慶應の最高幹部「指定席」企業と譲渡や世襲の実態、丸紅・三越伊勢丹・中外製薬…
ダイヤモンド編集部
2023.11.9 4:50 会員限定
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慶應義塾の「最高幹部」評議員には大手企業の首脳らが名を連ねるが、あくまで「個人の活動」である。にもかかわらず、評議員ポストをバトンリレーのように新旧の首脳同士で譲り渡す有力企業や、評議員ポストを世襲するオーナー企業が少なくない。特集『最強学閥「慶應三田会」 人脈・金・序列』の#3では、丸紅や三越伊勢丹、中外製薬、大和証券グループ本社など超大手企業による「指定席」の実態を明らかにする。(ダイヤモンド編集部副編集長 名古屋和希)
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東京海上・永野氏が樋口氏に続き評議員に新旧首脳で評議員ポストを「譲渡」
「同級生などから『おまえもそろそろ立候補したらどうか』と言われた」
東京海上ホールディングス(HD)会長の永野毅氏は2021年のダイヤモンド編集部のインタビューに対し、慶應義塾の評議員に就任したきっかけをそう語っている(『慶應評議員の東京海上HD会長が語る、「社中の魔力」と慶應の伸びしろ』参照)。
同級生の発言の真意に関して永野氏は「評議員の就任については、過去に樋口(公啓)さんが慶應義塾大学出身で初めてわが社の社長になり、後に評議員に就いたという経緯があります」と話している。
永野氏が言及した樋口氏は東京海上火災保険(現東京海上日動火災保険)社長だった1998年から2期8年間、評議員を務めている。
東京海上HDの中核子会社、東京海上日動火災保険は卒業生の就職先上位の常連。OBで構成する東京海上日動三田会の会員数は1700人と、企業関連の三田会としては最大規模を誇る。
こうした“慶応閥”がある企業では、慶應卒の首脳を代表として評議員に押し上げようというOBの意向が強いのだ。
永野氏が評議員に就いたのは18年で、樋口氏の退任からしばらく後のことである。だが、慶応閥が強い企業を中心に、評議員ポストを新旧の首脳同士で継ぎ目なく「譲渡」している企業は多い。
丸紅や三越伊勢丹、中外製薬、大和証券グループ本社、三菱地所……。次ページでは、評議員ポストを「指定席」にする大手企業の実名と、その実態について明らかにしていく。また、オーナー企業では譲渡というよりも「世襲」のようなケースも存在する。具体的な事例と併せ、自らの子弟に評議員ポストを世襲させるための“裏技”も紹介する。
評議員を歴代トップが受け継ぐ三越丸紅でも勝俣氏から朝田氏へバトン
「石を投げれば慶應に当たる」――。百貨店業界はその典型だといえよう。中でも、旧三越(現三越伊勢丹ホールディングス)は、慶應出身のトップが多く、評議員ポストも会社として長く押さえてきた。
下表を見てほしい。
三越社長だった市原晃氏や中村胤夫氏はそれぞれ16年間と20年間にわたって評議員を務めた。さらに、第29~30期には、同じく三越の社長を務めた坂倉芳明氏や中村氏の前任の井上和雄氏も評議員に名を連ねている。
同じ企業から同時期に複数の評議員を送り込むのは珍しい。三田会における三越の影響力の大きさを物語っている。
表にはないが、第25期には「天皇」と呼ばれ絶大な権力を誇った岡田茂氏も評議員を務めている。だが、独断専行の経営が三井グループの不評を買い、「三越事件」と呼ばれるクーデターで失脚した。
社長レースで岡田氏とトップの座を争った坂倉氏は、岡田氏の社長就任後に三越を離れたが、混乱の収拾に当たるために復帰。社長だけでなく評議員の座も岡田氏の後を継いでいる。
今年の評議員選挙では、退任する中村氏に代わり三越伊勢丹会長の杉江俊彦氏が評議員に立候補した。杉江氏は旧伊勢丹出身。伊勢丹出身では、創業家出身の小菅丹治氏や小菅国安氏が過去に評議員を務めている。
名門企業の新旧首脳での評議員ポストの受け渡しは広く見られる。
慶應とも縁が深い三井グループの中核企業の三井不動産も、受け渡しを実行した企業の一つだ。現在、評議員会議長を務める同社会長の岩沙弘道氏も02年に前任の田中順一郎氏と入れ替わる形で、評議員に就任している。
