女性議員30%

2023.03.10

女性議員30%を掲げる24歳慶大院生・能條桃子の「しなやかな挑戦」《統一地方選の目玉となるか》

倉重 篤郎 毎日新聞客員編集委員

ジェンダー平等を草の根から

4年に一度の統一地方選が迫っている。年を経るほどにその網羅率(同時に実施する割合)は下がり、今回は27%。国政選挙ほどは注目されないが、それでもこの4月には、全国で9知事選、6政令市長選を含む計981の首長・議員選挙が一斉に行われる。国政がひどく目詰まりを起こしている時期であるだけに、地方から新たな動きが起こる可能性もあり、民主主義の壮大な実践場であることには変わりない。

統一地方選は、いまどのような民意が発信されるか、その底流に何が動いているかをウォッチする貴重な場となるが、今回の選挙では、その視点の1つとして、ジェンダー平等、つまり、女性政治家(首長、議員)の比率が上がるか否かを掲げたい。

理由は2つある。1つは、この分野での日本のいかんともしがたい劣位である。世界経済フォーラムのジェンダー・ギャップ指数(2022年)で、日本の総合順位は146カ国中116位だ。特に政治における順位が低く、国会議員の女性比率で言うと日本は9・7%(衆院ベース)と、世界165位、最低レベルである。これを少しでも改善する動きは出てこないのか。草の根の地方選から見ていこうという狙いである。

2つ目は、この問題に必ずしも積極的とは思えない岸田文雄政権の政治姿勢である。2つの国政選挙で女性候補を増やす特段の措置はなく、第1次と第2次、2つの内閣を組織したものの女性閣僚は計3人に過ぎず、秘書官にも女性は起用されていない。先に荒井勝喜・首相秘書官が同性婚やLGBTへの差別発言で更迭された問題も、男女平等、多様性に対するこの政権の不寛容な体質を示すものと受け止められた。それがこの選挙でどう取り上げられ、裁かれるのか。あるいはさほど影響は出ないのか。

そんな関心から若い世代のある動きに注目している。

ジェンダー平等の実現を掲げ、国会の多様化を目指している「FIFTYS PROJECT」という市民運動である。この統一地方選に向けて昨年秋より始動、現在18%しかいない20~30代の地方議員の女性比率を30%以上に増やすことを目標に活動している。

Photo by Shunpei Yoshino

運動を率いているのは能條桃子。24歳の慶應大学大学院生である。もともとは自民党と共産党の違いもわからない若者の1人だったが、4年前、政治への関心からデンマークに留学し、投票率80%、若者もほとんどが投票に行く社会を見て覚醒。「NO YOUTH NO JAPAN」、つまり、若者なくして日本の未来はない、というメッセージを込めた一般社団法人を立ち上げ、2019年参院選から若者向けに政治や選挙に関する知識をSNSを通じて伝える啓蒙活動を行っている。

能條がその名を馳せたのは、東京五輪組織委員長だった森喜朗元首相の女性蔑視発言への抗議だった。「女性がたくさん入っている会議は時間がかかります」といった森の一連の発言に怒りがこみ上げて仲間と相談、辞任ではなく処遇の検討と再発防止、女性理事割合の改善を求める署名をネットで展開、10日で15万7千筆を集め、森を辞任させるきっかけを作ることになった。22年の『TIME』誌「世界の100人」にも選ばれた。

能條がこの署名活動で気づいたのは、ジェンダー平等を求める声がいかに全国津々浦々に満ち満ちているかであった。この澎湃として眠っているパワーを何とか政治的に生かすことはできないものか。その地域地域のコア的役割を果たしてもらう存在として若い女性議員を増やせないかという問題意識に駆られたのである。

この発想が、根っからのコーディネーター、オルガナイザーとしての能條の意欲に火をつけた。F・プロジェクトはそうして始まった。能條については、この欄に前回登場いただいた岸本聡子杉並区長が高く評価していた。この運動に協力して、第2、第3の岸本の出現に貢献したいと言っていた。

果たして能條たちの運動は、ジェンダー平等からいえば現代のガラパコスとも言えるこの国の旧態を草の根からチェンジしていく力になるのか。本人を直撃した。

総理秘書官の差別発言をどう見る

──まずは、荒井秘書官の差別発言、どう感じた?

