義についてはなんとなく知っていました。より深く理解するために良い本だと思います。ただ、分人主義の思想を、他人との付き合い方から掘り下げ、恋愛や遺伝子の話まで繋げていくのはちょっと納得いかないというか、話が少しズレているような気がする。 分人主義という考え方を知って、生きやすくなる人は確かにいるだろう。そもそもなぜ生きにくいと感じるかについてだが、私たちが生きていくうえで「本当の自分」について考えさせられる機会があまりに多いことに加えて、誰もが「本当の自分」がいると勘違いしてしまっていることに原因があると私は考えている。けれどここで疑問なのが、何をもって“本当の自分”と定義するのかだ。誰と接していても、一人でいても心地の良い自分が“本当の自分”だとしても、それは他者や自分のなかの自分との関係性が関与してくるので、“本当の自分”とはまたズレるのではないか。 個人的には分人という思想を抜きにして語るなら、人の個性や性格というのは流動的なものであり、接する相手によって細かく反応を変えていくものだと思っている。磁石のような関係で、Nが強ければSが引き出される、そんな感じだ。そうした性格の波を見て「これは自分ではない」と思ってしまう人のなんて多いことか。すべてを含めて“自分”なのだということをまず認識した方がいい。分人主義のことは一旦忘れて。
2015/9/30
2015年の46冊目です。 分人という概念で、人間を理解しようという提唱には、 共感できます。自分の中に本当の自分などなく、 自分探しなどに価値が無いとも指摘している。 現代人の『本当の自分』が存在するという認識は、 誤っていると書いています。 一般的には、人間には多面性があり、自分の中に、 矛盾する自分が存在することは、誰もが気が付いている と思います。(そういう認識の無い人が稀にいるのかもしれないが) その矛盾の中で、どれかが自分の本当の姿で、 どれかが偽りの自分だと考えているのだろうか? 私自身の中では、彼の言う”分人”同士が、互いを否定し 合っていたように思います。 特に若い時は、その傾向がかなり強かったと思います。 著者の平野啓一郎は、まだ40歳という年齢なのに、 これだけ、論理的に(学術的ではないことは本人も 書いている)整理でるのは、さすがに作家だと思います。 この本は、新書として出版されており、 帯には「まったく新しい人間観」と書かれている。 コマーシャル的なコピーにせざる負えないと思うが、 ちょっと滑稽なくらい残念な感じがします。 誰もが、内在する”分人”の存在を認識しておきながら、 それを上手く整理し、整合できなかっただけなのな? 現在、読んでいる別の本で読んだ内容を重ねて見ると、 この分人同士が主張し合い、相手の分人を認めようと しない状態が、葛藤ということなんだと考えられます。 分人は、様々な他者や環境に適用するために、自分自身が 生み出した自分であり、全てが整合しあうことは有りえない。 そういう意味で、個性は分人の構成比率で決まり、生涯不変のものではないというのも分かる。 この平野氏のように、自分を理解することで、 自分の中の矛盾や葛藤から解放されるということかもしれない。 一方で個性を構成する”分人”の構成を意識的に変えるには、相当の苦労がいるとも思えます。
作品レビュー
2012/10/5
“職場での自分は偽物。家での自分も本当の自分じゃない。本当の自分はひとりのときだけ。” なんていうような「本当の自分」っていう言葉は、「分人」という単位と概念で人間を考えると意味があまり無いことだと思えます。 「個人から分人へ」 自分のことを考える上でも、人間関係を考える上でもとてもいい考え方です。
2012/10/5
indivdual(個人)でなく、dividualの分人と言う考え方を提唱した本。新書でコミュニケーションだとか私とはとか言うとありがちな自己啓発に見えがちだけれど、これは平野さんが小説家としてずっと考えてきた人間の在り方の問題なので、とても興味深い話だった。個人は、仮面と本質と言う風に見られる事が多いけれど、そうではなく、他者との関係性の中で多くの分人を並行させるのが自然である。云々。特に、1つの個人と言う考え方は一神教の、全知全能に向かい合う時に作られたと言うのも印象的だった。分人主義。と言う事で、コミュニケーションや悩みに関する事などが中心だけれど、実際真っ向から個人主義を解体してしまう様な話で、とても刺激的でした。
2017/7/8
個性とは何か問題は、思春期が終わっても解決されることなく私たちにのしかかる。 この本で著者はその呪縛を解いてくれる。 あの人といる時とこの人といる時の自分が、同じである必要は全然ないのだ。 ありのままのわたしなんて、分人の割合によってブレブレで、それでいいのだ。 作家なのでちょいちょい自作に触れるあたり、うまいなー、読んじゃうよ。
2015/8/30
一行目:「中学校の休みの時間。」 人にすすめたくなる、面白さ。 コミュニケーションを取る相手次第で、少しずつ「自分」が異なるー。それを「分人」という。 一人の人間は個人という、不可分の存在ではなく、複数に分けられるのだ。キャラを演じ分けている自分も、安らいでいる自分も、そのどれもが本当の自分なのだという論調。 そう考えると、物事の見え方も変わり、面白い。 「人格とは、その反復を通じて形成される一種のパターンである。」 ははあ、なるほど。
2012/10/8
分人を詳細に。三部作とも繋がっているから、頷くこと多し。他人様あっての自分なんだけど、なんだか肩の荷が下りた。
2021/10/23
これ以上分けられないと定義された、一個人を、分人という単位に分けることで、一人一人の性格、個性や他人との関わり、ひいては社会との関わりについて解説を試みているが、なるほどと、説得性が高い。ネット上のアカウントは、まさに分人であり、その使い分けで自分をコントロールしている感もある。
2013/4/11
「あの上司といるときは良いパフォーマンスができない」「あの人といるときの自分は、なんだか居心地がいい」など、人にはそれぞれ合う人、合わない人がいるだろう。また、「人によって態度を変えてしまう自分が嫌だ」と思う人もいるだろう。 平野啓一郎は「それでいい」という。 Aさんといるときの自分がいて、Bさんといるときの自分がいる。それぞれが「私」であって、よく言われるような「本当の自分」などいないのだ。『私とは何か』という哲学的なタイトルに尻込みする必要はない。本書はあなたにとって、息苦しい人間関係の風通しをぐんと良くしてくれる窓になるだろう。
2021/10/4
タイトルだけ見ると哲学的な難しい内容の本のようだが、対人関係で悩まないためのフレームワークを提案する本 …と紹介した方が、この本を必要とする読者に届きそうである。 ただし、自分には「分人」という考え方はしっくりこなかった。分人は接する相手ごとに作られるというが、同じ相手に会う場合でも、その時の気分や体調、状況によって行動パターンは変わる。また、例えば「夫としての分人」「父としての分人」を考えたとして、「妻子みんなと一緒にいる時の分人」はどっちだろうか? 別の分人をまた作るのだろうか? そもそも、人間が相手や状況によって柔軟に行動を変えるのは自然なことで、否定するようなものではない。だから、わざわざ「分人」という新しい概念を作ってまで正当化する必要性を感じなかった。例えが古くて恐縮だが、私自身は「バケルくん型」ではなく「バーバパパ型」の自分像で十分である。 (要するに、出発点である「悩み」に共感できていないので、そういう感想になってしまった。) 自分というものに何か「決まった形」を見出そうという姿勢は、個人主義も分人主義も同じであり、結局は「自分探し」の延長のようにも思える。 とはいえ、まさにその自分探しの呪縛から抜けきれずに悩む人が多いからこそ、その延長線上に「分人」という道しるべを置いてあげる意味があるのだろう。
2012/10/17
「分人」という視点はとて新鮮だった。個人の中に様々な分人がいて、様々な人との関わりで様々な分人が現れる。それらすべての分人が自分を成すものである。 この考え方は最小単位を個人として、本当の自分、仮の自分を追及していたわたしにとって、目からうろこものだった。 「分人」はすべて真実の自分の姿。そう捉えることによって、ちょっと生きやすくなりそうな予感がしている。平野さんの小説もかじってみたいと思います。ひとまず「日蝕」から。
2013/9/5
分人という新たな概念を用いて、今までの人格論を否定している、全く斬新なアイデアです。 核たる自分というのは存在せず、多面的な自分の集合体が自分であり、例えば、友達用の自分と家族用の自分や仕事用の自分がそれぞれ異なっていても、それは当たり前のことで、その複数の分人の中で、自分が安定できる比率を増やしましょうと言うのが著者の主張でしょうか。 目から鱗の発見……とまではいかないけれども、共感する部分は多く、面白いです。 自己肯定力、これがキーワードになりそうです。著者は自己肯定力という言葉は使っていませんが、要は自分が好きな分人の活躍の場を増やせば生きづらさを克服できるのではないかと思います。 分人の構成比率が変わる、ということは、それだけ個性も変わるということで、所謂永遠の愛を否定しています。 そして、分人というシステムを採用する以上、所謂運命の赤い糸の存在は否定されます。一対一の糸は存在できません。また、浮気・不倫についても良しとするのはいささか不道徳過ぎる気がしますが、昔も今もその手の文献は山ほどあり、寧ろ一夫一婦が人間の本質から外れているのかも知れません……。 般若心経の精神に近いものを感じます。つまり、色即是空、空即是色。確固たるものはなく、常に流転している……。 人格・個性をも流動的としたら、人間の心は不安定です。だから安定を望む、というのが著者の主張でしょうか。普通は人格・個性は安定していて、時々不安定になる(例えば、フロイトは、エゴという核があって、エスと超自我が心にあると説明)、としている説が多く、逆説的で面白いです。 僕は、この分人という考えをうまく活用して、人材ネットワークを作りたいと思っています。各人の得意分野を伸ばすことで、生き甲斐をつくること、また得意分野が定まっていない人には定まるように支援する(従来のような適性検査のようなものは使わない)等、構想はやはり分人をうまく活用したものですが、まぁその話は別の機会にでも(笑) 分人という新しい概念はまだ途上で荒削りな面もありますが、今後の著者の考え方に注目したいです。僕の評価はSにします。
2013/3/12
あ、そっか。と、ふわりとした納得感。しばらく寝かして、また、読んでみよう。その前に、ドーンを読もう。でもなぁ、平野さんの小説は読むとものすごく消耗するから、読み通せるか不安…
2014/4/26
なんとなく感じていたことを非常にわかりやすく言語化してくれていました。FBをしている自分も自分の分人の一人だとはっきりと理解。友達の範囲も自分の分人同士が混ざり合わないように管理しないといけません。
2014/3/8
分人主義。概念を作り出すなんて実はかなり画期的なことだと思う。平野さんの小説は読んだことないので、これを機に読んでみようと思った。
2015/8/16
個性=職は何となくわかる 40 顔は人格である。おもしろい 54 リストカットは生きたい表れ 58 分人は人を物と捉える感じ。んー 90 幸せも不幸せも半分は自分の影響 102 恋愛は輸入であった 130 死者の分人論は全然納得できなかった 148 死者の考えは二乗。観念である。 154 途中までは面白かったけど、分人は人と会うことでしか成立できない論理だったので矛盾を感じながら読んだ。例えば歴史学を専攻する人、考古学の人は古代の本や化石に心を動かされるわけで、この本の主張は限られた人にだけ通じるのかなと思った。あと言葉が通じなかったらどうするんだろとも思った。 信仰する師弟論からしても「ん?」と思うこと多かった。
2014/2/4
『分人』という考え方に興味を持った。 それに、少し救われた。 だから、もっと知りたいな〜と思って借りたんだけど、期待してた内容ではなかった。 つらつらと思い浮かぶ例をあげて証明した所止まりのような気がした。 48森鴎外は、しごとを『為事』と書く 。 シンプルに、『すること』を指すらしい。 70身の回りの他者とも反復的なコミュニケーションを重ねている。 人格とは、その反復を通じて形成される一種のパターンである。 108会社で上司に長らくパワハラを受け続けている人がいる。…会う度に心配になる。 143 わたしと仕事、どっちが大事なの⁇という詰問は、 『どっちの分人が大事なの⁇』と、考えればよい!