商社では、近年慶應出身者が3代連続で社長を務めた丸紅も同様だ。18年に勝俣宣夫氏から朝田照男氏にバトンが渡されている。22年の改選期では朝田氏が続投するが、26年には現在会長で経済学部出身の國分文也氏に譲り渡されるかもしれない。
また、中外製薬特別顧問の永山治氏も06年に義父で中外製薬創業家出身の上野公夫氏から評議員ポストを受け継いでいる。
大和証券グループ本社も06年に千野宜時氏から鈴木茂晴氏にバトンが渡されている。鈴木氏は千野氏の秘書に起用され、頭角を現したとされる。鈴木氏が20年1月に日本経済新聞で連載した「私の履歴書」によると、愛塾心が強い千野氏が、慶應OBであることも秘書の条件に含めたことで、鈴木氏に白羽の矢が立ったのだという。
オーナー企業では一族で評議員を譲渡出席率ゼロでも「世襲」もくろむ経営者
オーナー企業の世襲も目立つ。代表的な例が、アパートローンの不正融資問題があったスルガ銀行である。創業一族の岡野家で、94年に喜一郎氏から光喜氏に評議員ポストが譲り渡されている。
大手企業が必ずしも慶應出身のトップばかり輩出するわけではないため、バトンが途切れることもあるが、一族で慶應と縁が深いオーナー企業が評議員ポストを長く保持することも少なくない。
キッコーマンは、8代目社長の茂木克己氏と10代目の茂木友三郎氏が98年から4年間、同時期に評議員を務め、その後は友三郎氏が継いだ。文房具大手のコクヨも黒田暲之助氏が4年間の空白を挟んで章裕氏にバトンを渡している。
一方、自らの子弟に評議員ポストを渡すことを画策するオーナー経営者も存在する。
「家族に継がせるためにポストを維持している」。慶應関係者は、評議員を務めるあるオーナー企業首脳をそう評す。
この関係者によると、首脳は評議員を長く務めるにもかかわらず、近年は評議員会に姿を見せることがないという。
「もうここ2期ぐらい出席をしていないのでは。体調を崩しているといううわさまで出ている」(同関係者)。それでも世襲のタイミングを見計らってポスト維持をもくろむ評議員がいるというのである。
企業にとってみれば、会社としてポストを押さえておくことは、社内にいるOBの結束のみならず、取引先との商談にも役立つ可能性がある。
だが、評議員は最高責任者である塾長の選任などを最終的に承認する「最高議決機関」として絶大な権力を握る。「指定席」の存在は、新陳代謝を遅らせ、評議員会の顔触れを固定化させる懸念もはらんでいるといえる。
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慶應三田会「ヒト・モノ・カネ」を検証!人脈・経済圏の好循環を生む理由
ダイヤモンド編集部
2021.1.12 5:25 有料会員限定
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成長を続ける慶應義塾大学と三田会。規模の拡大は新たな人脈と経済圏を生み出し、それに引かれてさらに人が集まるという好循環につながる。特集『慶應三田会vs早稲田稲門会』(全16回)の#4では、慶應大と三田会の膨張をヒト・モノ・カネで徹底検証する。(ダイヤモンド編集部 山本 輝)
東京歯科大との合併で私大トップを射程内に入れた
慶應義塾大学が、さらなる“領土拡大”を遂げようとしている。
昨年11月、慶應大は東京歯科大学と合併の協議を始めることを発表した。慶應大にとって歯学部は、医学部、薬学部、看護医療学部の間を埋める、医療系学部最後のピースだ。その詳細は本特集#1『慶應が東京歯科大との合併で奪取する、歯学部とは別の「虎の子」とは?』に譲るが、これで慶應大は総合私立大学として、医療分野で随一の陣容を誇る、唯一無二の存在となった。
実際に、慶應大にとって、東京歯科大と合併するインパクトはすさまじい。大学の「売り上げ」を表す事業活動収入を単純合算すると、その額は1974億円と私大1位の日本大学に迫る。入試難易度や経済界への影響力といった“ソフト面”にとどまらず、大学の収入規模という“ハード面”においてもトップに迫り、名実共に私大首位の座を射程内に入れたのだ。