能條 私たち20代の感覚とはあまりにも感覚がずれ過ぎています。いまの時代にも、こんなことを言ってしまう人がいるのはわかるけど、総理の周辺にいるということがおかしいし、記者さんとの懇談でポロリと出てくるということは、これまでも同じような発言をしてきてのに、特段やめろと言われてこなかったからではないかという気がする。私の周辺では、当事者で、だから結婚できないと悩んでいる人や、海外に行ってしまう人をたくさん見ている。これを契機にLGBT法制が進めばいいと思う。

──オフレコだったが、毎日新聞がこれは見逃せない発言と判断し、本人にも通告した上でネットで記事に流した、という。

能條 国家を運営するに際してはオフレコがあってもいいのかもしれないが、人権に関してはあってはならない。大切な報道だったと思います。

──ジェンダー・ギャップ世界で最低という、この国にしてこの発言?

能條 1980年、90年代は日本と同程度の国もあったが、この30年、世界が飛躍的に変化する中で、日本だけが変わってない。政治の世界では本当に女性が少なく、地方議会は16%。首長に至っては2%です。身近な生活の政治的決定が男性に占められてきたことで、落とされてきた視点や課題がたくさんあるはずだし、「失われた30年」と言われている経済停滞を生み出した一因にもなっている。これまで中高年の男性中心にやってきた結果が現在だとすると、その責任は誰にあるのか。そこを反省して人の入れ替えをしなければという問題意識が私にはあります。

Photo by Shunpei Yoshino

──なぜ日本は30年遅れた?

能條 他国はその間きちんと対策を講じました。クオータ制を導入したり、政党の自主努力で女性候補者を増やしてきた。そこを日本は怠ってきた。

──なぜ?どう怠った?

能條 私の修論は「1979年 大平正芳政権下の日本型福祉社会の研究」です。そこで感じたことは、85年という年が象徴的だったのではないかということです。その年に日本は、女子差別撤廃条約を批准、男女雇用機会均等法を入れたけど、同時に専業主婦の優遇政策もスタートさせたんです。つまり、世界の動きに合わせて男女平等のアクセルを踏んだように見せながら、一方で、男女の役割分業を推進させ、固定化するようブレーキも踏んだ。

森喜朗の発言で署名活動

──なぜ役割分業を固定化?

能條 一言で言えば、国が福祉の面倒を見たくないからだったと思います。福祉を女性、そして企業に押し付けた。男性をフルタイムで働かせる一方で、女性は半人前と扱い、パートで年100万円くらいは稼いでほしいが、フルタイムでは働いてほしくはない。残り時間は家のこと、子供の教育や老人の介護をしてもらうという分業にした。103万円の配偶者控除、130万円の社会保険の壁がそれです。

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同時に、介護、子育てなど女性が担うケア労働は、誰にもできる分野として制度設計、安価に賃金設定してしまった。その結果、保育士や介護士のなり手が不足し、保育園に入れたいと思っても入れられないし、自らが介護するために仕事をやめなくてはいけないという矛盾が生まれています。

こういった女性蔑視、ケア労働軽視というのも、すべて男の政治家たちが中心になって政策決定するところに因果がある。大平政権の日本型福祉社会論は、その一つのモデルをつくってしまった。とは言え首相としての大平正芳は、いまの政治家と比べてすごく強い構想力や責任感を持っていたとは思います。

いまの政治は、面倒を見てくれる奥さんがいることが前提に成り立っている。ケア労働がどういうものか、実感を持てない。家事も育児もそうです。24時間、365日、外で働けますという人しか政治家をやれないということになっているから、現状のように多様性がなくなってしまう。生活実感と直結していないところで政策が決まる。だから皆が関心を持てず、投票率も下がり、結果、一部の利益を代表している人が政治家になって、それが延々と続いていく、という負のループなのかなと。

それともう一つ、選挙制度もあると思います。20、30代の投票率を調べてみると、96年の小選挙区制への改編で一気に下がり、そこから低迷している。死に票が増え、自分の一票に対する有効感も生まれない。1位を決める選挙ではなかなか多様性が生まれにくいということで、必然的に起きたことのような気もします。

Photo by Shunpei Yoshino

──そんな中でのF・プロジェクト、なぜ始めた?