2013/6/9
夏目漱石の「私の個人主義」の時代からなんとなく持て余し気味の「個人」という言葉。明治に輸入されたこの言葉の翻訳前、individualに着目しin+dividualに分解、これ以上分けられないものとしての「個人」の先にdiviidual、分けられるものとしての「分人」を提案する本です。①いろんな人との向き合いでいろんな自分「分人」が存在する。②それぞれの自分の「分人」は他者によって出来ているし、相手の「分人」も自分によって出来ている。③この「分人」のポートフォリオにより自己肯定が生まれる。高度なコミュニケーションスキルを求められる今、このスッキリ感に救われる人は大勢いると思います。「本当の自分/ウソの自分」という呪縛から解き放してくれるハウツゥ本に思えますが、実は現代社会の問題提起を小説家らしく行う平野敬一郎「私の分人主義」でした。
2013/1/5
ただひとつの「本当の自分」を探すのではなく、状況や相手によって変わる「分人」を複数抱えて生きる存在として個人を捉え直す。結局、教育現場で「個性の尊重」が叫ばれるのは、将来的に、個性と職業を結びつけなさいという意味である、との指摘は新鮮。
2018/3/11
小説家 平野啓一郎氏による人間関係論。相手次第で様々な人格「分人」として振る舞うことを肯定。 裏表の無い一貫した人間でありたいと努めてきたが、そうでなくても良いのかも、と感じさせられた。
2013/2/28
高校生の時に自分がなぜこのグループにいるのか、いつも疑問だった。だって、隣のグループの方が居心地がいいのに。その答えがよやくわかって、とても楽になった。分人という考え方は当たり前のようだが明文化して、定義したのは平野氏の功績。特に思春期のころのモヤモヤが晴れた気がする。そして、今から生きる上で、自分自身も他人に対しても、この考え方があれば、納得いくことがたくさんある。「ドーン」「決壊」「空白を満たしなさい」そして、本書に出会えて本当によかった。
2015/9/20
分人という単位間には連繋はあるのか。上司に対する分人と家族に対する分人の間には連繋はないのか。分人という以上、分かれているということだからその間には連繋は無いように感じられる。 そうではなくて、生まれてから少しずつ増やしてきた人間性、つまり大雑把に言えば喜怒哀楽、細かく言えば人に依って変化する自分の外面、印象なんかが、与えられる外的要因に依って出たり出なかったりするだけで、勿論その各々の人間性一つ一つの間には連繋があって、別にこの人に対してはこの顔、というように人間を使い分けている訳ではないのでは。 「消してしまいたい(略)のは、複数ある分人の中の一つの不幸な分人」と言っているが、その不幸な分人と呼ぶ人格はこの人の前でだけ、というように固定されている訳ではない。少なくとも自分はそうではない。だからどの人格の間にも連繋はある。 というか、分人とかいう良く分からない単位を創らずとも人格ではだめなのか?
作品レビュー
2014/9/8
「分人」という考え方そのものには、なるほどと思ったり、そうだと思ったよと共感したりするけれど、ネーミングがなあ。素っ気ないというか色気がないというか、吸引力に欠けるなあ。
2012/12/6
「本当の」自分という幻想から脱することができれば、楽に生きられる。どんな自分も「大切に、愛せよ」とも説かず、その存在を認めよと言う。 下手に扱うと小難しくなりがちなテーマを、自分の言葉でとても分かりやすく述べた本。全体を通じて述べられている「分人」の概念は、私自身「分かったつもり」の域にもなかなか達し得ない「ジェンドリンの哲学」のベースにとても近いような気がしたのだが… どなたかコメント願います! 著者とジェンドリンの接点は殆どなさそうだけど、京大に学んだというところで、京大学派(?)の心理臨床学の空気を吸っていたであろうことは、小説の諸作品に垣間見える気がする。これに関してもコメント請う!
2012/10/12
平易な文章で、大変わかりやすく「分人」という概念を論じているが、その内容は非常に奥深く、また、人間という存在に対して大変優しい。個人的には、今のところ人間関係に深刻な悩みはないし、この手の「人付き合いの悩み解消しまっせ型新書」は疑ってかかるタイプだけれど、胡散臭くなく、とても誠実な語り口が好感度。 また、本書全体に著者の小説についての記述が多く、ぜひ読みたい気分にさせる。(巧い宣伝?)
2018/1/10
相手に応じて自分が変わることは自然なこと。それを分人という概念を提示して説明する。 一際切れ味が良かったのが恋と愛の違いを分人を使って説明する章だ。 この相手といる自分の分人が好き=継続性のある関係=愛情
2016/6/13
人間は一つの体に一つの心というのが絶対的な真理ではなく、キリスト教的唯一神の世界観に基づく一つの考え方に過ぎないとして、現代社会の要請に答えるには他者との関わりごとに表れる「分人」という自己像が必要だという話。 石野理子さんが「アイドルネッサンスにはファンの要求に応えてライブを盛り上げる『アイドル』としての面と、過去の名曲カバーを通して人に音楽の素晴らしさを伝える『アーティスト』の側面があると思う」と言っていたのが「分人」に通じていて、アイドルにも学生や一人の女性などの「分人」がある。
2012/10/29
individualとはdivideできない,不可分のものという意味。 実際はdividualな存在である。いろいろ分かれている自分の総体?が個人としての自分。統一された自分。「唯一無二の本当の自分」があるという神話に挑戦する。 自己(self)を真実の自己と表出されるペルソナとしての自己という垂直軸としてとらえるのではなく,自分が関係する人々との間に構成される自分らしさの総体として水平軸でとらえようとする。 他者との関係を絶った自己(self)は社会的生物である人間ではありえないこと。唯一無二の真実の自己があるのではない。関係する相手のとの相互作用によって自己が構成される。唯一無二の真実の自己を探そうとすると,他者との関係をも断ち,自分の中で完結しようとする引きこもり状態になるか,あるいは,自分が知らない他者との相互作用によって新しい自己を作り出すことによってそれを真実の自己と思うようになる。 自分について悩む青年期や対人関係で悩む人にお薦めの本である。 文中にはゴシックで強調されて書かれているとことが散見される。読みづらいのだが,一度読んでからそれを拾い読みするとざっとレビューできて考えを整理できるので便利ではある。
2016/12/27
対人関係ごとの様々な自分という「分人」の考え方を知って、これまでモヤモヤしていたものがスッキリした。 家族の前での自分、大学時代の友達の前での自分、はたまた飲み屋の女の子の前での自分と、我ながら全然ちゃうなと思っていたけど、 そのどれもが自分であって、本当の自分なんてものはないとようやくまとまった考え方で理解できた。 この考え方は他者との接し方も変えてくれると思う。「嫌われる勇気」よりもよっぽどしっくりくる考え方だった。 #読書 #読書記録 #読書倶楽部 #私とは何か #分人 #個人から分人へ #平野啓一郎 #2016年114冊目
2016/1/15
著者の分人主義に深く共感した。丁度、先月若者論の本を読んだ際に統一されたアイデンティティと多元的なアイデンティティの本を読んで、私は多元的である旨に同意していた。大学の授業の教材として使いたいと思う。
2012/9/28
平野さんが「ドーン」の中でテーマの一つとされた「分人」という考え方について,まとめられている作品です。小説での取り上げられ方とは異なり,個人individualとの違いや,平野さん御自身や回りでもよくあるような人間関係の具体例を元に,個人と分人の考え方の違いが述べられているので,分かりやすく「分人」という考え方を把握することができる内容になっていると考えます。 個人としての多くの人と接しているときの姿勢の違いを説明しているこの考え方を,全面的に受け入れられるかどうかと言われると,個人的には疑問に思うところもあります。ただ,このような考え方があり,個人の中で,そのときどきで対応する人達や,環境に応じて姿勢を変えて行くというような「分人」というこの作品における考え方を知っておき,頭の片隅にでもいれておくと,いろいろと人間関係を構築することや,人間関係における問題点があるときの解決に役立つのかなと思い読み進めていました。 今後も平野さんはこのテーマで作品をいくつか書かれるのだと思いますが,この作品で「分人」という考え方について知っておくと,「ドーン」や今後の平野さんの作品をより楽しめるのではないかと思います。
2012/10/22