だが、こうした「拡大策」は、慶應大にとって今に始まったことではない。むしろ、この膨張こそが、慶應大を“最強の学閥”たらしめる、人脈や経済圏の源泉となってきたのだ。
どういうことか。
学部増設に付属校の新設慶應エコシステムの拡大
ここ30年、慶應大は幾つもの学部を新設してきた。象徴的なのが、1990年に開設した総合政策学部と環境情報学部という二つの学部と湘南藤沢キャンパス(SFC)だ。総合的な人物評価で合否を決めるAO(アドミッションオフィス)入試を本格的に導入するなど、大学改革の嚆矢(こうし)として話題を呼び、当時の学生の人気を一手に集めたのだ。その後も、2001年には看護医療学部を、08年には、共立薬科大学との合併により薬学部を開設するなど、領域を広げてきた。
その結果、学生の数も増えた。卒業生の数を見ると、SFCの開設を境に、年間の卒業生は6000人を超え、以来、高い水準の卒業生数を維持する。
だが、注目点はSFCから連なるこれらの新設学部が、単なる学部改組や既存学部の発展ではなく、新たな学問領域をカバーする学部だったということだ。
今や慶應大が擁する学問領域の広さは、各大学と比べてみれば一目瞭然だ。
特に際立つのが、医療系学部の充実だ。医学部設置を長年の悲願とする早稲田大学はもちろん、医学部の存在感が大きい日本大などと比べても遜色ない。学部のカバー領域を広げることで、新しい学生層の取り込みに成功したといえる。
加えて拡大してきたのが、付属校だ。
実は近年、「早い段階から学生を囲い込んだり、愛校精神を高めたりする狙いから、私大で付属校や系属校を増やす動きがトレンドになっている」と、大学通信の安田賢治常務取締役は解説する。実際に、19年に青山学院大学が浦和ルーテル学院を、10年に中央大学が横浜山手女子を系列化したほか、11年には上智大学が静岡サレジオを提携校としている。早稲田大学高等学院は10年に中学部を開設した。
慶應大も例に漏れない。92年に湘南藤沢中等部・高等部を、13年には二つ目の小学校となる横浜初等部を開校している。
慶應大には、現在10校の一貫教育校が存在するが、例えば小学校に当たる幼稚舎から入学した内部生などは、慶應大の中でも「本流中の本流」として一目置かれ、三田会や大学のクラスにおいても主導的な役割を果たす存在だ。つまり、小学校から大学に至る一貫教育は、慶應大にとって強い愛塾精神を育む装置となっているのだ。
系列校の増強は、将来の三田会を担う「本流」の人材を育成することにつながる。
伝統的な文系学部から網羅的な医療系学部、さらには大学病院までそろえる「幅広な専門領域」と、小学校から大学に至る「縦長の一貫教育」。一口で言うと、この横軸と縦軸の広がりを兼ね備えていることが慶應大の強みの源泉となっているのだ。
巨大な組織体が生み出すカネとヒトのエコシステム
こうした巨大な組織体は、さまざまな好循環を生む。一つは収入だ。
慶應大の事業活動収入は1695億円(19年度)あるが、そのうち大きな割合を占めるのが、学費収入(543億円)と医療収入(653億円)。さらには他大学を圧倒する規模の寄付金収入(99億円)の割合も大きい。
学部や一貫校を増やせば、それだけ学費収入はアップする。例えば、13年に開設した横浜初等部は、在籍人数(632人)と年間152万円という学費から単純計算すると、約10億円の収入を生み出している。さらに、教育意識の高い父母からの寄付金収入も期待できる上、“英才教育”によって愛塾精神の強いOBが育てば、将来の三田会の勢力の拡大にも寄与するだろう。
医療収入でも同様だ。23年に合併予定の東京歯科大は、水道橋病院や市川総合病院などを擁する大手の「医療機関」であり、年間の医療収入は約200億円にも上る。合併によってこうした収益を取り込めるだけでなく、研究の相乗効果によって高度な医療を提供できるようになれば、より収益性を高めていくことも可能だろう。
もう一つの好循環は、人材だ。
例えば08年に合併された共立薬科大。慶應大の看板に掛け替えられてから10年がたち、多様な人材の交流が進んでいる。
「当初、共立は“お客さん”という扱いで、地域の三田会では共立出身の存在を認めないという動きもあったが、今はだいぶ融和が進んだ」と、共立薬科大と慶應大薬学部のOB組織である慶應義塾大学薬学部KP会(KP三田会)の高橋千佳子(高の字は正式には「はしごだか」)会長は、合併以後の変化を語る。