能條 若い世代の政治参加を促進する活動をしている中で、若い人にとって政治家が魅力的な職業になってないと感じました。私自身、政治家といろいろ議論してきて感じたこともある。少子化の話をすると、「まずは子供産んでからだよ」とか、「自分たちの世代はこれだけ頑張ったんだから、もっと頑張れよ」という話をされてしまうことが多くて、本当に通じない、という経験をしてきた。どの政党の人にもそういう人たちがいて、何でこんな人たちが政治家やっているんだろうと思うようになったんです。政治家の顔ぶれが変わらない限り政治に期待が持てないと。

──21年2月の森喜朗女性蔑視発言で署名活動した体験が大きかった、という。

能條 10日間で15万筆集め、全国各地に仲間ができました。けっこう、みんなも日本のジェンダー不平等に怒っているじゃないのという体験でした。一緒に署名を立ち上げた仲間で半年に一回会議し、今後何をしたらいいのかという議論をした。21年に「ジェンダー平等」という言葉が新語・流行語大賞に選ばれて、えっ?この時代に新語なの、と。流行語で終わらせてはいけないよねと話し合いました。

あの運動はオンライン署名だったので、関心がある人の中ではSNSで広がったし、メディアでも取り上げられたけど、なかなか地域に根差した活動にはなりませんでした。それはやっぱり違うよねと思った。地域に根差した活動をどんどんしなければならない、草の根からジェンダー平等を広げていく動きが必要だよね、と。それは私たちの上の世代がそれなりにやってきたことだけど、どうやってそれを自分たちの世代が引き継げるのか。そう考えた時、まずは自分たちでネットワークを作って活動を始めたほうがいいねということになり、地域のまとめ役、コーディネーターが欲しくなった。そこで地方議員という場に注目しました。

調べてみたら地方議員の女性比率は16%しかなかった。年代別にグラフにしてみたら、50代が20%と一番多かったけれど、うちらの世代は18%。ここを何とかしようと、SNSで働きかけを始めた。すでに立候補を決めていた人たちもいたし、私たちの活動で立候補を決めた人もいます。

4年後には200人の女性議員を擁立したい

──何人集まった?

能條 今日(3月6日現在)で28人。まだ、夢という段階ですが、4年後、2027年の統一選で20、30代の地方議員を200人程度にするのが1つの目標です。そうすると、年齢別では女性比率が3割になる。4月の統一戦に向けてはさらに増やして擁立し、今回統一選の枠から外れて散発的に行われる個々の地方選挙でも活動を継続し、4年越しで200人という目標を達成したい。27年の統一選を迎える時にはもっと全国的な動きになるのではないか。これは長くかかる挑戦だとは思っています。

──どんな人が集まった?

能條 介護士や保育士もいるし、会社員もいるし、非正規雇用で働いていた人もいる。自分が社会課題の当事者になったことがある人も多い。誰かを助けようとする以前に、自分の課題、あるいは周りの人の問題解決ができればいいなという人もおり、それはそれでいいのではないかと。

──候補者としてプロジェクトに参加する条件は?

能條 クオータ制導入、選択的夫婦別姓導入、本格的な性教育への賛成、トランスジェンダー差別への反対という4つのチェックリスト作っていて、それに合意した人を応援することにしています。

Photo by Shunpei Yoshino

──参加するメリットは?