家族といるときの自分、会社の同僚といるときの自分、 外のコミュニティにいるときの自分、友達といるときの自分。 俯瞰してみるとやはりそれぞれ違いがある。 じゃぁ、その中のどれが本当の自分?と問われると答えは出せない。 強いていうなら全てが本当の自分と言える。 その?に本書では分人という概念で答えてくれています。 初対面の人と話すときは、「この人はどういう人なんだろう」という 手探り状態から始まり、その後の会話や周りの状況により その人向けの「分人」が自分の中に現れてくる。 つまり「分人」は相手との相互作用、環境によって生まれる。 そして「分人」はいくつも存在し、その集合体が「自分」である。 とても腑に落ちる考えだと思う。 「ポジティブな分人もあればネガティブな分人もいる。 分人が他者との相互作用である以上、、(略)、、ポジティブな分人もまた、 半分は他者のお蔭である。だからこそ相手への感謝の気持ちや 謙虚さも芽生える。」 好きな「分人」を生きる時間が長ければ、 充実していると感じることができる。 その好きな「分人」を足場にして生きていけばいいとのアドバイスには 救われる人が多いのかもしれない。 いまの自分はどの「分人」が多くを占めるのか、 どの「分人」を中心に生きていきたいのか。 嫌な自分を受け入れ、好きな自分で生きていくための 「分人」という考え方が、今まで頭の中で靄に包まれていた部分を すっかり晴らしてくれました。
2013/9/29
感想:前々から気になっていた本。人間関係の捉え方や意識が変わるということを聞いており、ブクログ評価も高かったので購入。 「人間=分人=分けられる」という考えは非常に斬新だが、どこかしっくり来る表現。たった一つの自分などいなくて、誰と会うかによって自分が変わる。そのひとつひとつの自分が(分人)自分という存在の集合体。人は確固たる変わらない自分なんてない。だから人によって、自分が変わるのは全然間違ったことではないという意見。 個性とは分人の構成比率のことという論理も非常に面白かった。数々の分人がある中で最も大きくなっている分人があなたの個性という点。だから個性は年が経てば変わってくる。 もっと言えば、人との出会いによって自分はいくらでも変えられるということ。個性を変えたかったらいろいろな人と会うべき。いろいろな人との出会いの中でしか分人は生まれないし、分人が生まれなければ自分という人間に広がりはでない。
2015/4/9
個人という概念に対して新たに分人という分人という単位の導入から様々な人間関係を新たに捉えなおすと見え方が変わる気がして面白かった。文章も平易で非常に読みやすい。個人(individual)という言葉に含まれる歴史的背景や原義を知ることと個人、そして故人が言葉を通して様々な分人を通して繋がり合っている物語が感動的だと気づいた。分人の構成比率を出会いの前とは変えつつある。個性とは、常に新しい環境、新しい対人関係の中で変化していくものだ
2013/10/20
森鴎外は「仕事」の事を「為事」と書く。仕える事ではなく、為る(する)事と書くのだ。 「ストックホルム症候群」人質が犯人との間で分人化を進めてしまい、協力的な態度を取ったりする事。
2014/9/9
ずっとこのことを考えていて、思春期はそのことで悩みに悩んで、いつしか「いや、人格が5,6個ある気がするのはいいんだ、それが自分なんだ」と思えるようになってきて。つまり、こういうことだった。全て言葉にしてくれたような気がする。
2014/2/7
私と接してる時のあいつ、別のやつと接してる時のあいつ、旧友といる時のあいつ、あいつの両親といる時のあいつ、一人でいる時のあいつ、ネット上でのあいつ…。さて、どの「あいつ」が本当の「あいつ」なのだろう?って疑問からスタートする本。
2018/10/6
分人。これまで何となくもやもやしていたことが、論理的に説明可能になるのが面白い。この人は○○なノリの人!この人は××が得意な人!と、カテゴリ分けをして人格を固定化させないと気が済まない人にこそ、分人主義の考え方を取り入れてほしい。小学校、中学校の授業でやった方がいいと思う。
2013/11/29
分人という考え方にしっくりきた。 会う人やいろいろな場面で、自分のキャラもかわるが、自分を出し切れていないという時に分人という考え方をすれば受け入れられる。新しい考え方が新鮮であった。
2015/2/24
それ以上分割できない「個人」(individual)を絶対視するのではなく、他者や環境に応じて多様な側面を示す「分人」(dividual)を、人間の基本的な理解の機軸に据えることができるのではないかという著者の主張が、分かりやすく述べられています。 また、こうした著者の問題意識に基づいて、『決壊』(新潮文庫)や『ドーン』(講談社文庫)といった作品が書かれていたことも明かされており、著者の自著解説としても重要な意味を持つ本です。
2021/7/11
私らしさ、自分らしさとは? 分人という自分の中のさまざまな自分の存在を認めることで、少しもやもやしていたものがクリアになってくる。 分人すべてが自分なんだ。
2014/10/18
傑作! 長年もやもやしてたことを、こんな斬新に分かりやすく導いてくれるとは。あっぱれ! 高校の先輩ということを当時の国語教師に聞き、「日蝕」を読んでみたが理解できずそのまま平野氏の作品にふれることはなかった。何かのきっかけで(←なんだったけ、思い出したい!)、小説だけじゃなく本書のような新書もあると知り、内容も知らぬまま借りてみたら、運命の出会い。 一度読み終えたけど、これは買う。一生私の本棚にいる。My Best book 3位以内確実。
作品レビュー
2013/7/13
私のブログ http://pub.ne.jp/TakeTatsu/?entry_id=4966696
2013/1/27
キンドルで読了。他者との交流においてそれぞれ相手ごとに違った自分が存在するとして、それを分人と称して論を説く。元々は本著者の小説である「ドーン」でテーマとして展開していた内容を分かり易くエッセンスをまとめたものだ。 確かに別々にお付き合いしているAさんそしてBさんと同時に会うときのあの居心地の悪さや、逆に友人であるAさんとその友人Cさんとご一緒したときのAさんの余所余所しい雰囲気などとても良く分かる。 著者はそのような「分人の集合として個人が成立する」としていますが、ソーシャルメディアなどの影響でこれからどのように変化するなども興味深いところです。小説「ドーン」再読しようか。。。
2013/1/20
小説家・平野啓一郎が提唱する、分人という概念。 メディアが発達し人間関係がますます複雑化する中で今日ほど、コミュニケーション能力が声高に叫ばれている時代もない。そのために多くの人がアイデンティティについて思い悩んでいる。私とは何か。自分はこれからどう生きていくべきなのか。 旧態依然とした発想では問題は解決しない。 現代人の実情にかなう思想を、一から作っておくべきである。と著者はいう。 いうほど新しい考えではないと思うけど。哲学の領域では現象学、社会学では多元的所属などが類似概念なのかと一読して思ったが、わかりやすい文章でかつ、実生活に即した形で一般に浸透させてるのは、この人の功績。 著者は「本当の自分」は一つじゃないよという。様々な場面で様々な人に見せる自分、キャラ、そのすべてが「本当の自分」なのだから、と。 主体の解体を叫ぶポストモダン思想に馴染めなかったという著者の感覚はよくわかる。 ポストモダン思想の基本はおおざっぱにいうと根拠はないということ。システムの生産物ではないものはない。という言説でさえシステムの生産物だっていう思想。 でも、どうしようもなく考えてしまうこの私は何なんだ!という疑問は常につきまとう。 取替不能な実存である私の存在の謎は解けることはないのだ。 で、個人的に思ったのが、お釈迦さまのいう縁起する空や無我の思想は、これら自我の悩みから逃れるためにたどり着いた思想だとすれば、平野啓一郎はまったく逆の言い方をしているものの、乱暴なことをいえば同じことだよねっていう。 つまり、すべてが自我であるよというのも、自我は幻想だよというのも求める結果においては同じだということ。 たとえシステムによって作り出された架空の自己モデルが自我だとしても、結局ありもしないモノに執着して悩み苦しんでしまうんであれば、分人という概念を受け入れてみてもよいのではなかろうか。 自己啓発本みたいだけど、平野啓一郎小説理解の一助になるという側面もあり。71点。
2012/11/18
1人の「人」は、1つのアイデンティティで構成された確固たる「個人」ではなく、様々な顔を持つそれぞれの「分人」の集合体であると理解することで、人生の見通しが良くなると主張する本。この考え方により、「本当の自分」を探し求めるとか、「ニセモノの自分」を演じることに悩む、といった不毛な行為から解放されると説く。文脈や状況によって行動や発言が矛盾したとしても、どれも正しい「自分(の分人)」なのであり、それぞれ大事にすればいい、ということだと思う。言動の首尾一貫性を追求し始めると、生きていくのがだんだん辛くなっていくからね…。「アイデンティティ」も「個人」も、もともとは欧米から輸入した独特の価値観であり、日本人には合っていないと思うので、人は「分人」の集合体である、という考え方は分かりやすくていいような気がする。欧米人にしても、「個人」より「分人」という考え方に救われる人は結構いると思うし。
2019/12/21
これ、全人類が読めばアイデンティティにまつわるさまざまな問題はすべて解決するのでは??と思うほどの良書だったし、思想自体は知っていたけどもっと早くちゃんと読めば良かったと後悔した。無駄にたくさんの悩みを抱えていた気がする。なかでも面白かったのは「八方美人は分人化していない」「分人化の失敗」「人は人を愛するのではなく人を通じて見た自分を愛しているのかもしれない」ということ。パートナーはよく似た分人のバランスを持っている人が良いらしいけど、だとしたら同じコミュニティや育ってきた環境が似ている人に惹かれるのも何となく頷ける。いずれにせよ自己否定に走りそうになったら分人の構成比率を変えるために人付き合いを変えれば良いのだという明快な結論にたどり着けて個人的に満足した。