融和が進んだ結果、人材の輩出先にも変化が起きている。「共立時代は、卒論の配属先の研究室の先生に行きたい企業を相談する“推薦状文化”の就職だったが、今の薬学部の学生は、ほかの慶應大生と同じようにOBOG訪問もするし、シンクタンクやマスコミ、コンサルなど臨床とは違う分野に就職する学生も多い」(高橋会長)。
薬学部出身という特殊性の高い人材が、臨床だけでなく、さまざまな実業界に進出している。活躍の範囲が広がれば、慶應ブランドの向上にもつながるし、慶應ブランドを背負うことによって、従来なかった進路選択が可能となるメリットが学生にも生まれる。
慶應大にとっても、学部の増設で人材の「取りこぼし」を防ぐことができる。
東京歯科大合併による効果として期待されているのが、歯科医の親が自らの後継ぎとなる子供を慶應大に入学させることで、高収入の歯科医ファミリーたちを慶應経済圏に取り込めるようになることだ。歯学部を構えれば、全国で10万人が存在する巨大産業としての歯科医師界へのアクセスが容易になり、結果寄付金収入などへの還元も期待できる。
もちろん、学部の多角化や系列校の増設も、拙速に過ぎればあつれきやひずみを生むことになろう。だが、多様な学部領域と一貫校というモノの「肥大化」が、新たなカネとヒトを生み出していくというこの壮大なエコシステムが、慶應のブランド力と三田会の圧倒的なOB力を生む根源となっているのは間違いない。
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慶應ヒエラルキーの頂点「幼稚舎」ライフ徹底解剖!総コスト、入学ルート…
ダイヤモンド編集部
2021.1.16 5:20 有料会員限定
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同じ慶應義塾大学のOBであっても、見えないヒエラルキーがある。一目置かれるのは“慶應純度100%”の幼稚舎出身者だ。高額な費用をかけてまで、なぜ幼稚舎を目指すのか。幼稚舎に入る定番ルートは何か。幼稚舎の実態に迫る。(ダイヤモンド編集部 相馬留美)
倍率10倍超えの超難関小学校慶應幼稚舎のお受験対策に月30万円!?
「幼稚舎の合格は、『親力・財力・子供力』が全てそろわないと勝ち取れない」――。
そう話すのは、吉岡美由紀さん(仮名)だ。数年前に小学校受験で慶應義塾幼稚舎に合格した息子を持つ母親である。
幼稚舎は慶應義塾系列の小学校だ。男子96人、女子48人(2021年度定員)という狭き門に、1500人超の受験生が押し寄せる最難関小学校として知られる。
幼稚舎のホームページには、入学試験について「様々な活動を通じて子どもたちのありのままの姿を見るものですから、入学試験のために特別な準備は必要ありません」と一言書かれているのみ。内容は一切記載されていない。だからといって、本当に特別な準備をしていない親は存在しない。
幼稚舎の試験は運動テスト、行動観察テスト、絵画制作テストの3種類で、他校の大半が行うペーパー試験がない。加えて面接があるのだが、これには親が同席せず、全てを子供だけで乗り切る必要がある。
この試験対策に親は全力を注ぐ。
過酷なお受験戦争を勝ち抜いた吉岡さんは、まず“お受験幼稚園”に通うための入園対策から「幼稚舎合格への道」の一歩を踏み出した。幼稚舎に入園しやすいとされる私立の幼稚園が最初の関門なのだ。
その後、夫が経営者であることから「親力」を駆使して、幼稚舎に毎年何人も合格させるという紹介制の個人塾に息子を入塾させた。そこでは行動観察や体操、絵画の対策を行った。しかし幼稚舎の倍率を考え、滑り止めの併願校受験のために、ペーパー試験対策を行う別の“お受験塾”にも通う必要がある。
年長児だった息子は週6で塾通いとなり、毎月20万~30万円近くが吹っ飛んだ。
片や、現在低学年の娘が幼稚舎に通う佐々木みどりさん(仮名)の家庭は、10万円程度の月謝を払い、スパルタお受験塾に通わせた。生まれた月ごとに人数枠があるといわれており、月齢が近い子供がいるママと仲良くなることはご法度。授業中に失敗した子供を怒鳴り付ける母親もいるくらい、教室はピリピリしていたという。