能條 広報的な意味で言うと、「F・プロジェクトに参加します」とポスターに貼る人もいる。ボランティア募集で200人が名乗りを上げており、そういう人たちをつなぐこともできる。ただ、皆の地域にまんべんなくいるわけではなく、対応できないことも多い。各候補のインタビュー記事を作って、それをネットで公開、有権者へ提供します。

現状、一番候補者の役に立っていると思うことは、コミュニティー効果です。ラインで毎日のようにお互いに困りごと、関心のある事を情報交換しています。勉強会もあり、1月はSNSの発信方法、2月は選挙スケジュールの立て方やカンパの集め方を市民選挙の熟達者に講師をしてもらう。ZOOMで月に2回、隔週で定例会を開いて悩み相談もしている。同じ体験をした人たちと息抜きができる場になればと思っています。
◇ ◇
能條のしゃべりは、語り口は柔らかいが、速射砲に近い。1分間にいくつの単語を発するのか、数えてみたい気になるほどだ。ただ、だからといって慌ただしくガサツな印象はない。しなやかで伸びやかなゆとりを感じさせる何かがある。聞かれたこと、必要なことに過不足なく答える術も持っている。

それにしても、眼前で優しく語り続ける、この若い女性が、根っこまでジェンダー不平等に浸かったこの国の旧弊岩盤に風穴を開けることができるのか。そして、1998年生まれ、いわゆる「Z世代」になぜこのような改革者が生まれたのか。後編《森喜朗を辞任させた慶大院生・能條桃子の24年の人生がヤバすぎて》ではそのバイオグラフィーを紐解いてみる。

森喜朗を辞任させた慶大院生・能條桃子の24年の人生がヤバすぎて 後篇

倉重 篤郎 によるストーリー • 3 時間前

前編《女性議員30%を掲げる24歳慶大院生・能條桃子の「しなやかな挑戦」《統一地方選の目玉となるか》》では、24歳の大学院生・能條桃子らが始めたチャレンジ、つまり、20、30代の地方議員の女性比率を3割化していこうというプロジェクトが、ジェンダー不平等のガラパコス大国ニッポンを変えていくことができるのか、その試行錯誤の行程を追ってきた。後編では、プロジェクトを進める上での問題点、そして、能條がなぜそこに至ったのか。そのライフヒストリーを聞き取っていきたい。

政党との関係は?

──候補者リクルート、意外と大変だったと?

能條 この企画を立てた時には一気に200人も何とかなるかと思ったんですが、皆それぞれの人生があるし、出ると言って途中で断念せざるを得ないケースも多かった。お金がある程度ある人しか出られないし、家族のハードルもある。夫と義理の母からの反対が多いんです。それを突破するかどうか、そんなことを言われても私はやるんだと突っぱねる人はできるが、そこまでしてやるというのはちょっとと考え直す人たちもいて、そういう人たちまで無理に出す必要はないのかなと思っています。

──政党との関係は?

能條 政党とは距離を保った方が健全かなと思い、特段連絡は取り合っていません。もちろん、政党の推薦や公認を受けている候補もいます。いまの時点での内訳は、立憲6人、生活者ネット1人、国民民主1人、共産3人、あとは無所属です。自民系は今回候補者がいません。何人かとお話ししましたが、先ほど述べた4つのチェックリストに対する返事がはっきりしない。本人はいいと思っていても、最終的な返事にはなっていない。当選してみないとわからないという人もいる。選挙後の活動も含めて賛成の立場でないと私たちの活動にけじめがつかないので参加は見合わせてもらいました。

Photo by Shunpei Yoshino© 現代ビジネス

──共産党が意外に多い。

能條 共産党が一番ちゃんとしているというか、20代の女性候補を地方で擁立できる組織を持っている印象があります。神輿を作る力があるから、乗る人を探していて、いい感じでマッチングしたらちゃんと乗せて、その子たちがやりたい政策を前面に掲げる。生活者ネットも同様です。他の政党は、何もしてくれないケースもあります。公認を出すと言っていたのが、20代の女性が出てくると自分の票が減るという現職のクレームによって推薦になってしまうケースも聞きます。

──あなたの役回りは?