2012/10/23
人は一面ではなく、他者があって形成され、いくつもの顔を使い分ける。自分とは何かということと他者との接し方で考えさせられた。
2012/11/5
エッセイ…じゃないか。まあいいか。 でも、ちょっと、心が軽くなる。 そのときそのときを楽しめればそれでいいんだ、って。 帰ってきて「うあー疲れた……」ってなっても、それは「一人用」の自分。 みんなといるときに「みんな用」の分人が楽しめていれば、それでいいんだ、と思えて。
2019/10/14
オードリー若林推薦。分人の感覚は誰しもが感じた事があると思われるが、それを定義付けし、展開できる考え方としてまとまっている。とくに仕事における考え方が面白かった。プロボノ、副業や共働きなど、昨今の働き方、生き方においてはこれまでの社会とは分人の割合が変動しており、今後さらに、思考の整理になる考え方だと感じた。
2013/4/24
個人ではなく、分人という考え方。人間関係に悩んでいる人、本当の自分って?と悩む人にとって、違った角度で人生を見つめるきっかけになるかもしれません。
2013/2/20
個人とはindividualであり、もう分けられない存在。それをdividualにする分人という試み。なんとエキサイティングなのか。しかし。 顔や身体は分けられないが、中身が分けられたのが分人で、自他との関わりでの分人のブラッシュアップなんかのことが書いてあるのだけど、むしろ顔こそが個人の象徴だ、という方に意識が持っていかれました。 いまのところ、全然面白くないのだけど、(僕か本が)大化けする気がする。寝かしてみると熟成するかもしれないよ。
2017/1/14
オードリー若林さんの番組「ご本、出しときますね。」で話題に上って気になって読んでみた。 これは、面白い考え方。 人はいくつかの分人の集合体であるというもの。なるほど自分もそうだ。対峙する相手によって微妙にまたは、大きく人格が違っていることは認めざるを得ない。今までは、そんな自分に気がついたとき嫌悪感を覚えることも多かった。でも、この本を読んで、それでいいんだと思えた。そして、他者もまたそうで、ある人の違う一面を垣間見たからと言って、簡単にその人を否定したりしてはいけないのだと気がつかされた。 平野啓一郎さんの本は難しそうなイメージがあって敬遠してきてしまったが、とても分かりやすい文章で説得力があるのに押し付けがましくなく、好感が持てるものだった。読んでこなかったことを後悔…今さらだけど小説も読んでいきたいと思わされた。 職場でも生徒たちに勧めようと思う。 TEDのスピーチもこの本のテーマと重なっていてとても良かったな。「ご本、出しときますね。」でのトークも面白かったし。平野さんの人となりが好きかもしれない。本当に聡明な方だと思う。
2012/10/31
平野啓一郎『私とは何か』講談社現代新書、読了。分人という概念から人間の基本単位を考え直す。著者が問題にするのは「本当の自分」があるという思い込み。このドクサが生きづらい社会を生んでいる。環境によって分人の比率は変化するし構成比率が個性になる。筆者の経験から語られる優れた現代批評。 参考 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33643
2017/10/3
【全員多重人格者】 人はすべての人に対して全く同じ対応をしていないです。 相手により使い分けています。親には親、兄弟には兄弟、上司には上司、部下には部下、はじめて会う人にははじめて会う人の対応をしています。 相手により態度を変えますが、いわゆる多重人格ではなく、全て自分自身です。 多重人格は一つの人格で起きていることが他の人格に影響しない(正確には影響しているかもしれませんが)、記憶がないということです。また、厳密には相手により人格を変えているわけではないということです。 『嫌われる勇気』で万人から好かれている人は、自分のペースで生きていないという意味合いがあったと思いますが、自分自身が許容できる範囲で相手によって対応を変化させることはありえます。 これは自分の「考え方」を相手に合わせるという意味ではなく、対応(対話)として相手を見ながら調整する必要があるということです。
2013/4/11
なかなか面白かった。完全同意!と言うにはまだまだ理解できていないところが多いけど、こういう考え方もできるんだと思うといろいろんな事が腑に落ちたり、気が楽になったりするんじゃないかと思った。刺激的でした。
2021/5/4
読前の想像として、ユングのペルソナをTPOに依っての使い分けについてとしてみた。はたして・・・・。 短絡的で浅はかな想像はまえがきで早々に一刀両断に。表層的な外面を論じているのではなく「本当の自分」という概念の否定ということだと。なるほどしかしそれでは昨今言われているところのアイデンティティクライシスに直面してしまいはしないか。もちろんこんな単純な疑問は第1章ですでにあっさりと論理立てされている。 第2章第3章が何時になく妙に自己啓発本めいて鼻白んでしまう。ただこれもいつもの平野啓一郎の言説と同じくメタ構造への言及も怠っていない。つまりこの本自体が平野啓一郎の分人によるものであるとともに、読者自身も平野啓一郎に対しての分人であり、本書の読書行為自体がその分人の更新であることを納得できるからだ。 「本の読み方」「カッコいいとは何か」でも暗に明にこの自己言及、メタ構造を忘れない。ここにもおもしろさと信頼を感じてしまうのだった。
2013/1/9
「本当の自分」は探しても見つからない→場面場面で表れる自分(分人)各々の集合体が「本当の自分」 その考えは思考の多様性や自由度を生み出し、少し自分を解放してくれる という分人主義 面白い考え方だと思う! この人の小説を読んでみたくなった! 以下メモ 職業選択の自由→職業選択の義務 何らかの社会的責任を果たせ!という圧力 個性の尊重→将来的に個性と職業とを結びつけなさい 不況 職業という社会的地位だけでなく、「こんなものを身につけています」という形での自分の確認ができない→アイデンティティの動揺からの引きこもりや自分探しの旅 森鷗外の「しごと」 仕事→為事 仕える事→為る事 リスカ 今の自分を否定し、生まれ変わりたいという思いの現れ 分人構成が変われば人が変わる→戻したり、変えるためには環境を変える
2013/1/26
平野さんの「ドーン」という小説で出てきた「分人」という言葉の考察を深く進めていった本。 中世における個人の誕生から、日本に輸入された個人主義などを解説しながら、自分がいつでも一個人としてぶれないものであるべきだ、という幻想に縛られてしまっている現代に、分人という概念を提唱してくれる。 ドーンを読んでいたからか、自分の中では「分人」という響きにSF要素がくっついてしまっているが、初読の人はどう思うのだろう。自分とは何か、と考えて息詰まりを感じている人は、この本を読んだら少しは楽になるんじゃないか。 平野さんがこれまでの著作を書く中でどんな事を考えていたのか、というテキストとしても面白かった。
2014/5/10
「分人」という考え方をまとめたものである。今の時代を生きる上ではとても重要な概念である。とはいえ書籍としては残念ながら物足りなかった。 この本で感銘を受けたのは殺人がなぜ悪いかを殺された人の関係者の「分人」を殺してしまうという事で説明したところである。単なる一個体の死ではなく、社会における人の死の定義である。 もともとは小説が下敷きになっているそうなので、そちらを読む方がいいのかもしれない。
2012/12/4
自分の分人が相対している相手が幸せならその幸せの半分は自分のお陰。その反対も言える。 人間はインデビジュアルではなくデビジュアル、性格の二面性に悩む必要はない。その責任の半分は相手にある。 個人と社会の関係にも”分人”の考え方が適用できるというのは新鮮。 間違いを犯した個人が救われる部分があるし、幸せな個人はその半分は社会のお陰、そしてグループのお陰と考えると、必然的にその幸せに対して”還元”もしくは”恩返し”しなければいけない。すると社会も幸せな個人の分人に呼応して幸せになる確率が高い・・・そんな受け取り方ができるかな。
2012/11/2
仕事をする自分、友達といる自分、ネットゲームで遊ぶ自分、一体どれが本当の自分なのか。その自分が何からできているのか、スッキリわかったように思った。
作品レビュー
2021/3/19
分人の考え方は重要。 家族でいる時と、会社にいる時の自分は違う。 これは当たり前で、環境に応じた、自分が存在し、それを分人と呼び、本当の自分、偽りの自分ではなく、全て本当の自分。 本当の自分が出せない、とか、自分探しの旅に出ちゃうような、悩み深き若人にとっては、救いの書になる。
2013/6/8
平野啓一郎著。( @hiranok ) これは面白い。 個人とは分けられないものじゃなくて、会う人会う人に対して分人を作り出して、分人の集合体が個人。だから誰と付き合っているかで人は変わってくる。 著書の宣伝とか、繰り返しとかも多いけど、面白い本。 是非。