さらに面接対策のために子供にはさまざまな経験を積ませなければならず、日本各地、さらには海外まで旅行して連れ歩く必要も生じる。
幼稚舎入学から大学卒業まで、学費と入学金だけで2000万円近くかかる(大学が経済学部の場合)。それだけでも相当な額だが、そもそも幼稚舎入学までにかかる費用だけでも桁違いなのだ。
上図のように年長児になってから通う幼児塾の費用だけで年119万円。その他家庭教師の費用や塾の掛け持ち、旅行や体験学習にかかる費用なども考えれば、幼児期の時点で数百万円が吹っ飛ぶ。
実際に吉岡さんの夫は経営者で、佐々木さんの夫は医師と、ステータスも財力もある職業だ。その他、幼稚舎には地主や資産家、芸能人などの著名人、東証1部上場企業の役員など、受験のために金を存分にかけられる親たちが集まっている。
塾までの日々の送り迎えもあり、妻たちは基本的に専業主婦だ。吉岡さんが冒頭で述べたように、財力がないとそもそも他の受験生と同じスタートラインに立つことすらできないのが現実なのである。
幼稚舎受験は子供を通じて親を見る人とのつながりを重視する家庭が勝つ
そんな厳しいお受験事情の中、合格者を次々と輩出し急成長中のお受験塾が「スイング幼児教室」である。2021年度の幼稚舎合格実績は36人で、定員の4分の1に上る。
11年に同教室を設立した矢野文彦代表は、「幼稚舎に受かる子供は、発問に沿った回答を導き、課題に取り組める優秀さを持っている。そうした子供はどこの学校でも今まで以上に求められており、幼稚舎以外の受験校も全部合格するケースが多くなっている」と語る。
同教室では、幼児期から思考力を磨く指導に力を入れる。例えば慶應が子供たちに求めていることは、「絵や工作が上手にできること」ではなく、「与えられたテーマの中で、経験に基づき、自分ならどう考えるかを作品で表現すること」だと考えて絵画の指導を行うのだという。
具体的に説明しよう。「驚いたこと」という課題で、「博物館で恐竜を見て驚いた」という絵を描くだけでは不合格だ。合格するためには、「恐竜を博物館で見たけれど、その皮膚の色は実は後から学者が想像して色付けしたものだと知って、本当はこの恐竜の色も実際のものとは違うと知って驚いた」というようなところまで伝えられる表現力を持たせていくというわけだ。
そして、その課題の表現を通じて「親の支援」を感じられることも重要なのだという。
「慶應の卒業生は皆、人と人とのつながりは財産であると分かっている。子供にとっての人とのつながり、社会とは『家庭』だ。慶應の試験は『家庭を問われるお受験』だと理解して指導を行っていることが、合格者が伸びた理由だと考えている」と矢野代表は自負する。
矢野代表によれば、幼稚舎に合格する家庭には共通点があるという。
まず一つが、人と人とのつながりが社会では大事だと認識し、家族が一丸となって受験している点だ。というのも、人のつながりの発展形が「三田会」であるからだ。三田会へのファーストステップとなる幼稚舎の受験でも、人脈の重要性が問われるのである。
もう一つが、親自身が人のつながりをコアにして活躍している点だ。そうした家庭は、親が他人と信頼関係を築こうという努力を常に行っている。「教室がコロナ禍で大変だった時期に、応援のメッセージや支援物資を送ってくれたのは幼稚舎出身の父親が多かった。どんなときも人と人とのつながりを継続するという精神が根付いている。そこが慶應の本当の強さだ」(矢野代表)。
ちなみに、親が慶應出身者であることは、慶應に対する理解が深く、願書が書きやすいというアドバンテージがあるにすぎない。「『今年は縁故枠が多かった』といったうわさは毎年流れるものの、合格者は親が慶應出身者ばかりではない。慶應は意外とオープンですよ」と矢野代表は語る。
また、「慶應の先生はこういう絵の描き方が好き」といった、従来幼稚舎受験の口コミで出回る裏技も有名だが、「本質的ではない」と矢野代表は断じる。全ての道は、慶應閥の最強の人脈力の原点である三田会に通じるのだ。
幼稚舎卒は「慶應」そのもの濃密な6年が鉄の結束を生む
お受験戦争を勝ち抜いた子供たちはどのように育つのか。