能條 スポンサーを見つけたり、市民のカンパを募って人を雇えるようにするのが自分の仕事だと思っています。

──クラウドファンディングをやったとか。

能條 昨秋に2カ月やって640人から750万円の寄付金が集まりました。3月からは、月額1000円とか3000円を継続して寄付してもらうマンスリー・サポーター制度を始めます。

──大口のスポンサーは?

能條 企業や個人として100万円単位で支援してくれた方も複数います。1つの会社や大きいところに寄り過ぎると、その人たちの意向を汲んでしまうということになるので、理想はアノニマス(匿名)な人というか、一般の人から半分もらって、残り4分の1が助成金で4分の1が企業くらいのバランスかなと思っています。

──政治はやはり金がかかる?

能條 ボランティアとしてではなく、安定的にこの活動を継続するためにはある程度人件費を払えなければなりません。いまはスタッフを4人雇っています。1人はフルで、3人は時給雇用です。候補者へのお金の支援はゼロです。本当はそれがあればもっと多くの人を出せることが見えているけど、それをやるためには億単位のお金が必要になります。今回の選挙では私たちのできることではありませんでしたね。

慶應大学進学で見えたもの

──ところで、どんな家庭で育ったんですか?

能條 神奈川県平塚市生まれです。父母と妹と4人家族。父は会社員、母は専業主婦、いまは保育士をやっていますが、普通の家庭です。父方も母方も親戚がすごく多くて仲が良く、1年中誰かの誕生日会でワイワイ集まってた。小学生の時は毎回その飾りつけをして台本書いて、初めの挨拶お願いしますとか、そういうのをやっていた。ある意味、いまも誕生日企画の延長でやっている感じもあります。

──どんな子供だった?

能條 両親が投票に行かない時期があったくらいで、社会意識が高い家庭ではなかった。ただ、社会科で、新聞を教材として読む授業が面白かったんです。世の中がどういう仕組みになっているのか、池上彰さんの解説がわかりやすくて、ありとあらゆる池上本を乱読しました。先日、毎日新聞紙上で池上さんと対談することができて、とても名誉だと思ったし、うれしかった。

小学生の時、平塚市の青少年議会という、小中学生を議会に入れて政策提言をさせるというプログラムがあって、それに参加して、初めての政治討論をしました。まったく中身は覚えてないんですが、参加したことは体感として残っています。中1の時は市の姉妹都市交流でカンザス州・ローレンス市に2週間ホームステイしました。子ども大会といって、小学生が出店などすべてを企画するイベントで、実行委員長なんかも務めましたね。

高校は豊島岡という池袋の進学校に進み、平塚から池袋まで片道1時間半かかって通学しました。平塚から出て、東京に行きたかったんです。このままだと、平塚の中で一番学力の高い高校に行って平塚市の職員になるだろうなという将来の絵が見えていて、もう少し違う世界を見たい、と。私立にも行ってみたいと思いました。毎朝5時53分発の電車に乗って、学校中心の生活。良かったのは同じ目線で話せる友達ができた。それまでは池上彰を読んでいるような友達はいなかったから。

Photo by Shunpei Yoshino© 現代ビジネス

──大学進学は?

能條 本当は一橋大学に行きたかったけど、落ちました。「ディー・エヌ・エー」創業者の南場智子さんの本をお父さんにもらって、私も起業してこういう人になりたいと思ったんですね。受かったのは慶應の経済と早稲田の商学部などで、どうしよう、浪人しようかと思ったんですが、池上彰さんも、私が好きな「嵐」の櫻井翔君も慶應経済出身ということで、この人たちと同じ学歴ならいいかと思った。

──慶應経済学部では?