2018/5/19
一緒にいてなんとなく居心地がいいなと思う人がいる。 同じ空間にいると、なんだか気まずい雰囲気になる人がいる。 日常でよく経験することだが、これってなんだろう。 この人に対しては好意を持って、他の人に対しては警戒心のようなものを抱いてしまって。 同じ自分という個人があるにもか変わらず、その多面性に生きづらさを感じる。 でも、家族や恋人や友人に見せる顔(親しみのある顔)や、仕事の場で見せる顔(ある集団内での顔)や、初対面の人に見せる顔(公的な顔)に違いがあって当然ではないか。 相手に合わせて、自分も変わる。 我々は、個人は一つのものでなければならないといったような、身動きのとれない存在ではなく、相手によって柔軟に変わっていく分人を積み上げた存在なのではないのか。 日常の人間関係にある、もやもやっとした感じが、分人という考え方により、自分の中で整理されていく。 私とは何かとじっくりと自分と向き合うことに適した一冊。
2013/3/6
しばらく本から離れてたので新書でリハビリ中。 特に深く考えず何気なく手にとったこの本の考え方は面白かった。 分人主義。 分人とは個人よりも一回り小さい単位。 人間は環境や対人関係によっていろいろな人格(分人)を持っている。 「こんなのは本当の私じゃないわ!」なんて言っても、それも私の一部である。 このいろいろな人格(分人)によって構成されたのが個人であるという考え方だ。 この分人の構成比率によって人間は様々に変化する。 そして、分人とは環境や対人関係から形成されるものなのである。 といったとこが概要だ。 例え、嫌いな分人があったとしてもそれは、それは単なる個人を構成する一部にすぎず、個人の人格ではない。さらにはそれは環境や対人関係によってもたらされる部分が大きいため、全てが自分の問題でもない。 そう思えるようになれば世の中が随分楽に見えるだろう。 昔、自分が大絶賛してたB’zの「イチブトゼンブ」って曲はこの分人って概念を強く連想させる。 「愛のバクダン」も悪くないと思うが、こういう曲をたくさん作ってほしと思った。
2014/4/11
若林さんの社会人大学で知った「分人」についての本。ふとしたキッカケで読む。「(本当の)自分」ということについて悩んでる人にはとてもオススメする。解決というよりは悩みごとに対する整理がとてもうまく出来るようになると思う。
2012/11/2
基本的には、なるほどなあという感じで 納得・目を開かされる部分が多かったけど 後半やや同じことの繰り返しになってきて 読み進めるのが苦しくなったりもした。 一つ気づきがあったのは、 本書のテーマとはややずれるけど、 分人という概念を理解して 何故自分はFacebookが好きじゃないのか ようやく理解出来たということ。 Facebookの気持ち悪さは本来分人として 学生時代の友人と接する自分やある趣味が好きな自分、 会社員としての自分などは違う自分のはずなのに 実名という一義性をもって全てが紐づかれて 相手に接しながら作られている分人としての自分が その文脈から切り離された形で パブリックに公開されてしまうことにあったんだと気づいた。 そしてそれは、設定で制限・変更できるという問題じゃなくて その設計思想に対する気持ち悪さから来ていたんだなあと。
2019/1/28
元々、「本当の自分」や「自分らしさ」には、懐疑的だったので、著者の提唱する、「分人」の考え方はしっくり来た。それを踏まえて、どう「自分」と向き合うか、悩んだ時思い出してヒントにしたい。
2019/12/7
「本当の自分」というモノに対するアンチテーゼ。 ベストセラーだったのを知らずに読みましたが、なかなか興味深く、「本当の自分」で悩んでいる人に刺さる内容だと思います。 「本当の自分」は無い。 人によって自分が変わるのは当然。そして、それが本質である。 それによって、個人、という「人格を単一のモノ」として扱うことを否定しているのに、所々に「個人」を前提とした説明があったりするので、そこはもう少し厳密性があるとこの本の主張としては、より良かったと思う。
2012/9/30
この本を読んでいて思い出したのが、精神科医の中井久夫氏が多重人格について書いていた文章です。 “われわれは皆、プルーストが『失われた時を求めて』で描いたように、超多重人格者であって、たまたま人格の数の少ない人、あるいは変化の不器用な人が社会から析出されるのかもしれない。 (家族の深淵/P221)” 多重人格というとジキルとハイドのような「入れ替わり」のイメージがありますが、これは誰もがひとつの固定的な人格を保持しているという考えの裏返しです。 平野氏の「分人」概念は、こうした入れ替わりが常に起きていることを前提に、移ろいゆくものとして人間を捉え直す試みであると言えます。
2014/8/13
いくつか引用。 “自傷行為は、自己そのものを殺したいわけではない。ただ、「自己像(セルフイメージ)」を殺そうとしているのだ” “いまの自分では生き辛いから、そのイメージを否定して、違う自己像を獲得しようとしているをつまり、死にたい願望ではなく、生きたいという願望の表れではないのか。” “もし、「この自分」ではなく、「別の自分」になろうとしているのであれば、自分は複数なければならない。自傷行為は言わば、アイデンティティの整理なのではないか?”
2015/10/27
言いたいことは分かるけど、あんまり納得はできない。 自分はこういう性格だから、と決めつけて損をするなら無理にそう考えないで生きていったほうがいいだろうな、とは思った。
2015/7/24
平野啓一郎という作家に興味を持ったのが何故だったか、今となってはまったく思い出せないが、誰にそそのかされたのか平野啓一郎の「ドーン」が無性に読みたくて、でもまだ文庫化されてなかったのでブックオフで単行本が中古落ちするのを待ってようやく読んだ次第だが、読んでみて???となってしまうような、なんともスッキリしないお話で、結局のところ平野啓一郎とやらは何をぼくらに伝えたかったのか、という疑問符だけがずっと残っていたわけだ。 分人主義。人格の最小単位である、個人主義と訳されるindividualismからin‐を取って、対人関係ごとに異なる人格=dividualを分けることができるという考え方として、「ドーン」の中で主張されている。なんとなく興味をそそる考え方なのだが、小説という形態ではわかりにくく、咀嚼できないまま悶々としながらも置いておいたのだ。 そんな折に、平野啓一郎が新書でこの分人主義を説明していることを知り、思わず手にしたのが講談社現代新書から発刊されている『私とは何か 「個人」から「分人」へ』である。 人間は個性を持っているが、それが完全な絶対普遍のものではなく、多くの人間との関わりによって使い分けられるものであり、それが人間らしさなのだというものだ。 例えば、オタクのAさんとはアニメの話でキモく盛り上がりながら、イケメンのBさんとキャバクラで羽目を外したり、学校では優等生を気取りながら、家では母親に暴力をふるう、しかし祖父母の前では子供のように甘えることができる、そんな多くの顔を環境に応じて、または関わる相手に合わせて変容させているのが人間だという考え方である。 にわかには受け入れ難いかもしれないが、対人関係で自分自身に対して矛盾を抱えている人たちにとっては救いの書になるかもしれないとぼくは思った。 その中でも一番印象に残ったところは、「殺人」に関する記述だ。平野啓一郎は殺人を犯すことのリスクを分人主義的にこうダイナミックに解釈している。 殺人は、被害者の生命はもちろんのこと、すべての分人を奪いさってしまうことになる。あなたの親しい知人が何者かに殺されたとするなら、あなたが影響を与え、あなた向けに生じていたその人の分人も殺されたということだ。 一 人を殺すことはその人の周辺、さらにその周辺と無限に繋がる分人同士のリンクを破壊することになる。あなたの中には、相手が殺されてしまって、更新の機会 を奪われた分人が残ることになるだろう。それは、あなたという人間の個性を決定する分人の構成比率に大きな影響を及ぼすことになる。 人間は、他者なしでは、新しい自分になれない。一人の人間が死ぬことで、未来においては、無数の人間が、自己変革の機会や成長のきっかけを失う。好きな自分になり得たかもしれない分人化の可能性を失う。そして、殺人者は、他にどんなに善良な分人を抱えていても、被害者との分人において刑を科せられる。幾ら隣近所の人が 「普段はフツーの人でした」と言っても、司法は、その罪を犯した分人を、彼の中の中心的な分人として扱うことになる。自らの家族や知人を、殺人者との分人を抱えている人にしてしまう。 分人の視点で見ると、「人を殺してはならない理由」は、これだけある。決して、被害者個人、加害者個人に閉ざされた問題ではない。殺人者は、一人の人間を殺すことによって、現実には、こんなにも複雑で、大規模な破壊をもたらしているのだ。 つまり平野啓一郎は殺人という行為が被害者と加害者だけでなく、それまでこの両者に関わったすべての分人になんらかの影響を与えることになるというのだ。 加害者は被害者の命を奪うことで同時に被害者が持っていたであろう分人たちをも消し去り、その分人に対応する分人たちに大なり小なりなにかしらの影響を与えてしまう。 また同時に加害者も、自分の持つ分人に対応する分人たちに、非常に辛い現実を与えてしまうことになるのだ。無数に張り巡らされた分人のネットワークに殺人という行為が甚大な傷痕を深く残すということだ。 そういえば、Facebookの創業者であるザッカーバーグは、自身が作ったSNSですべての人間がネットワークで共有化されることを望んでいたが、未来志向の人間にとってはもしかしたら、平野啓一郎が提示したこの分人主義という考え方も個人主義よりは受け入れられやすいのかもしれないと思った次第である。