幼稚舎出身の若手社会人、山田良平さん(仮名)は、「慶應のカルチャーは幼稚舎出身者が持っているもの。中学、高校、大学と進学しても、僕らが外部生に染められることはあり得ない。外部生が僕たちに合わせていくことで、慶應のカルチャーがつくられていく」と胸を張る。慶應の理念である「独立自尊」を、生活の全てで体現していくのが幼稚舎だ。
幼稚舎はK組、E組、I組、O組の4クラス。1年生から6年生まで同じメンバー、同じ担任で持ち上がる。授業内容や進度は、クラスごとに全く異なり、場合によっては児童が授業を組み立てることもある。
「独立自尊」の端的な例が、欠席や遅刻の連絡だ。一般的な小学校では、課外活動などで学校を休む際には親が学校に連絡を入れるものだ。しかし、幼稚舎では児童が自分で教師に伝える決まりになっている。
幼稚舎は親の出番が非常に少なく、「もっと学校を見に行けると思っていた」と吉岡さんはぼやく。一方、児童サイドは「進学してから外部生と接すると『そんなことまで親に頼るのか』とあきれることがある」(山田さん)。このように細部にわたり、独立自尊の精神を養っていくというわけだ。
また幼稚舎の児童たちは、学力よりも「運動能力」を競い合う。もともと地頭の良い優秀な児童が集まっているため、学力で差がつきづらく、比べ合う機会も少ない。一方で、運動はさまざまな場面で勝敗がつく。
特に運動会の後に行われる体力測定など、体育に関する行事になると、親もヒートアップする。なぜなら、家庭に配られる「幼稚舎新聞」に、スコアが高かった児童の名前と成績が掲載されるためだ。行事の前にだけ、運動の家庭教師を付けることもあるという。
ただ、その結果、学力は個人の努力次第となり、「大学進学時に、トップの成績で入学した人も最低の成績で入学した人も幼稚舎出身だった」(幼稚舎出身者)というほどの差がついてしまうようだ。
幼稚舎出身者も大学卒業までには進路はバラバラになってしまう。大学の学部はもちろんのこと、成績が振るわない生徒は高校までに留年や退学をすることも少なくないし、医師の息子なのに慶應医学部には成績が届かず他の医科大学に進学するというような不遇なケースもある。
“雲上人”である幼稚舎出身者は、体育会以外は「大学入学組」とはあまり接点がない。幼稚舎出身者同士でつるむ傾向があり、サークル活動にもあまり参加しないためだ。彼らは幼児期からやりたいことを突き詰める教育を受けており、「大学でサークル活動をする意味が分からない」と言ってのける。
大学卒業後は、家業を継ぐ人もいれば、アーティストとして海外に行ったきり帰ってこない人もいる。ただ、幼稚舎出身者の結束の固さは卒業後も続いていく。幼稚舎出身の若手社会人に聞くと、「幼稚舎のクラスメートのグループLINEがある」と皆が口をそろえる。
時を経て、自分の築き上げたネットワークを子供にも与えたいと、子女を幼稚舎に入学させようと考える幼稚舎出身者は多いようだ。「パパ同士が顔見知りということも多いみたい。運動会ではあいさつし合う姿をあちこちで見掛ける」と佐々木さんは話す。
「正直、慶應幼稚舎の出身というだけで得られる人脈がある。家や財産など『継ぐ』ものがある人が集まるのは当然だと思う」と話すのは、幼稚舎出身の30代の女性、山口桃子さん(仮名)だ。
「なんだかんだ言っても日本は学歴社会。会社を辞めたときに幼稚舎の友人に相談したところ、友人の父親が知り合いのいる芸能事務所を紹介してくれた。素人なのに採用してもらえましたよ」と山口さんは話す。子供の間にできる最強のコネづくりこそ、慶應幼稚舎への入学なのだ。
大人になっても、幼稚舎で出会ったことのある人には声を掛けずにはいられないというのが出身者の特徴だ。
「良い家系の人は美人の妻を迎え、それが何代も続くわけだから、子供が美男美女なのは当たり前。幼稚舎出身者は顔で分かる。(元・嵐で幼稚舎出身の)櫻井翔君のような人もごろごろいる」と山口さんは言ってのける。
慶應ヒエラルキーの頂点は、国民的アイドルをも当然のように「くん」付けで語る。慶應幼稚舎のネットワークは底知れないのである。
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