能條 社会の格差などを学びたかったのに、最初の授業は数学ばかり。労働のことをコストとしてしか考えておらず、資本主義をどうやって作り直すかを勉強したかったのに、そういう視点がまったくない授業ばかりで本当につまらなくて。スキーサークルに入り、スキーばかりしてました。だけどそのうち、幼稚舎から上がってきたようなサークルの子たちとは違って、私は普通の家庭の子だし、ここでうかうか大学生活していたらダメだと心機一転、ベンチャー企業でインターンをしたり、選挙のボランティアなどを始めました。2年生の後期に井手英策教授の財政学の講義を聞いて、そこで初めて大学の授業が面白いと思い、3年からは井手ゼミに入り、大学院も井手先生の指導を受けています。

──金子勝さんの講義もあったのでは?

能條 金子先生の慶應での講義を聞きました。批判的経済学の第一人者として刺激を受けましたが、講義のたびに与党政治家の激しい悪口を言われるので(笑)、違和感も覚えました。

──環境格差にも関心を持たれているようですが、マルクス経済学と環境問題を結びつけた斎藤幸平さんについては?

能條 斎藤さんは、著書も読ませてもらい、対談もさせてもらいました。気候変動についての問題提起には教えられ、共感もしますが、斎藤さんの議論は1万メートル先の話をされているような気がして、私はそのために何ができるのか、悩んでいるのかもしれません。

デンマークの有権者たちの実像

──井手財政学を勉強して、なぜデンマークに留学を?

能條 投票率が高く国民の政治参加が進んだ国であり、税金を払うことが嫌ではない国民でもあるというので、そういうところで生活してみたら財政のあり方と政治参加との関係がよくわかるのではないかと直感しました。3カ月休学して、フォルケホイスコーレ(北欧独自の教育機関。試験や成績が一切なく民主主義的思考を育てる学校)に行きました。18歳以上なら誰でも入れて3カ月か半年全寮制で皆で暮らしながら学ぶという場だった。

──デンマークと日本の差は?

能條 デンマークでは選挙の際に有権者は能動性を求めらます。広場で候補者に話しかけたり、討論会を聞きに行き、そこで質問するなど能動的に動くことが求められる。小学生の宿題に、候補者の話を聞くことが出るくらいなんです。一方、日本の選挙では有権者はひらすら受け身に徹しますよね。チラシをもらうとか、演説を聞くとか。デンマークでは投票に行くことも当たり前となっていて、全寮制で投票所が遠かったので車でピストン輸送したり、行政や先生が企画するわけでもなく、自分たちで車出して運転手出すというような形になっていました。

──他に海外体験は?

能條 海外体験というほどではありませんが、東南アジア各地を旅しました。マレーシアで戦争の展示を見たとき、日本の加害責任を知って、ショックを受けました。それまでは、広島、長崎の被爆体験など、被害を受けた歴史から戦争はいけないという考えを持っていましたが、加害体験からも戦争の悲惨を考えるようになる、大事なきっかけでした。

Photo by Shunpei Yoshino© 現代ビジネス

──デンマーク経験を持ち帰り、若者に対する選挙啓発団体。「NO YOUTH NO JAPAN」を立ち上げたのが、19年7月。ちょうど参院選真っ盛りだった。

能條 デンマークと日本の若者では、政治に対する知識に圧倒的な差がありました。デンマークでは、政党数が多いのに、違いをきちんと教えてくれるが、日本だと「えーと、自民党と…」で詰まってしまう人が多いかもしれない。その差を埋めれるとすれば、知識ではないかと考えました。

それと、日本では投票に行かない理由として、知識がないゆえに間違った選択をしてしまうことが恐くて、それはわかっている人たちに任せたらいいと言う若者が多い。私の通っている慶應の友達もそう言うんです。世の中からはエリートの集まりと見られている慶應の学生がそんな自信のないことでいいのかと思って、そういう友達がちょっとでも役にたってくれればいいなとも思った。それで始めたら、2週間でフォロワーが1万5千人になりました。

──知識を広める活動だけ?

能條 それだけです。でも手応えとして、私の友達が、いままで一回も投票行ったことのないお姉ちゃんを連れて投票に行ったよと言うような、身近な変化がありました。

──「NO YOUTH NO JAPAN」と「FIFTYS PROJECT」との関係は?