2012/10/24
現代において、いかに「私」は在ることが可能か、ここ最近の著者の小説のテーマを噛み砕いた本。小説からは想像できないほどに、いい意味でライト。
2015/1/1
先輩に勧められて読んだ一冊 個人というのは、他者との関係性によって成り立つ分人の集合体でしかないというお話 最近本当の自分ってなんだろうと考えさせられる機会が多いだけに、新たな観点からの個人の考え方を知れたのですごく良かった 無理に自分に一貫性を求めなくていいんだよって、ちょっと肩の荷がおりたりするかもしれない一冊
2012/10/3
「分人」という概念により、「本当の自分」という幻想の正体や、相手によって様々に変わる自分自身のことを、具体的かつ丁寧に書き表している。 なんとなく感じていたことが明確に言語化されていて、思わず膝を打つ。 これほど深く人間や社会について考察したうえで小説を書いている著者は、本当にすごいと思う。
2016/11/10
若林氏きっかけで知った「分人」という概念の元ネタを押さえておこう思って。 「自分を愛するためには、他者の存在が不可欠」 誰それといるときの自分(分人)が好き、その分人を足場に生きていけばいい、って凄く良い考えだなあ。他者を経由することで自己肯定感は生まれる。
2019/8/12
タイトル通り、個人と分人という考え方を示した本。人間は複数の場所、組織に所属するが、それぞれで異なる自分を出している。異なる振る舞いをするわけなので、分人の集合体が個人ということのようだ。どの分人が一番自分らしいか、などと考えるのもナンセンスらしい。 そう考えるとグインサーガのグインなどはある意味、完璧な人格かもしれない。
2013/3/9
今年読んだ本ではベストかな。天才・平野啓一郎さすがだなと思いました。そう言うことかと1つ分かったことが増えたように思いました。
2016/12/20
p91 中心となる本当の自分は存在しないが、分人はある、と言われれば次は分人を探しかねない。分人は顧問や上司ではなく、高校生や会社員では? 分人はいいアイデアだと思うが、個人は自己同一性を求めるので、自身に分人という複数の人格を認めるのは根源的な困難があるのではないか。「何か」が「色々ある」が、特定のどれかではない状況は、非常に不安定な印象を受ける。 「何かある」ここを解決しない限り、恐らくは根本解決にはならない。
2013/9/19
人間関係こじらせ気味の時や自分が嫌になった時にに読むと、心の整理の手助けとなる。 「分人」という考え方、素晴らしい。
作品レビュー
2015/3/4
2年ほど前、未来授業のラジオで聞いて、その直後に読んだ記憶はある。その後、色々なことがあり、記憶から遠のいていたが、先日、本屋で目にとまり、再読。 最初にラジオを聞いたときは、すうっと頭に入ってきて興味深い内容に感心したのはとてもよく覚えている。 そして、その内容について知人と語り合ったりもした。 ただ、その当時に読み終えた時は、諸手を挙げて納得!とまではいかなかったという読後感の記憶だけは残っている。 そして今回再読して、その時よりも「腑に落ちた」感が明らかに増えたという実感を持った。 本書では人の意識や考え方、自分と相手との関わりという視点から「分人」について書かれているので、以下はあえて、ちょっと斜めからのレビュー。 デカルトが方法序説で証明しようとした「我」という存在。 西洋の近代哲学はそこから派生して、世の中に「個人」という意識が生まれた。 それが今現在も、おそらく大多数の人たちの「基準」となる人間の単位になっている。 その「個人」を「分人」と読み替えると、とたんに世界は違って見えてくる。 正確に言えば、自分が持っている物差しの倍率が、実はそれぞれの環境や状況に応じて、かなりの振れ幅で変化することで、視点および立ち位置そのもののスケールが変わってくるということだ。 そして、その集合体そのものが「自分」すなわち「分人」というわけである。 そして、その倍率、振れ幅、スケール感の違いこそが、「個性」なのだろうと思った。 「自分という基準」について少しでも考えたことのある人にとっては、とても面白い本だと思う。
2021/12/7
個人=individual(インディヴィジュアル) in=否定 dividual=分ける =「不可分」(もうこれ以上分けられない)
2012/9/23
今、特に直面していない悩みの分野なので、最初うまく入っていけなかったけど、著者自身の小説をからめた話あたりからおもしろくなった。分人という考え方を用いることで、人間関係に関することはずいぶん整理されて落ち着くと思う。他者との相互作用で自分があることとか、しっくりくる感覚があった。難解なイメージが先行して、小説に手が伸びないでいたけど、これから読んでみたい。
2014/11/12
小説は読まないという人が、平野啓一郎のこれは気に入った、実用的でよかったと言っていて、その小説ではないらしき本を借りてきて読んでみる。平野は小説『日蝕』でデビューした人だそうで、その後もいろいろと小説をたくさん書いてるようだが、私はこれまで全く読んだことがない。 ▼本書の目的は、人間の基本単位を考え直すことである。 「個人」から「分人[ぶんじん]」へ。 分人とは何か? この新しい、個人よりも一回り小さな単位を導入するだけで、世界の見え方は一変する。むしろ問題は、個人という単位の【大雑把さ】が、現代の私たちの生活には、最早対応しきれなくなっていることである。(p.3、【】は原文では傍点) individual、つまりdivide(分ける)に由来するdividualに否定する接頭辞のinがついた単語は、「不可分」「これ以上分けられない」という意味をもつ。 「個人(individual)は分けられない」というのは、人間のカラダを考えてみれば、そのとおりだろう。では、人格はどうか?カラダのように分けられないものか? 「本当の自分」は1つきりなのか? そこのところに分け入ったのが、この「分人」論。 Aさんとつきあっている「私」と、Bさんとつきあっている「私」と、Cさんとつきあっている「私」…が、それぞれ違うのは、多重人格とか八方美人とか猫かぶってるんじゃなくて、アタリマエではないか、というようなことを著者は言っているらしい。それはAさんとの分人、Bさんとの分人、Cさんとの分人…なのだと。そのことを著者は「個性とは、分人の構成比率」(p.88)と表現したりする。 ▼誰とどうつきあっているかで、あなたの中の分人の構成比率は変化する。その総体があなたの個性となる。十年前のあなたと、今のあなたが違うとすれば、それは、つきあう人が変わり、読む本や住む場所が変わり、分人の構成比率が変化したからである。十年前には大きな位置を占めていた当時の恋人との分人が、今はもう、分かれて萎んでしまっていて、代わりにまったく性格の違う恋人との分人が大きくなっているとする。すると、あなた自身の性格、個性にも変化があるはずだ。個性とは、決して生まれつきの、生涯不変のものではない。(p.89) 著者が言ってることはおおむね分かった気はするものの、「分人」というアイデアは、アイデンティティの複数性みたいな話と似たものなのか、また違うのか、ちょっと頭がごちゃごちゃする。 文中でやたら自分の小説のテーマを解説してるところは、なんか説教臭い(?)感じがしてイマイチと思い、あと喩えの表現を読むと(この人は異性愛が当然の大前提の人っぽいなー)と思った。 たとえば、「女子修道院に入っている年頃の少女が、外にこっそり恋人を作ってしまえば、当然、そのカレとの分人が肥大して…」(p.119)とか、「あなたが男性で、二人の女性がいるとする。一人は、…(略)。もう一人は、…(略)。どっちと、またデートしたいと思うだろうか?」(p.136)みたいなところ。 まあ、それはそれとして、この人の小説は全然読んだことがないし、分人ネタが出てくるという『ドーン』をちょっと読んでみようかなーと思った。 (11/5了)
2022/2/11
自分探し…この言葉はなんて罪なんだろうと思う。 結局自分は自分の中にあるわけで どの側面の自分も自分なわけです。 使い分ける自分も自分。 分人と少し関係のない 嫌われる要素の人間のお話が出てきます。 これはホントーに嫌われるんですよね。 もしも著者が話を切り替えなければ ずっとね… あと、子供の成長に関しても 悪い影響を受けるのが 実は成長だったりするんですよね…
2020/1/29
分人主義.耳慣れないけれど読み進めるに,この閉塞感のある社会の中でもう少しのびのびと自由に生きていく力になるのではないかと思いました.それぞれの人に対する自分が仮面を被ったり演技しているのではなくその社会の関係性の中でのまぎれもない自分たちであること,そして,いい関係の人と付き合うべし!など頷けるところが多かったです.
2013/1/13
この人の本、初めて読んだけど、結構面白かった。 在学中に芥川賞を受賞した作家程度のことしか知らなかったので、こんな本を書いているのが意外だった。 中身は分人”dividual”という概念の説明。本当の自分は一つじゃない。 それぞれのシーン、相手によって使い分けている自分(分人)の総体が本当の自分、みたいな説明。 結構、納得したかな。 むしろ、本当の自分が一パターンしかないと苦しくなる、というのもとてもよくわかるし。 自分探しの旅は、新しい分人を探しに行く旅、というのも納得。
2013/9/17
読んでよかった。 わかりやすく書いた、とありましたが、ほんとにわかりやすかった。 最初から最後まで、ふーむと、頷ける。
2018/9/18
ようは「発達」と「教養」を混同してるのだろう おかしな論理立てをしている これは早い話が、ダブルスタンダードを合理化するための屁理屈である たとえば 「嘘ついたけど、それは私の分人がしたことだから」 「万引きしたけど、それは私の分人がしたことだから」 「殺人したけど、それは私の分人がしたことだから」 …だから仕方ない、許せという理論を成り立たせるものだ おおらかにも程がある ところが逆に 「嘘ついてないと言ってるけど、分人のしたことだから自覚ないだけだ」 「万引きしてないと言ってるけど、分人のしたことに自覚ないだけだ」 「殺人してないと言ってるけど、分人のしたことに責任持てよ!」 といったふうに、冤罪をごり押しすることもできてしまう これらの両面性を、恣意的に運用することが 分人主義をもちいればごまかせてしまう じつにおそろしいことである アベルは常にカインであり、カインは常にアベルであり そしてそれを決めるのが、神ならぬ人間というわけだ
2013/8/17
分人という考え方に、頭がスッキリ。悩みのつきない対人関係がこれからは少し気楽に考えることができそう。そして、好きな自分を出せる分人をもっと大切にしなきゃ。
2013/12/10
・個人(分けられない、本当の自分、仮面の自分・・・)から、”分人(付き合う相手によって違う自分の一面がある、その一面=分人)” ・本当の自分など探しても意味ないが、”自分探しの旅”などで環境=付き合う人が変わって、その人(たち)に対応した新しい一面が出来上がると、個人=100とした時の一面たちの構成比が変わるので、そういう意味で影響がある=自分トータルは変わる。 ・地元に居た頃のの自分と今の自分が違うのは当たり前で、話す相手の比率が違うからである。よって、あの頃の自分が本当でも今の自分が作り物でもない。たんに地元の友達と話す自分、は登場回数が年に数回とか数年に一回なので、息をひそめているだけである。 ・幼少期の体験が悪い人がその分人を(付き合いは長いので)捨てられないで苦しんだりするが、見てみよう、構成比が変わったんだから、自分は変わったのである。(青い絵の具も黄色をじゃんじゃん混ぜていけば、緑、黄緑、ほとんど黄色、と様子を変えるのだ。) ・分人は相手あってのもので、3ステップに分けられる。1)社会的分人:知らない人と初めてあった、コンビニで買い物をする、役所で手続きをする、自分。2)グループの分人:初めましてのときに1対1でない場合の調和?。3)対個人の分人:1人ずつに対応。 3までを全員にやるのは馬鹿げてるし、例えば職場では#2で、家族とは、親とは、親友とは3で、とか、色々。 ・分人は1人で作るものではなくて、相手との相互関係で作り上げて行くものだから、相手の出している分人は半分自分のせい/おかげ。 ・恋人との分人について。愛、すなわち、相手と一緒にいるときの自分の分人が好き。だから長期的に一緒に居たいと思う。相手もまたしかりで、自分と居るときの相手は、自分に半分影響された彼。 ・死者(別れも同じ)との分人は、そこで終わってしまうので悲しい。でも長い付き合いだと、あいつならこういうだろうな、という予測もあるし、長い付き合いの間にその人との分人のweightが大きくなっているだろうから、亡くなった後、その分人は自分の中を生きる、自分に取り込んでしまう。取り込んでいるのは半分は自分が作り上げた相手用の分人、半分は相手に影響された分人だから、自分に相手を取り込んでしまうんですね。だから、あいつならああ「言ったろう」というのがあり得る。よく知っている人にもちろん限られるけれども。 亡くなったと聞いてすぐに悲しくなる事はあまりない。あの人と話したいなと後で思った時に悲しくなるものだ。それは故人用の分人を出したくなって悲しうなっているのだ。 ★今の自分が気に入らなければ、分人の比率を見直せばいい。 上司と上手く行かないでどんより生きるより、家での夫や子どもとの分人を軸にしたりして楽しく生きられる。上司が変わったらけろっとよくなるうつ病があるのもそう言う事。 ただひきこもりはよくない。社会全体との関わりを経ってしまうと分人が出来ない(ネットの世界で分人を作る事は出来るが、広がらない)。 その意味で海外逃亡(自分探しの旅)などは理にかなっている。それで海外での分人の方が気に入って居着いてしまったりする人も居る。 消したい分人は、その分人の比率を小さくすればいい。(つまり、実家に帰らず、実家の人と関わらず、話さず、YさんやKYさんとは二度と合いませんって感じで生きればいい。) 学院の自分、地元の学校の自分が好きならその分人にもっと会う様にすれば、海外での自分が好きならあの分人を使う相手と信仰を続ければいい。 (だから私は地元の友達と定期的に会いたく、Mと会話をし続けたかった。話さなくなれば、言語以外にも忘れてしまうものがあると思ったがそれは正しかった。MUとどうしても交遊をし続けたいと思うのもそうだ。) 自分を引き出してくれる、いい気持ちにさせてくれる、登らせてくれる分人を育てられる相手との時間を多くすればいい。 1つの分人は無理、不健康。子育てノイローゼや炭坑に閉じ込められた鉱夫が家族と電話できるのが大事だった訳はそこ。 たくさん分人を、心地いい程度(個人の好み)に取り揃え、メンテして生きていくのがいい。 (帰って来たのに仕事の分人が戻って来ず、それで当時の会社の先輩たちに会いたくてしょうがなくなったんだろう。そして仕事の、あの会社での分人、大きなweughtを占めていたあの分人が私はそこ2気に入っていた、少なくとも消してしまいたくはなかったらしい。YやKYとの嫌度に我慢をしすぎてしまって、だいぶ広範囲の分人をシャットアウトしてしまい、それは失敗だった。どの分人を切ればいいのか、今後はもっと上手く選択出来るだろう。) 子どもとの間の分人が好きって大事。きっと。 ・子育ても、どういう子に育てるかというより、どういう分人(環境、付き合う相手)を持たせてあげらるか、を考えるといいかも。 ・小説や映画とか、人以外とも分人は出来る。 いい本だった。
2012/11/19
人には多くグループや特定の人と接するための分人(個人を分けたもの)がある。 その分人の保持の最適数は人によって異なる。 TPOによって違う分人で人付き合いをするのでそんな人物は本当のあなたではないということが起こる。
2014/5/19
とても面白い考え方だと思う。 もう少し咀嚼して、考え方が自分に馴染んでくればもっと良くなるだろうな。 他人には絶対見せない本音というのもあるように思うのだけれど、これは誰にも対応しない「分人」と考えればいいのだろうか。
2015/10/14
他者やその集団、漠然とした社会に否定されていると感じ苦しんでいる人には良薬。また、あるべき姿でない自分を肯定できない人にも良いお灸。私の中の多様な自分(あえて分人とは書かない)はもっと不可分なので、ちょっと分かりかねる感覚だけど。 また、愛についても、私自身は、鏡のようにはとても考えられない感覚を持っているので、相手がこのような意趣で愛を語っているとなれば不安になる。なんか自分でなくても良いのだな、と。
2013/4/18
小説家である同氏が作品中で提示した「分人」という概念の解説本。 現時点での最新作「空白を満たしなさい」では 小説として「分人」の提起がなされたが、 本作では新書ならではの演繹的アプローチで提起がなされている。 根底にあるのはアイデンティティに関する問題意識。 タイトルにも表れているとおり「私とは何か」がそれ。 内田樹や養老孟司が全く別の文脈で「本当の自分」に対して 否定的スタンスをとっていたのを読んだことがあって、 その時は単なる年寄りの悟りだろ、くらいに思っていたが、 分人という思想を取り入れると一気に合点がいく。 著者ができるだけ分かりやすくをモットーに書いているだけに、 (内田のように)衒学的なところが排除されており、 悩み苦しみ身もだえする現代社会人を大きな慈しみで包んでくれる。 良書であり良思想。
2012/11/22
どこかで平野啓一郎さんの「分人主義」という言葉を聞き、おもしろそうだったので購入。 「individual(分けられない)な個人」を最小単位として扱うこととか、「本当の自分を探す」こととか、そのあたりの限界は、おそらくかなり以前から見えていたと思う。状況としては目新しくもなんともないが、「分人」という言葉があることで、かなり考えやすくはなっている。ただ、聞き慣れないからか、濁音が変に響くからから、語感はまるでしっくりこない。「ぶんじん」って。 ただ、平野啓一郎さんは小説家だ。彼の小説作品でどのように「分人主義」が描かれているのかを読みたい。
2017/1/7
新年早々面白い本に出合った。 個人の中の分人という考え。 これは、誰にも当てはまり納得できる考え方なのではないだろうか。 それだけでも非常に面白い発想なのだけれど、それをまた非常に分かりやすく解説しており、なかなかない良書だと思う。 分人とは、個人の中に存在する、対人関係ごとの様々な自分である。 個人の中に様々な分人が存在すると考えると、今まで疑問に思っていた点がすっきりとし、対人関係がよりスムースになるように思う。 とにかく、私にとっては目から鱗だった。 今一番お勧めの本。 著者は、芥川賞を受賞している作家である。 小説も是非読んでみたいと思う。
2013/5/14
人間にはいくつもの顔がある。 相手次第で自然と様々な自分になる。 唯一無二の分割不可能な個人ではなくて 複数の分割可能な分人である。 と考える。 誰とどのように付き合っていくかで、私の中の分人構成比率は変化する。 この総体が私の個性となる。 このように考えると、この厄介な自分がどうなっているのか 理解しやすくなった。
2017/1/1
なるほど、自分は1人ではない。1人の中には、違う人と接するたびに、違う自分がいるという分人という考えを提議することは、うならざるを得なかった。 自分自身のことを考えると、周りにいる人全てに同じ対応をしているのか?と聞かれると、決してそうでは無い。相手との関係性、私が考えている相手の性格、これまでの流れなどをカんがあわせた上で、話をしたり、態度を取ったりしている。 そのようなことは、普通のことで何一つ否定されることはない。だとすると、タイトルの通り「私とは何か」と言うことになるが、それが私で有り、あなたなのだ。 少し前の、異業種交流会で話題になった本であったが、非常にスッキリ読み終えることができた。あのとき会えた皆様に、感謝。