能條 別々の一般社団法人を作り、いずれも私が代表を務めています。人間的には数人が被りますが、ほとんど別で運営しています。。「NO YOUTH NO JAPAN」の方はこの統一地方選では、荒川区やいくつかの地域の選管と一緒になって、投票に行った時にもらえる投票済証明書のデザインをどうするかを考えています。魅力的なものにして投票率をアップできないかという試みです。他に、インスタグラムでの発信とか、被選挙権年齢の引き下げを求め、国会議員に陳情したりもしています。

──理想とする女性政治家は?

能條 私が小学生の時の大蔵律子平塚市長(03年~11年)ですね。市民ネットワークから出てきた方で、私の周りが専業主婦ばかりだったので、特別に見えた。大学時代改めて大蔵市政を振り返り、小学校区に1つ公民館を作ったり、子供の遊び場を多く作ったり、医療費を中学生まで無償化したり、素晴らしい実績の持ち主と分かり、子供の時のイメージに間違いがなかったことがわかりました。

あなた自身の出馬はないのか

──世界では?

能條 ニュージーランドのアーダーン首相は本当に格好がよかったのに、残念です。

──日本の国政政治家では?

能條 誰だろう。社民党の福島瑞穂さんは長い間ずっと大事な問題を提起し続けていて尊敬しています。木村弥生さん(元自民党衆院議員)が好きでしたが、落選してしまいました。緊急避妊薬を薬局で買えるための政策プロジェクトを進めてくださったりとか、与党の中で珍しいくらい女性の健康と権利に関して活動されていた。子育て系も虐待の話も取り上げていて、いい政治家だと思っていた。今度江東区長選に出られるそうです。

矢田わか子さん(国民民主党前参院議)もコロナの始まった時すぐ、妊婦さんまず仕事休んでいいという政策を最初に質問してくれた。こういう人がすごく大事だなと思いました。

伊藤孝恵さん(国民民主党参院議員)とは会うといつも元気になります。寺田静さん(立憲民主党参院議員)も好きです。イージスアショアを止めるために写真持って全議員を回った人。被選挙年齢引き下げの質問もしてくれました。

Photo by Shunpei Yoshino© 現代ビジネス

──部分的には菅義偉前首相を評価しているとか?

能條 菅さんは不妊治療への保険適用とか、女性のために進めたことは多くて、話すのがもっと上手であったらよかった、もったいないなと思っています。気候変動の炭素ゼロも菅さんですし、一年しか首相をしなかったのに岸田政権の何倍もいいことをしてくれたと思っています。

──あなたが自ら選挙に出ることは?

能條 これまではそれを聞かれるたびに絶対嫌だと、そうなると、政治家として生きていかねばならず、幸せになれる自信がないと拒絶する反応をしていたのですが、最近は「いつかそういう選択肢があってもいい、と自然に思える方がいい社会だな」と変わってきました。それは岸本聡子杉並区長なんかを見て、格好いいなと思うように、自分が活動を通じて素敵な政治家を知ってきたからというのもあります。まあ、いますぐ予定があるとかそういうわけではありません。

◇ ◇

能條が師と選んだ井手英策教授と言えば、私も何度か取材をさせていただいた。税も財政も連帯と共助のための分かち合いとして考えるべきだとする熱っぽい財政論の持ち主で、一時は野党陣営の政策立案のアドバイザーとも言われてきた人物である。弟子の能條がこういう活躍をするのもむべなるかなであろう。

それにしても今回の統一地方選で能條らの運動がどこまでブレイクするか。能條が言う通り、ジェンダー不平等に対する不満がマグマのように溜まっているのは事実であろう。それを上手に引き出せれば、かつての森喜朗元首相の「女性差別発言」弾劾署名のように、燎原の火のように広がる可能性がある。

その鉱脈を掘り当てることができるか、有権者の問題意識を喚起できるか、能條桃子の闘いはまだ始まったばかりである。

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