2014/4/23
小説家・平野啓一郎の自我に関する考察をまとめた珍しい書籍。ものすごく暗いタイトルですが、極めてノーマルな文体で読みやすく「分人」という新しい概念を解説しています。哲学というか、認知心理学というか、ジャンルを正確に表現する知識が僕にはないけれど、自分って何だろうとか、性格とかキャラとかって何だろうというのを、ものすごく的確に表現していて、とても面白かったし、すっきりします。人間関係などで悩んでいる方にはものすごくおすすめです(僕はあんまり悩んでないけどw)(2014.04.10読了)
作品レビュー
2013/8/1
本当の自分は作っていると思っていた自分でもある。個人ではなく、分けられる分人という解釈が新鮮であり、納得できる。
2017/3/7
個人は分けられない最小単位(in-dividual)とみなされているが、実はまだ分けることが可能で、分人(dividual) と言う存在がある、ということについて書かれた本。 とてもわかりやすくしっくりくる本。
2013/8/17
置かれた状況によって人は姿を変えるのは当たり前だとする「分人」という考え方。『社会人学部』で取り上げられていたので読んでみた。おもしろかった。
2014/11/28
★私たちの中には、親しい相手やコミュニティーごとに分人というものがあって、それぞれ違っていてよい。という概念を紹介する本。個人は誰に対しても一貫していなければならないと考える人は、この分人という考え方を導入することで、楽になることがあるかもしれない。 ★私がいることで、私との分人を生きられる人がいる。私が存在するだけで価値があることの一つの説明になると感じた。
2022/7/24
生きやすくなる考えだ。自分とは他者との化学変化によって生じた自分であって、人によって自分が変わるのは当たり前で、他者が変われば自分も変わる。それぞれの自分はどれが正しくてどれが間違っているとか、優先順位とかがあるものでもない。すべて合わされたものが自分であるといった理解をした。南直哉さんが書いていることと通底していると終盤になるにつれ、そう思った。いつか南直哉さんと平野啓一郎さんとの対談をみてみたい。
2021/5/18
昔、まだ幼い自分が「八方美人」という単語を初めて知った時、なぜこの言葉が悪い言葉なのか分からなかった。 今ならそれはもちろん分かるのだが(この本の中でも説明されているし)、ただ人によって顔を変えることは当然だよな、と感じていたその気持ち・考え方を実際の生活に落とし込んで、上手く言葉にしてくれている1冊だった。 この考え方を知るだけで生きやすくなる人も多いのでは無いかな、と思う。思春期~青年期のアイデンティティ不確立で辛かったあの頃の自分に読ませたかったなぁ。
2016/12/11
子どもの頃から漠然と感じていたことが言語化されてスッキリした。 相手に寄って態度が変わることは悪いことと言われていたが、それに関してずっと違和感があったし、実際に即していないと感じていた。 私の考えは、分人として別々になっているのではなく、個人の中には真逆の性格や反応が揃っており、相手によって引き出す・引き出される要素の分量が変わるのだという形ではあるが、分人同士が影響しあうか否かについてのあたりで、まぁ同じことを言っているのだと腑に落ちた。 人格は1人に1つだけではない。 人間は多面的であり、相手に寄って反応が変わるのはお互いに影響しあっているのて当たり前であることを、子どもの頃から教えられていたら、もっと優しく行きやすい世の中になりそうな気がする。
2018/10/14
「本当の自分」を前提としたキャラ、ペルソナとは別の考え方の提起という意味では興味深かった。それに基づいて、恋愛や「多様性」について、さまざまなtipsがちりばめられていることも。 けれど結局のところ、ひとりの人間が、自身の抱えている人格、あるいは気分の幅(分人の数)とどうつきあうかという意味での葛藤は残る。人は感覚的に、自身の揺れ幅もそれが環境的に生じることもわかっている。その幅をそのまま受け入れて生きていても、その振れ幅が大きいほど葛藤し、時に苦しむことには変わらない。 分人というものの味方の可能性はわかったのだけれど、分け方について、混ざり合い方について、が曖昧なままになっている印象。
2014/7/16
一気に読んだ。 SNSを通じて、いろんなイベントごとに参加したり、しているうちに、初対面の人には、わりと話ができるのに、何度も会うようになると、どうして変になるのだろうか、となんとなくモヤモヤした悩みともいえないものを抱えていた。 仕事ではあれこれと片付けたりするのに、家にかえったら一切しなくなったり、 家にいて友達から電話があると妙に緊張したり、 気がついたら、ぼくの性格とは、いったいどうなっているのかしら? と思うことが、よくよくある。 で、ずいぶん前に、ラジオ版学問のすすめという番組に平野啓一郎氏が出演されていて、放送をきいたのだった。ネットラジオとしてダウンロードして聞いたのだった。深夜バスにゆられて。 その放送に感銘をうけて、二年、同じようなモヤモヤした気持ちが蓄積してきたので、読んでみようかと思った。 顔を分けるとかってよく言う。ぼくもいろいろと使い分けている。 そっけないときのぼくと、大好きな人と会ってるときのぼくは、まったく違う。 では、いっぺんに嫌いな人と好きな人がいる場面ではどうしたらいいか、とても気まずい。 気まずさの正体を明かしたいけれど、 とおもっていたところ。 ちょうどいいです
2012/12/2
1人の人間に一つの人格しか認めない「個人」ではなく、複数の人格を認める「分人」という概念によって「私」というものを解読している。確か、岸田秀さんの『ものぐさ精神分析』のあとがきに、フロイドが人格とは他者の人格のコピーであるとしていると書いておられたと思うのですが、その考え方と似ていますね。
2015/12/30
作家平野啓一郎氏による個人論。目から鱗、頭の整理に非常に役立つ、気づきの一冊。多面的な付き合い方、振る舞いが求められる今日において、他者との関わり合いの中で人は容作られていくこと(=identity)、多層的なものを包含するのが個人と指摘している。 (1)誰それといる時の自分(分人)は好きだとは意外と言える。 (2)分人は他者との相互作用で生じる。自分を愛する為には他者の存在が不可欠。‥好きな分人が一つずつ増えていくなら、私たちはその分、自分に肯定的になれる。 (3)個人individualは他者との関係においては分断可能dividualである。分人dividualは他者との関係においてはむしろ分割不可能individualである。 (4)個人は人間を分断する単位。個人主義はその思想。分人は人間を個々に分断させない単位。
2017/3/11
分人という考え方。なんとなく漠然と思っていたことだが、言葉で整理してくれたことによって、改めて納得でき、楽になった気がする。 ●森鴎外は「仕事」を必ず「為事(しごと)」と書いたそうだ。「仕える事」ではなく「為(す)る事」。人間は一生の間に様々な「事を為(す)る」。職業というのは、何であれ、その色々な「為(す)る事」に過ぎない。 ●一人の人間は、「分けられないindividual」存在ではなく、複数に「分けられるdividual」存在である。 ●楽しい自分になれると感じる分人こそを足場として、生きる道を考えるべき。 ●歪な、不本意な分人を重要視するかどうかは、本人次第である。自分の中で、価値の序列をつけることはもちろん、可能だ。 ●ネガティブな分人は、半分は相手のせい。ポジティブな分人もまた、他者のお陰。
2013/5/6
2013.5.6読了。 個人と分人…考えもしなかった。誰といるときの私が一番生きやすいのだろう? 明日から少し考えてみよう。
2012/11/11
分人という考え方は私たちをいろんな意味で救ってくれる。本当の自分なんて探さなくてよくなるから。 「仕事の楽しさは、何をするかではなく、誰とするか」だと社会人になってから思っていたけれども、分人の考え方によって立証されたといってもよい。
2015/7/10
途中理解しづらさもあったが、納得できたとこが2点あった。 人を好きになるということは、相手を好きになることだけではなく、その相手といると楽しいという自分とつきあっていくということ。 つまり、そんな自分が好きということ。 自分が好きという表現だと、ナルシストだと思われてしまうが、そうではない。 私自身、どうして主人と一緒にいるのか、これからもこの関係は続いていくのかと考えたときに、この考え方なら合点がいく。 主人といるときの私という分人が好きなんだと。 そして愛する人が亡くなった時のくだりも同じ。 愛する人との分人を生きられないことの悲しみなのだ。 なんだか、文におこすと「自分が」「自分が」と出てくるようで、本意が伝わらないかもしれないが、 私の中では少しばかり自分がわかったようで安心した。
2015/8/26
8月26日読了。図書館。既読「透明な迷宮」「決壊」「顔のない裸体たち」「滴り落ちる時計たちの波紋」。未読「空白を満たしなさい」「ドーン」「葬送」「あなたが、いなかった、あなた」
2012/9/19
個人主義ならぬ分人主義の解説本。著者の経験や著作と照らし合わせて、とても分かりやすく書いてあります。 「ドーン」なんかを読んでいれば、特に読む必要もないかもしれませんが、「恋愛」についての解釈・考察は非常に示唆に富んでいて、個人的には納得のいくものでした。 要するに「相手を通してみた自分が好き」という気持ちを大切に、ということだと思います。何だか現象学チックではありますが。
2014/9/15
分人という考え方は、なるほどそれならわかると納得の考え方だった。人は他者とのコミュニケーションがあっての自分がつくられるということだ。本当の自分というしがらみから解放されるのだ。時と場合によって自分が変化していることを肯定できることは、自分を生きることの助けになるに違いない。
2015/1/17
面白い!「個人」に対して「分人」という考え方を、考え方の一つとして頭の中に持っておくと確かに救われる瞬間があるし、自分を客観視できるようになるかも。 「分人主義」を扱った平野啓一郎の文学作品も読んだことあるけど、こっちの方がわかりやすいし面白い。けどこれを読んだことで『空白を満たしなさい』も初見のときよりきっと理解しやすくなってると思うのでそちらも再読します。
2016/4/3
『本当の私』なんて存在しないし、わたしの目の前にいる人のすべてがわたしに見えているわけではない。人は神にはなれない。 小説を読んでみようと思う。